The 57th meeting of the Japanese association of educational psychology

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準備委員会企画 シンポジウム

“Nothing about us without us!”がもたらすもの

障害者権利条約から見る特別支援教育

Thu. Aug 27, 2015 1:30 PM - 3:30 PM 201 (2階)

企画・司会:有川宏幸(新潟大学), 話題提供:神山忠#(岐阜特別支援学校), 周佐則雄#(ナマラエンターテイメント), 岩浪敏之#(K-BOX)

1:30 PM - 3:30 PM

[j-sym04] “Nothing about us without us!”がもたらすもの

障害者権利条約から見る特別支援教育

有川宏幸1, 神山忠#2, 周佐則雄#3, 岩浪敏之#4 (1.新潟大学, 2.岐阜特別支援学校, 3.ナマラエンターテイメント, 4.K-BOX)

Keywords:障害者権利条約, 障害者差別解消法, 合理的配慮

企画主旨
2006年,障害のある人の尊厳と権利を保障するための国際人権条約である「国連障害者の権利条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)」が採択された。
日本は2007年にこの条約に署名,2014年1月に批准書を国連に提出し,140番目の締約国となった。この批准までの間,国内法の整備が進められ,2013年,「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が可決,成立(2016年4月1日施行)するに至った。この法律は,障害者基本法第四条の「差別の禁止」を具体的に規定したものであり,「合理的配慮(reasonable accommodation)」をしないことは,「差別」にあたることを明記している。
障害者権利条約では「合理的配慮」を,「障害者が他の者と平等に全ての人権及び基本的自由を享有し,又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって,特定の場合において必要とされるものであり,かつ,均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」としている。
今,改めて障害者を取り巻く社会の在り方について議論が起こっている。特に「合理的配慮」については,その基本的考え方に従えば,障害を持つ者が,自身の権利を行使できる持続可能な社会構造を,どのようにデザインしようと考えているか,まずは「当事者の声を聴く」ことから始めなければならない。
しかし,わが国,特に「教育」においては,依然として「他の者」により,障害当事者にどのような環境整備,体制が必要となるのか,財政基盤に照らして検討しようとしている。
Nothing about us without us!(私たちのことを,私たち抜きで決めてくれるな!)。これは,1960年代にアメリカで始まった自立生活運動(Independent Living Movement)の中から出てきた言葉であり,障害者権利条約の制定過程においても,障害当事者の間で口々に叫ばれた重要なスローガンである。
さて,今,特別支援教育において,このスローガンに私たちはどれだけ耳を傾けているであろうか。また,これまで心理学は,彼らの「特異性」に焦点を当てながら,「彼ら」と「彼らの周囲」について研究を続けてきた。
しかし,私には一つの疑問がある。「仮に彼らが,私(たち)を対象に研究を行うと,一体どのような研究テーマを設定するであろうか。彼らは,私(たち)の中にどのような特異性を見るのだろうか?」。
我々,心理学を探求する者も,一度はそんなことを考えてみる必要があるのではないだろうか。それが今回の企画主旨である。

話題提供
神山忠(岐阜市立岐阜特別支援学校教諭)
1965生まれ。高校卒業後,陸上自衛隊に入隊。夜間短大に通いながら,教員免許取得。その後,中学校,小学校を経て,現在,特別支援学校で教員をしている。
学習障害(読字障害)がある。「文字を文字としてとらえる」「文字の音韻処理(音読)をすること」に困難があり,音読能力は小学2年生程度,黙読による意味理解能力は小学5年生程度である(読み上げてもらえれば,標準並みの理解は可能)。そのため文字中心の学習には困難があり,学齢期には,様々な辛い経験をしてきた。しかし,みんなと一緒に学びたい一心で「自分の特性に合った作戦」を見出してきた。この経験は,子ども達の学びの支援に活かされている。また,教師の学習障害への理解や具体的な支援を提案する上でも役立っている。
「学校は優劣をつけるところではなく,誰もが抱いている学びを保証するところである」と考えている。今の学校や教師の考える公平・平等には疑問を感じている。形が同じと言う公平・平等ではなく,学びの保障にこそ公平・平等であるべきだ。
今は,社会のシステムを作った側にとって住み易い社会になっている。それは経済面にも渡っており,負の連鎖をもたらしている。それを知りながら,自分たちの既得権益は保持したまま,施策を考えることには無理がある。それをわかっていながら,何故そこに手をつけようとしないのか。これでは,いつまでたっても,社会モデルが生み出す障害者は増える一方である。
こうした思いを,当事者ならではの感性で表現する講演活動をライフワークとして行っている。

周佐 則雄(ナマラエンターテイメント)
1975年生まれ。脳性麻痺により筋緊張が強く,動きは緩慢である。小学部4年から高等部まで養護学校。卒業後,国立職業リハビリテーションセンターに一年間入所。その後新潟で就職活動をしながら地元の福祉作業所に通っていたが,どうしてもやりたかった「声優」の道を探しに入る。その時,勘違いで入ったサークルがきっかけで,FM新津「ラヂヲ暗愚王」のレギュラーとなる。またこの時期,舞台などの表現活動を始める。
10年前,障害者らのパフォーマンスイベントで養護学校時代の先輩,DAIGOさんと再会。この時,お笑い好きのDAIGOさんから強引に誘われ,お笑いコンビ「脳性マヒブラザーズ」を結成,地元での活動を始める。
自らの障害である「脳性麻痺」をネタにするコントで注目されるようになる。2010年,NHKのEテレ「SHOW-1グランプリ」で,初代グランプリになる。
患者役のDAIGOさんが「手が動かない。体も震える。うまくしゃべれない。風邪だと思う」と言うのに対して,「風邪じゃなくて,脳性麻痺ですね!」と返すネタに,賛否両論が巻き起こる。「本人が納得しているのであればよいのでは」という賛成意見から,「障害を笑いにすれば,その障害の人を笑うようになってしまうのではないか」といった反対意見もあったが,多くは肯定的意見であった。
健常者,障害者問わず,様々な反応があったが,「障害も個性の一つ」と受け流し,「同情や感動ではなく,ネタで笑ってもらいたい」と言う信念でやっている。
昨年は映画「抱きしめたい」に,障害があるヒロインの友人役で役者デビューした。映画の中でも,持ちネタも披露している。笑いで障害者を取り巻くバリアを取り除こうと活動している。

岩浪 敏之(K-BOX)
1975年生まれ。5年前にアスペルガー障害の診断を受ける。
小学生のころから迷路やアミダくじを真っ白な自由帳に描くのが好きな子だった。高校で美術部に入部し,初めて油絵を描く。2年時に描いた作品「2人のおばあちゃん」が,新潟県代表に選ばれ全国高校文化祭に出場。大学は美術系も考えたが,父親の説得に折れ経営学部に入学。大学入学後も,美術部で油絵や陶芸を続ける。ものづくりの楽しさを肌で感じた。大学はなんとかギリギリ卒業したものの,その後,10年近くは「まだら引きこもり」となる。調子が良い時は扇風機や食品工場の派遣などするも,長続きはしなかった。
「こわれものの祭典」を初めて観て,そこで月乃光司さんやKaccoさんたちによる,生きづらさを表現に変えるライヴに衝撃を受ける。現在は,引きこもり経験者と心の病を抱えるアート音楽パフォーマンス集団「K-BOX」に所属。ライヴ活動を行っている。
日々情報や技術,常識や新しい概念,しくみが更新している時代に生きていると感じるわたしにとって,学校はまるで大量生産された既成の服をひとりひとりにあてはめる工場の様なイメージである。
そして,規格にはずれたら社会から排除する力が働き,それを正当化する論理が働いている。しかし,この規格が「誰の,どう言った都合によるものなのか」を考えることも大事なのではないかと日々感じている。
また,現代の文明というマクロな生活習慣は,必ずしも,ひとりひとりの生活習慣を反映しているものではないはすである。
人間は元々地球に生きる生き物にすぎない。にもかかわらず,情報やシステムの陳腐化が進み,多くの既成概念を作り出し,それが結局は自らを縛る牢獄となることも知るべきである。当事者研究や,患者学のような双方向の視点を通して,個人のありのままの存在を見ていくことも必要ではないか。