The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

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ポスター発表

ポスター発表 PB

Wed. Aug 26, 2015 1:30 PM - 3:30 PM メインホールA (2階)

[PB056] 「一行詩」の勧め

投影法としての『一行詩』作成の提案

平岡清志1, 後藤桂子#2 (1.姫路獨協大学, 2.姫路獨協大学)

Keywords:一行詩, 投影法, 自己開示

「父よ」;あの日の朝,言えばよかった。「行ってらっしゃい。お父さん」と
「友よ」;「生きてみたら?やりたいこともあったんじゃない?」と言ってくれてありがとう。
「自分よ」;集団にまみれて,本当の自分失って,一人になるのが怖くて,また偽の自分作り出す。
「母よ」;「おかあさん」って呼びたいけど呼べない。だって私をゴミのように捨てたんだもん。
「先生よ」;先生にとっては目の前を通り過ぎてゆく何百何千人の一人であっても,私にとって先生は一人です。
「息子よ」;ありがとう。お前の父になれたこと,人生一番の大役であり,誇りです。
これらの「一行詩」を読んで
あなたは何を感じましたか。
「一行詩」は吉村英夫(1940-)によって創始提唱された。短歌でも俳句でも川柳でもない,文字数にとらわれない,呼びかけを中心とした短文自由詩である。吉村は,高校の教育現場から「父よ・母よ」「息子よ・娘よ」と親と子の一行詩を発信した。「一行詩から,子ども達の心が見え,彼らの息づかいが聞こえてくる。親へのあふれる思い,家族の絆の温かさと重さが伝われば」と願い,「いじめや不登校,知育偏重の授業,殺伐とした学校。楽しいはずの学校が楽しくない学校になっているとされる現状を克服しなければならない。集団としての子供が,毎日生き生きと出かけていけるような学校にならねばならぬ。」と述べている。
上記の作品からも分かるように,後藤(2007)は,吉村の後,一行詩があらゆる成長段階や様々な立場の人たちの心の状態を反影していることを述べている。同時に浄化(カタルシス)の役割を果たし,箱庭療法や絵画療法,文章完成法などと同じ機能を持っていると思われる。
自己表現能力が乏しい児童・生徒・学生の多い学校現場で,またコミュニケーションの欠如が疎外感を増幅することを危惧される社会において,一行詩作成は,自己開示のきっかけを提供し,家族と教師と生徒とのコミュニケーション手段にもなりうるだろう。
なぜ,今,「一行詩」なのか?
小さな呟きにも似た自己開示が,抑圧された思いや潜在意識を浮き彫りにし,自己理解や他者理解につながる。表現から得た気付きを糸口に,ありのままの自分と向き合い,自己探索,浄化,自己実現へ導かれていく事例を上記の一行詩の作成者に見ることができる。投影法による心理テストと同様の扱いができる可能性を示唆している様に思われる。
人は皆,自分の気持ちを知ってもらいたいという願いを持っている。そのためには思いを表出する手段が必要。抑圧された感情を出せたら人は変わっていく。自由な表現には,将来に向けての動機付けのエネルギーがこめられている。一行詩を書き,発信することで,共感性も培われるように思われる。
現在のストレッシブな状況,若者の心の闇がはびこる社会の中で,怒りや呻き,孤独や願望を自由に率直に表出し,気軽に書き表すことができる「一行詩」が,仮面や鎧兜をはずした等身大の自分の心を取り戻す手段として用いられることが期待できる。
尚,今回の『一行詩の勧め』は,国語表現を心理学に取り込んでいく初めての試みであり提案である。事前・事後指導や事例研究も含めて今後,更なる研究を深めて行きたい。