[PH046] 定時制高校における授業という発達の「場」
授業者と生徒による交流ノートの記述から
キーワード:発達, パフォーマンス, 弁証法的関係
【問題と目的】
教師は子供達の発達をどのように捉えるべきか?また,教師は一方的に子供達を発達させる存在なのだろうか?
Holzman(2008)は,人間の発達を「自分ではない誰かをパフォーマンスすることによって自分を創造する活動であり,ソロではなく,アンサンブル・パフォーマンスである」と定義した。人間の発達は弁証法的(Vygotsky,1986)であり,学校教育の場でいえば,教師と生徒の発達を切り離して捉えることはできない,ということになる。教師と生徒はそれぞれが各々の役割をパフォーマンスしており,そのことで授業という場(stage)を創造する。パフォーマンスし続けるその両者の集合的活動自体が,それぞれの未来の自分をふるまう発達の場であり,誰かが役割を降りて活動として成立しない場合には,発達の場は消えてしまう。
本研究ではこうした観点から,授業者である筆者の実践を記述し,授業という場で教師と生徒がどのようにパフォーマンスを生み出し,発達したか(又はしなかったか)を明らかにすることを目的とした。
【方 法】
筆者は関東圏内の定時制総合高等学校で講師として心理学に関わる内容を教えている。筆者と生徒は①90分間の授業と②授業用に独自に作成した「心のノート」を介して交流を行った。ノートには,授業開始時15分程度で1週間の振り返りを,授業終了時に5分程度で授業の感想を自由に記入させた。毎回の授業終了後,筆者が赤ペンで生徒の記述全てにコメントをつける作業(1人約10分~20分,1回の授業あたり約5時間)を毎週実施した。これは生徒にとって,「何か書いたら必ず返答がくる」という場をつくることを意図した。なお,本研究で用いたデータの使用については,最終回の授業(2015年2月)で生徒に同意を得た。
2014年7月,週に1回90分の授業×28回(通年)の内の11回目(夏休み前最後の授業)に,本校の3年生19名(男子9名・女子10名)を対象に性に関する授業を1時間実施した。授業内容は①性感染症予防啓発DVDの視聴(20分),②性感染症拡大を可視化するコップの水交換実験及びその解説(20分),③妊娠・避妊・人工妊娠中絶に関するスライド説明(20分)であった。授業後に感想を記述させた。それぞれに課題をもつ多様な生徒達に,この授業を通して性のリスクを低減させてもらいたいというのが,授業者の思いだった。
【結果と考察】
かれらの感想の内容は主に①知識の獲得や学習機会に関するもの,②過去・現在・未来といった時間軸に沿った自己の性に関するもの,③一般的な性に対する自己の捉え,④その他に分類された。以下,上記4分類の具体的な記述例を示す。
①「“アフターピル”があったことにびっくりしました。“中絶”しかないと思っていたので知れてすごく良かったです(A)」「自分があいまいに覚えている知識もあったのでいい機会になったと思う。「ウィルスは人を選ばない」確かにそうだ(B)」
②「もう半年以上もコンドームをしたことがありません。本当は子供が欲しいんです(C)」「自分も今までに男の人から生で,とか言われたことあって好きだから良いやと思った事もあったけど今考えたら心配だから病院いこうと思った(D)」「私は必ず着けてくれるけどもし今子供できたら産みたいと思うし (E)」「(性交の)知識がないまましてたから,これから彼氏が出来たときは気をつけてしようと思う!ゴムは本当に大事だし(F)」
③「セックスまじでこわい(G)」「性って奥が深いなぁって思った(H)」
④無記入(I)
性教育の実践後,1名を除き,生徒たちは上述のような多様な感想を記述した。放っておいたらしないことや考えないことに取り組む場が授業という学習環境であるならば,この一連の学習環境は上述のような性に関する個人的な思いを文章にするというパフォーマンスの原因となった。授業者である筆者はここからまた交流を続け,授業者として記述された内容全て(無記入のAを含む)にコメントを返答した。授業者にとっても生徒にとっても,何を書くのが正解というわけではなく,やりとりによって互いの記述を創造し,そのことで授業という場を維持していた。これは,教師と生徒が弁証法的な関係を維持し,共に変化し,自分ではない誰かをふるまう授業という発達の場がつくられたと解釈することができる。授業における呼掛けと応答の社会的デザインを両者の発達の機序としてとらえる見方を紹介し,誰が何を発達と捉えるべきかという議論の始発点としたい。
教師は子供達の発達をどのように捉えるべきか?また,教師は一方的に子供達を発達させる存在なのだろうか?
Holzman(2008)は,人間の発達を「自分ではない誰かをパフォーマンスすることによって自分を創造する活動であり,ソロではなく,アンサンブル・パフォーマンスである」と定義した。人間の発達は弁証法的(Vygotsky,1986)であり,学校教育の場でいえば,教師と生徒の発達を切り離して捉えることはできない,ということになる。教師と生徒はそれぞれが各々の役割をパフォーマンスしており,そのことで授業という場(stage)を創造する。パフォーマンスし続けるその両者の集合的活動自体が,それぞれの未来の自分をふるまう発達の場であり,誰かが役割を降りて活動として成立しない場合には,発達の場は消えてしまう。
本研究ではこうした観点から,授業者である筆者の実践を記述し,授業という場で教師と生徒がどのようにパフォーマンスを生み出し,発達したか(又はしなかったか)を明らかにすることを目的とした。
【方 法】
筆者は関東圏内の定時制総合高等学校で講師として心理学に関わる内容を教えている。筆者と生徒は①90分間の授業と②授業用に独自に作成した「心のノート」を介して交流を行った。ノートには,授業開始時15分程度で1週間の振り返りを,授業終了時に5分程度で授業の感想を自由に記入させた。毎回の授業終了後,筆者が赤ペンで生徒の記述全てにコメントをつける作業(1人約10分~20分,1回の授業あたり約5時間)を毎週実施した。これは生徒にとって,「何か書いたら必ず返答がくる」という場をつくることを意図した。なお,本研究で用いたデータの使用については,最終回の授業(2015年2月)で生徒に同意を得た。
2014年7月,週に1回90分の授業×28回(通年)の内の11回目(夏休み前最後の授業)に,本校の3年生19名(男子9名・女子10名)を対象に性に関する授業を1時間実施した。授業内容は①性感染症予防啓発DVDの視聴(20分),②性感染症拡大を可視化するコップの水交換実験及びその解説(20分),③妊娠・避妊・人工妊娠中絶に関するスライド説明(20分)であった。授業後に感想を記述させた。それぞれに課題をもつ多様な生徒達に,この授業を通して性のリスクを低減させてもらいたいというのが,授業者の思いだった。
【結果と考察】
かれらの感想の内容は主に①知識の獲得や学習機会に関するもの,②過去・現在・未来といった時間軸に沿った自己の性に関するもの,③一般的な性に対する自己の捉え,④その他に分類された。以下,上記4分類の具体的な記述例を示す。
①「“アフターピル”があったことにびっくりしました。“中絶”しかないと思っていたので知れてすごく良かったです(A)」「自分があいまいに覚えている知識もあったのでいい機会になったと思う。「ウィルスは人を選ばない」確かにそうだ(B)」
②「もう半年以上もコンドームをしたことがありません。本当は子供が欲しいんです(C)」「自分も今までに男の人から生で,とか言われたことあって好きだから良いやと思った事もあったけど今考えたら心配だから病院いこうと思った(D)」「私は必ず着けてくれるけどもし今子供できたら産みたいと思うし (E)」「(性交の)知識がないまましてたから,これから彼氏が出来たときは気をつけてしようと思う!ゴムは本当に大事だし(F)」
③「セックスまじでこわい(G)」「性って奥が深いなぁって思った(H)」
④無記入(I)
性教育の実践後,1名を除き,生徒たちは上述のような多様な感想を記述した。放っておいたらしないことや考えないことに取り組む場が授業という学習環境であるならば,この一連の学習環境は上述のような性に関する個人的な思いを文章にするというパフォーマンスの原因となった。授業者である筆者はここからまた交流を続け,授業者として記述された内容全て(無記入のAを含む)にコメントを返答した。授業者にとっても生徒にとっても,何を書くのが正解というわけではなく,やりとりによって互いの記述を創造し,そのことで授業という場を維持していた。これは,教師と生徒が弁証法的な関係を維持し,共に変化し,自分ではない誰かをふるまう授業という発達の場がつくられたと解釈することができる。授業における呼掛けと応答の社会的デザインを両者の発達の機序としてとらえる見方を紹介し,誰が何を発達と捉えるべきかという議論の始発点としたい。