日本教育心理学会第57回総会

講演情報

ポスター発表

ポスター発表 PA

2015年8月26日(水) 10:00 〜 12:00 メインホールA (2階)

[PA074] 原発避難,もうひとつの現実

「被災した支援者」の立場から

谷地ミヨ子 (NPO法人 MMサポートセンター)

キーワード:原発避難, 被災者, 発達障害

1.はじめに
東日本大震災からとうとう5年目。筆者は今まで被災した子供ら(発達障害をもつ子供ら)やその家族の被災後の変化等を各学会等で発表してきた。本学会ではあえて「被災した支援者」の立場での発表をすることにした。いずれ確実に訪れる大災害に対しての支援者の立場の1つの形でもある可能性があると考えたからである。
2.背景
NPO法人MMサポートセンターは,原発から30knとプラス100m。海からは8km,標高36mほどの所に位置していた。被災時の利用者は120名,職員は8名であった。自閉症スペクトラム症,注意欠如多動症等を中心とする知的障害を伴わない発達障害児が中心で,利用者の居住地は原発から30km以内が90%以上を占めていたため,今も約90%が避難中である。
3.被災前の筆者の生活
1週間のうち4日間は集団指導。多い日には80名の指導をすることも。1日は小集団又は個別指導。あるいは他のスタッフの個別指導等の相談を受ける日。1日は幼稚園・保育所等を訪問しての相談や個別検査又は初回面談やカウンセリングの日。そして1日は夫とともに(同じ職場の指導員)休日で,釣りをしたり映画を観たり。忙しくはあったものの常に安定した生活時間で動いていた。加えて実習等の学生のアパートからの収入もあったので生活にはゆとりもあったし,将来的にも金の心配はしていなかった。
4.被災後の生活
3.11~ 津波は4~5kmも陸に入ったが施設への被害はなし。2015.3月現在,利用者の90%避難中。未だ帰宅の予定なし。夫と筆者の生活はがらりと変わった。たまたま自宅も原発から30kmプラス100mだったために自主避難に近い扱い。利用者の90%以上が消えてしまって戻れる見込みがないのに加えて,もともと制度の間(はざま)の仕事をしていたため国や県・市からの補助金が一切なかった。それが原発避難ではネックになり一切の公的な支援が受けられなかった。引っ越しや移動等のガソリン・ETC等の費用も1円も出なかった。さらに,NPOの経営者の立場のために,雇用保険等も利用できない。個人としても公的にも東電からの賠償もないまま90%以上の生活基盤を断たれた。相談は200ヶ所以上にしてみたが,結局「東電と交渉して下さい」に戻り,東電からは「国の方針なので賠償できない」と言われた。NPOとしての建物も自宅も含めて全てを個人で負うしか術がなかった。今も筆者らの生活は大きく変化したままである。震災から365日×4年間,全く休みなしの生活が続いている。宮城県内に新しく施設を開いたものの基本的には賠償はない。土地・建物も全て夫と筆者の責任で準備,指導員,会計,交渉,代表も全て,たった2名(夫と筆者)で行っている。さらに新たな問題もある。消防法の改正によりスプリンクラーの設置が義務化され,その900万円ほどの費用の他に屋根,外壁等の修繕費用1000万円以上(中古の保育所物件のため)も近いうちに調達しなければならない。東電からは建物賠償も1円もない。
5.終わりに
筆者は実は発達障害の当事者でもある。今回はこのことには触れなかったがその苦しさもかかえている。新しいことに馴染むまでに時間がかかる苦しさである。暗いことばかり書いたが,確かにそればかりではない。全国の見ず知らずの方々まで含めて何百万人もの方々に支えていただいているおかげで,今,筆者らはここにいる。感謝してもしきれない愛をいただいている。でも,とても疲れている。それが5年目を迎える一番強い感情である。少なくとも原発被災は,何kmで切れるような災害などでは決してない。