[PG004] 中高一貫校における学校行事の集団社会化理論に基づく質的検討
生徒に対する教員の関わり方に着目して
キーワード:学校行事, 集団社会化理論, 教師
問題と目的
文化祭や体育祭などの学校行事は,クラスや学年といった制度的な集団枠組みを参加単位とし,集団ダイナミズムが顕在化する点に特徴がある(山田・藤田,1996; 山田,1997)。その活動は生涯にわたり子どもに影響を与え得る活動ともいわれている(柴崎,2009)。実際,中学・高校時代の学校行事体験は,活動から数年経過した大学生にとっては,自身の成長に有用なものとして意味づけられ得ることが示唆されている(河本,2014a)。
それでは,どのような学校行事体験が長期にわたり子どもの発達に影響を与え得るのだろうか。河本(印刷中)が大学生を対象に質的調査を行った結果,大学でも意味のあると言及される学校行事では,活動集団の凝集性が高く,リーダー等の役割についていること示唆された。
これに関連した理論的枠組みとしてJudith Rich Harrisの集団社会化理論(1995; 2006)をあげることができる。この理論では,仲間集団内で生じる自己の同化と差異化が,後の人格形成にまで長期にわたる影響をもたらすと提唱されており,このプロセスに教師が重要な役割を果たすとされていている(Harris,1995,2009)。
河本(2014b)では,この点に着目し,生徒の同化と差異化を促すために,中学の教員がどのような働きかけを行い,どのような点に意識しているのか質的調査を行った。その結果,同じ発達段階の生徒を相手にする中学校であっても,勤務している学校が学校行事にどの程度力をいれる場所であるかによって,その働きかけも異なる可能性が示唆された。
それでは,同化と差異化を促す教員の働きかけに関して,中学と中高一貫という学校種では,どのような違いが見られるのだろうか。中高一貫校では,中学の生徒とともに高校の生徒のことも目にしながら生徒に関与することとなる。中学の生徒のみを目にする教師と中学の生徒と高校の生徒療法の生徒に関わる教師とで,学校行事に関わる生徒への関わりは異なるのだろうか。異なるとすれば,どのような点で異なるのだろうか。
以上より,本研究では河本(2014b)を拡張し,集団社会化理論の視座から,生徒の長期的な発達に大きな影響を及ぼすと仮定される集団の中での自己の同化と差異化が,教師のどのような関与によって促進されるのかを中高一貫校の教員を対象として検討する。
方法
関東地方の中高一貫校の教員7名を対象に1対1の半構造化面接を行った。そこでは対象校の生徒の状況,学校行事の実施内容,そこでどのように関与しているかを質問した。同意を得た上で発話を録音した。面接時間は平均84分であった。
結果と考察
紙面の関係上,生徒の同化と差異化を促すと考えられた教員の関与方法として,河本(2014b)の分析でみられなかった結果を中心に記述する。
まず,同化を促す働きかけとして,新たに検討すべき知見として教員が「生徒と一緒になって作業する」という発話がみられた。教員が生徒と一緒になって作業をすることで,生徒が教員の方法を自然に学んでいくということを期待しているという。また,これと同様に卒業生を積極的に学校行事に取り込むことで,生徒が卒業生を見て学べる環境を整えようとする発言もみられた。Harris(1995)は教員は生徒集団に入ることはできない存在であると仮定していたが,生徒側から見たとき,教員や卒業生はどのような存在として捉えられているのだろうか。Harris(1995)の仮定したように,教員や卒業生など生徒集団に入らない存在は集団規範をつくる外的な存在なのだろうか。あるいは,同化する集団構成員の一人になるのだろうか。もし生徒からみて,教員や卒業生も同じ集団の一員と認識されるのであれば,ここでは同化の作用が働いているに違いない。これに関しては今後生徒の視点をとらえることで,さらなる検討が必要と考えられる。
一方,差異化に関しては,以下のような発言がみられた。中高一貫校の場合には,中学生と高校生が同じ学校行事に携わることがある。そのため,中学生がリーダーに立つ機会が少ないのだという。
そのため,中学生だけの学校行事を設定することで中学生にリーダー役を務める機会を与えているという。これは学校行事によって集団枠を変更することで,役割の差異化を流動的にし,上位の地位に立つ者を固定化しないようにする工夫といえる。このような工夫は,中高一貫校という学校の性質ならではのものであろう。
文化祭や体育祭などの学校行事は,クラスや学年といった制度的な集団枠組みを参加単位とし,集団ダイナミズムが顕在化する点に特徴がある(山田・藤田,1996; 山田,1997)。その活動は生涯にわたり子どもに影響を与え得る活動ともいわれている(柴崎,2009)。実際,中学・高校時代の学校行事体験は,活動から数年経過した大学生にとっては,自身の成長に有用なものとして意味づけられ得ることが示唆されている(河本,2014a)。
それでは,どのような学校行事体験が長期にわたり子どもの発達に影響を与え得るのだろうか。河本(印刷中)が大学生を対象に質的調査を行った結果,大学でも意味のあると言及される学校行事では,活動集団の凝集性が高く,リーダー等の役割についていること示唆された。
これに関連した理論的枠組みとしてJudith Rich Harrisの集団社会化理論(1995; 2006)をあげることができる。この理論では,仲間集団内で生じる自己の同化と差異化が,後の人格形成にまで長期にわたる影響をもたらすと提唱されており,このプロセスに教師が重要な役割を果たすとされていている(Harris,1995,2009)。
河本(2014b)では,この点に着目し,生徒の同化と差異化を促すために,中学の教員がどのような働きかけを行い,どのような点に意識しているのか質的調査を行った。その結果,同じ発達段階の生徒を相手にする中学校であっても,勤務している学校が学校行事にどの程度力をいれる場所であるかによって,その働きかけも異なる可能性が示唆された。
それでは,同化と差異化を促す教員の働きかけに関して,中学と中高一貫という学校種では,どのような違いが見られるのだろうか。中高一貫校では,中学の生徒とともに高校の生徒のことも目にしながら生徒に関与することとなる。中学の生徒のみを目にする教師と中学の生徒と高校の生徒療法の生徒に関わる教師とで,学校行事に関わる生徒への関わりは異なるのだろうか。異なるとすれば,どのような点で異なるのだろうか。
以上より,本研究では河本(2014b)を拡張し,集団社会化理論の視座から,生徒の長期的な発達に大きな影響を及ぼすと仮定される集団の中での自己の同化と差異化が,教師のどのような関与によって促進されるのかを中高一貫校の教員を対象として検討する。
方法
関東地方の中高一貫校の教員7名を対象に1対1の半構造化面接を行った。そこでは対象校の生徒の状況,学校行事の実施内容,そこでどのように関与しているかを質問した。同意を得た上で発話を録音した。面接時間は平均84分であった。
結果と考察
紙面の関係上,生徒の同化と差異化を促すと考えられた教員の関与方法として,河本(2014b)の分析でみられなかった結果を中心に記述する。
まず,同化を促す働きかけとして,新たに検討すべき知見として教員が「生徒と一緒になって作業する」という発話がみられた。教員が生徒と一緒になって作業をすることで,生徒が教員の方法を自然に学んでいくということを期待しているという。また,これと同様に卒業生を積極的に学校行事に取り込むことで,生徒が卒業生を見て学べる環境を整えようとする発言もみられた。Harris(1995)は教員は生徒集団に入ることはできない存在であると仮定していたが,生徒側から見たとき,教員や卒業生はどのような存在として捉えられているのだろうか。Harris(1995)の仮定したように,教員や卒業生など生徒集団に入らない存在は集団規範をつくる外的な存在なのだろうか。あるいは,同化する集団構成員の一人になるのだろうか。もし生徒からみて,教員や卒業生も同じ集団の一員と認識されるのであれば,ここでは同化の作用が働いているに違いない。これに関しては今後生徒の視点をとらえることで,さらなる検討が必要と考えられる。
一方,差異化に関しては,以下のような発言がみられた。中高一貫校の場合には,中学生と高校生が同じ学校行事に携わることがある。そのため,中学生がリーダーに立つ機会が少ないのだという。
そのため,中学生だけの学校行事を設定することで中学生にリーダー役を務める機会を与えているという。これは学校行事によって集団枠を変更することで,役割の差異化を流動的にし,上位の地位に立つ者を固定化しないようにする工夫といえる。このような工夫は,中高一貫校という学校の性質ならではのものであろう。