The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

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ポスター発表

ポスター発表 PC

Wed. Aug 26, 2015 4:00 PM - 6:00 PM メインホールA (2階)

[PC031] 社会化エージェントの多層的影響に関する研究(12)

中学生と大学生の各親子が認知する養育の差異

吉田琢哉1, 吉澤寛之2, 原田知佳3, 浅野良輔4, 玉井颯一5, 吉田俊和6 (1.岐阜聖徳学園大学, 2.岐阜大学大学院, 3.名城大学, 4.浜松医科大学, 5.名古屋大学, 6.岐阜聖徳学園大学)

Keywords:社会化, エージェント, 多層的影響

養育者との関わりが子どもの学校適応や精神的健康に重要な役割を果たすことは,これまで家族機能(西出・夏野,1997)や養育態度(姜・酒井,2006;菅原ら,2002)といった観点から検証されてきた。特に受容・関与と厳格・監督の2次元でとらえる養育態度(Baumrind, 1967)は,子どもの社会化にも寄与することが示唆されている。浅野ら(2014)は,大学生の親子を対象とした中学生時の回想データから,養育者の応答性や受容が,子どもの応答性認知や受容認知を媒介して社会的情報処理のバイアスを低減すると報告している。養育認知の影響を検討する場合,このようにしばしば回想データが用いられる。そうした際には回想によるバイアスが限界点として指摘されるが,子どもが青年期に移行するにあたり,系統だった認識の変化は見られるのだろうか。また,養育者自身の認知と子の認知を比較し,後者が子どもの心理・社会的状況をよりよく説明することも古くから指摘される(森下,1981)。しかし親子間で養育認知に関してどのような差異が見られるかについては未だ不明瞭である。そこで本研究では,中学生の親子データと大学生の親子データを用いて,養育の認識の差異について検討する。
方 法
対象者 調査はA県内の平均的な特徴を持つ1公立中学校とB県内の2私立大学で行った。親子ともデータを回収できた632名分(中学生:男性143名,女性170名,平均13.40±0.87歳;中学生親:男性15名,女性292名,不明6名;大学生:男性117名,女性202,平均19.28±1.27歳;大学生親:男性38名,女性272名,不明9名)を分析に用いた。
測定内容 ⑴小学生時の養育認知 “応答性”と“統制”からなる養育態度尺度(中道・中澤,2003)を用いた(各5項目4件法)。⑵小学生時の養育者のしつけ 安香他(1990)の“望ましい行動(良)”と“望ましくない行動(悪)”を測定するしつけ尺度の一部を用いた(12項目5件法)。⑶中学生時の養育認知 “受容”(10項目)と“統制”(6項目)からなる養育認知尺度(姜・酒井,2006)を用いた(5件法)。
結果と考察
養育認知が立場(養育者,子)と発達段階(中学生,大学生)によって差異が見られるかを検討するため,各下位尺度得点について2×2の二要因混合計画による分散分析を実施した。その結果,立場の主効果はいずれも1%水準で有意であり,子どもよりも親の方が,各尺度得点が高かった。受容や応答性と統制のいずれも親の方が高く認識していたということは,自身の養育について子どもよりも,温かく且つ厳しく接していると認識していることを表す。親と子のどちらに認識のバイアスがかかっているのかについては同定できないが,親自身の方がより“しっかりと”しつけていると認識している傾向が見出されたと言える。発達段階の主効果については,中学生時の受容(F(1, 629)=51.41,ηp2=.076)と統制(F(1, 628)=29.67, ηp2=.045)及びしつけ(悪)(F(1, 621)=7.54, ηp2=.012)において,1%水準で大学生の方が得点が高かった。サンプリングの影響も考えられるが,青年期への移行に伴い親が子を褒める機会も叱る機会も減少するため,大学生親子では過去の経験がより強調されて回想された可能性もあるかもしれない。
次に親子間での養育認知の相関の,発達段階による差異の検討を行った。その結果,小学生時の統制のみ有意な差が見られ(Z=2.79, p<.01),中学生の親子間の相関(r=.24,95% CI [.13, .34], p<.01)の方が大学生(r=.02, 95% CI [-.09, .13], ns)よりも大きかった。親子間で養育認知が共有されている程度は全般的に弱いもので,その関連の強さは小学生時の統制を除き中学生と大学生とでほぼ同様であった。親自身の養育認知が子よりも底上げされるのと同様に,その背景には養育行動の解釈の違いが反映していることも考えられる。そうした認識の差異の原因について改めて検討する必要があるだろう。