16:00 〜 18:30
[k-sym02] 子どもの発達にとって「貧困問題」とは何か
キーワード:貧困, 相対的剥奪, アロケア
企画の趣旨
わが国の子ども(18歳未満)の貧困率が16.3%に達した。実に6人に1人の子どもが貧困線以下の生活を余儀なくなされている。0~2歳児を持つ家庭,そして,ひとり親家庭の状況はさらに深刻であると指摘されてもいる。しかも,貧困率は上昇していることが報告された。所得を再分配しても,ほとんど状況が改善されないという不可思議なことも,わが国ではおこっている。欧米の実証的資料は,貧困が子どもの発達に深刻なダメージを与えていることを明確にし,状況を改善するプロジェクトが検討されている。これに対して,わが国の心理学者は貧困問題に積極的にとりくんでいるとは言い難い。このシンポジウムでは,研究や実践をとおして「貧困問題」に取り組んでいる4名の話題提供者と1名の指定討論者によって,「貧困問題」とは何であるか,どのような対処・政策が有効か,について議論する。
具体的には,保育・教育現場で何がこっているか,保育者に求められているものは何か(金田利子),貧困の指標としての相対的剥奪についての市民の意識はどのようなものか(平井美佳),生れた家族のもとで育つことのできない子どもを養育する仕組みである社会的養護の課題と可能性について(平田修三),そして,子どもの貧困対策に取り組んでいる立場から,わが国の貧困対策の現状と問題を指摘する(湯澤直美)。これらの4つの話題提供を受けて,教育学者の藤田英典が「貧困問題」について総括し,現状打開の可能性について論じる。
1.今,保育・幼児教育現場で何が起こっているか
金田利子
子どもの権利条約等で規定している教育・生活等の平等が,子どもの育成過程において実現されていないこと,これが教育における「貧困問題」だと言える。
保育・幼児教育現場では 子どもの貧困は,深刻な事態を内包していても,子どもが一見元気な場合,一歩生活の中に入ってみないと,それが外から見えにくい。また,貧困の様相とその原因は,乳幼児の生活の場である家族問題と絡んで多岐にわたっており,園生活の中にも反映される。
「家族主義」の弊害 問題は,「本質的に経済資源・文化資源などの『不平等性』から逃れられない」(小西,2012)とされる「家族」に,子育てを任せてしまっている「家族主義」を基にした政策にあるように思われる。基盤が弱く(牟田,2010),「不平等性の」付きまとう「家族」に「家族の教育機能の拡大」を求めていく中で,「ジェンダー」問題とも相俟って「ライフチャンスの不平等性」が起こり,「子どもの貧困」が拡大再生産されていく。児童福祉法の総則において,すべての児童の生活保障と愛護への平等性を規定し,かつ児童の育成責任は「保護者とともに国及び,地方公共団体にある」と明確に謳っているにもかかわらず,母子家庭の多くが「子どもの貧困」状況になるのは,子育ちを社会の責任としてではなく,「家族」に任せていることの証拠ではないだろうか。
保育者に求められるもの したがって保育者には,表面だけで見ずに背景を読み取る力量と,そしてそれを福祉や医療行政につなげて行く知見が求められる。保育・教育現場では今そうした事態と格闘しつつ実践を積み上げてきている。ここから,教育心理学での課題を考えていきたい。
2.「相対的剥奪」についての市民の合意
平井美佳
相対的貧困を捉える指標として提唱された「相対的剥奪(relative deprivation)」を測定する「社会的必需品」についての市民の合意についての研究を紹介し,問題を提起する。
相対的剥奪とは Townsend (1974)は相対的剥奪を「人々がその社会で,通常手にいれることのできる栄養,衣服,住宅,居住設備,就労,環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いたり,一般に経験されているか享受されている雇用,職業,教育,レクリエーション,家族での活動,社会活動や社会関係に参加できない,ないしはアクセスできない状態」と定義した。そして,何をその社会における「社会的必需品」とするかについては,その社会の人々の合意によるのがよいという合意基準が提案されている。阿部(2008)は,わが国での合意率はイギリスなどに比べて低いと指摘している。
社会的必需品についての合意 乳幼児(0~6歳)の養育環境に関する知見を整理し,「現在の日本の子どもが健康に育つために必要である項目」のリストを作成し,これを用いて,数種の市民のグループに,各項目が子どもの発達にとって必須であると思うかについてたずねた(平井ほか,2015)。全国の市民1,000名のネット調査では,合意が基準を超えた項目(democratic majorityとされる50%以上の市民が「ぜひ必要である」とした項目)は9項目のみであった。
低い合意の解明へ なぜ,市民は自分の子どもには充たしている「社会的必需品」を「すべての子どもに与えられるべきである」とは考えないのであろうか。筆者らは,日本人の家族中心主義,自己責任論などの素朴信念,社会の仕組みや規則についての社会認識の理解の内容の解明が,この問題を解く鍵になるのではないかと考えている。
3.社会的養護における貧困問題と当事者活動の可能性
平田修三
生まれた家族のもとで育つことのできない子どもを社会的に養育する仕組みを社会的養護という。社会的養護のもとで暮らす子どもの実際と彼らの当事者活動について紹介する。
アロケアとは 親以外の他者による養育はアロケア(allocare)と呼ばれる。社会的養護は制度化されたアロケアとしてとらえることができる(平田・根ヶ山,2012)。社会的養護に限らず,人間の子どもの養育には,隣人や保育者,専門家など多様な人たちが関わるため,人間はアロケアを発達させてきた動物だと考えられる。
子育ては母の手でという社会規範 近年は母子の孤立化が進み,社会的養護において,子どもの貧困など社会的不利と困難が集中的かつ複合的に現れることが指摘されている(松本,2008)。この背景には,制度的な不備に加えて,いわゆる「三歳児神話」に代表されるような,子育ては母親自らが責任をもって行うべきであるという社会的規範意識がその根底にあると考えられる。
社会的養護と貧困 社会的養護のもとで暮らす子どもが発達の過程で直面する問題を検討すると,子どもが社会的養護に到る経緯,社会的養護下における生活,自立後に直面する状況などで起こっている問題の多くが,「貧困」と結びついていることがわかる。加えて,子どもたちは「生まれた家族のもとで育つ(育った)者ではない」ことを理由とする,社会からの無理解や偏見にさらされやすいのである。
当事者による活動 そうした現状を打破する動きとして,日本では2000年頃から各地で立ち上げられた,児童養護施設退所者を中心とする当事者活動が注目される。当事者活動では,ピアサポート,当事者の声の普及・啓発,政策への提言などが行われている。これらの活動は現行の社会的養護を改善させ,さらに社会の意識を変えていく可能性を持っている。フィールドワークを通して得られた知見をもとに,当事者活動の実際と可能性についても報告したい。
4.子どもの貧困対策の動向と支援策の課題
湯澤直美
「子どもの貧困対策推進法」及び「子供の貧困対策に関する大綱」を概観し,その特徴と課題を整理する。そのうえで,支援策について検討する。
「子供の貧困対策に関する大綱」 先進諸国における「子どもの貧困」が社会問題化するなか,日本においては2013年6月に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が制定され,2014年8月には「子供の貧困対策に関する大綱」が策定された。法律に基づき政府による施策が講じられるとともに,都道府県子どもの貧困対策計画の立案により,自治体における子どもの貧困対策が施行されることになる。しかし,極めて短期間の国会審議により法律は可決され,法律施行後に開催された「子どもの貧困対策に関する検討会」も4回のみの開催をもって終結した。その後,検討会でとりまとめられた「大綱案に盛り込むべき事項」に対する意見募集が行われたものの,わずか9日間での実施であった。そのため,法律・大綱策定過程において,“そもそも何をもって子どもの貧困対策というのか”という基本認識が十分に共有されず,市民による合意形成も不十分であった。
わが国の子どもの貧困の支援策 そもそも,日本においては,「子どもの貧困」の緩和/解決に焦点化した政策的関心は薄く,それに伴い貧困に晒されている子ども・子育て家庭への実践プログラムも未成熟であった。近年では,社会福祉基礎構造改革など社会福祉の現代的再編により,「自立支援」が社会福祉の主要な機能とみなされるようになる。そこでは,就労促進による自立が強調され,個人の意欲に依拠した就労支援策が展開されている。そのような政策動向は,脆弱な社会経済階層にある家族の子育てや親子関係に,よりひずみを大きくさせている。貧困に晒される子ども・子育て世帯への支援策にいかなるアプローチが必要かを検討し,社会福祉の視角から“子どもの貧困問題とソーシャルワーク”の可能性を模索する。
わが国の子ども(18歳未満)の貧困率が16.3%に達した。実に6人に1人の子どもが貧困線以下の生活を余儀なくなされている。0~2歳児を持つ家庭,そして,ひとり親家庭の状況はさらに深刻であると指摘されてもいる。しかも,貧困率は上昇していることが報告された。所得を再分配しても,ほとんど状況が改善されないという不可思議なことも,わが国ではおこっている。欧米の実証的資料は,貧困が子どもの発達に深刻なダメージを与えていることを明確にし,状況を改善するプロジェクトが検討されている。これに対して,わが国の心理学者は貧困問題に積極的にとりくんでいるとは言い難い。このシンポジウムでは,研究や実践をとおして「貧困問題」に取り組んでいる4名の話題提供者と1名の指定討論者によって,「貧困問題」とは何であるか,どのような対処・政策が有効か,について議論する。
具体的には,保育・教育現場で何がこっているか,保育者に求められているものは何か(金田利子),貧困の指標としての相対的剥奪についての市民の意識はどのようなものか(平井美佳),生れた家族のもとで育つことのできない子どもを養育する仕組みである社会的養護の課題と可能性について(平田修三),そして,子どもの貧困対策に取り組んでいる立場から,わが国の貧困対策の現状と問題を指摘する(湯澤直美)。これらの4つの話題提供を受けて,教育学者の藤田英典が「貧困問題」について総括し,現状打開の可能性について論じる。
1.今,保育・幼児教育現場で何が起こっているか
金田利子
子どもの権利条約等で規定している教育・生活等の平等が,子どもの育成過程において実現されていないこと,これが教育における「貧困問題」だと言える。
保育・幼児教育現場では 子どもの貧困は,深刻な事態を内包していても,子どもが一見元気な場合,一歩生活の中に入ってみないと,それが外から見えにくい。また,貧困の様相とその原因は,乳幼児の生活の場である家族問題と絡んで多岐にわたっており,園生活の中にも反映される。
「家族主義」の弊害 問題は,「本質的に経済資源・文化資源などの『不平等性』から逃れられない」(小西,2012)とされる「家族」に,子育てを任せてしまっている「家族主義」を基にした政策にあるように思われる。基盤が弱く(牟田,2010),「不平等性の」付きまとう「家族」に「家族の教育機能の拡大」を求めていく中で,「ジェンダー」問題とも相俟って「ライフチャンスの不平等性」が起こり,「子どもの貧困」が拡大再生産されていく。児童福祉法の総則において,すべての児童の生活保障と愛護への平等性を規定し,かつ児童の育成責任は「保護者とともに国及び,地方公共団体にある」と明確に謳っているにもかかわらず,母子家庭の多くが「子どもの貧困」状況になるのは,子育ちを社会の責任としてではなく,「家族」に任せていることの証拠ではないだろうか。
保育者に求められるもの したがって保育者には,表面だけで見ずに背景を読み取る力量と,そしてそれを福祉や医療行政につなげて行く知見が求められる。保育・教育現場では今そうした事態と格闘しつつ実践を積み上げてきている。ここから,教育心理学での課題を考えていきたい。
2.「相対的剥奪」についての市民の合意
平井美佳
相対的貧困を捉える指標として提唱された「相対的剥奪(relative deprivation)」を測定する「社会的必需品」についての市民の合意についての研究を紹介し,問題を提起する。
相対的剥奪とは Townsend (1974)は相対的剥奪を「人々がその社会で,通常手にいれることのできる栄養,衣服,住宅,居住設備,就労,環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いたり,一般に経験されているか享受されている雇用,職業,教育,レクリエーション,家族での活動,社会活動や社会関係に参加できない,ないしはアクセスできない状態」と定義した。そして,何をその社会における「社会的必需品」とするかについては,その社会の人々の合意によるのがよいという合意基準が提案されている。阿部(2008)は,わが国での合意率はイギリスなどに比べて低いと指摘している。
社会的必需品についての合意 乳幼児(0~6歳)の養育環境に関する知見を整理し,「現在の日本の子どもが健康に育つために必要である項目」のリストを作成し,これを用いて,数種の市民のグループに,各項目が子どもの発達にとって必須であると思うかについてたずねた(平井ほか,2015)。全国の市民1,000名のネット調査では,合意が基準を超えた項目(democratic majorityとされる50%以上の市民が「ぜひ必要である」とした項目)は9項目のみであった。
低い合意の解明へ なぜ,市民は自分の子どもには充たしている「社会的必需品」を「すべての子どもに与えられるべきである」とは考えないのであろうか。筆者らは,日本人の家族中心主義,自己責任論などの素朴信念,社会の仕組みや規則についての社会認識の理解の内容の解明が,この問題を解く鍵になるのではないかと考えている。
3.社会的養護における貧困問題と当事者活動の可能性
平田修三
生まれた家族のもとで育つことのできない子どもを社会的に養育する仕組みを社会的養護という。社会的養護のもとで暮らす子どもの実際と彼らの当事者活動について紹介する。
アロケアとは 親以外の他者による養育はアロケア(allocare)と呼ばれる。社会的養護は制度化されたアロケアとしてとらえることができる(平田・根ヶ山,2012)。社会的養護に限らず,人間の子どもの養育には,隣人や保育者,専門家など多様な人たちが関わるため,人間はアロケアを発達させてきた動物だと考えられる。
子育ては母の手でという社会規範 近年は母子の孤立化が進み,社会的養護において,子どもの貧困など社会的不利と困難が集中的かつ複合的に現れることが指摘されている(松本,2008)。この背景には,制度的な不備に加えて,いわゆる「三歳児神話」に代表されるような,子育ては母親自らが責任をもって行うべきであるという社会的規範意識がその根底にあると考えられる。
社会的養護と貧困 社会的養護のもとで暮らす子どもが発達の過程で直面する問題を検討すると,子どもが社会的養護に到る経緯,社会的養護下における生活,自立後に直面する状況などで起こっている問題の多くが,「貧困」と結びついていることがわかる。加えて,子どもたちは「生まれた家族のもとで育つ(育った)者ではない」ことを理由とする,社会からの無理解や偏見にさらされやすいのである。
当事者による活動 そうした現状を打破する動きとして,日本では2000年頃から各地で立ち上げられた,児童養護施設退所者を中心とする当事者活動が注目される。当事者活動では,ピアサポート,当事者の声の普及・啓発,政策への提言などが行われている。これらの活動は現行の社会的養護を改善させ,さらに社会の意識を変えていく可能性を持っている。フィールドワークを通して得られた知見をもとに,当事者活動の実際と可能性についても報告したい。
4.子どもの貧困対策の動向と支援策の課題
湯澤直美
「子どもの貧困対策推進法」及び「子供の貧困対策に関する大綱」を概観し,その特徴と課題を整理する。そのうえで,支援策について検討する。
「子供の貧困対策に関する大綱」 先進諸国における「子どもの貧困」が社会問題化するなか,日本においては2013年6月に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が制定され,2014年8月には「子供の貧困対策に関する大綱」が策定された。法律に基づき政府による施策が講じられるとともに,都道府県子どもの貧困対策計画の立案により,自治体における子どもの貧困対策が施行されることになる。しかし,極めて短期間の国会審議により法律は可決され,法律施行後に開催された「子どもの貧困対策に関する検討会」も4回のみの開催をもって終結した。その後,検討会でとりまとめられた「大綱案に盛り込むべき事項」に対する意見募集が行われたものの,わずか9日間での実施であった。そのため,法律・大綱策定過程において,“そもそも何をもって子どもの貧困対策というのか”という基本認識が十分に共有されず,市民による合意形成も不十分であった。
わが国の子どもの貧困の支援策 そもそも,日本においては,「子どもの貧困」の緩和/解決に焦点化した政策的関心は薄く,それに伴い貧困に晒されている子ども・子育て家庭への実践プログラムも未成熟であった。近年では,社会福祉基礎構造改革など社会福祉の現代的再編により,「自立支援」が社会福祉の主要な機能とみなされるようになる。そこでは,就労促進による自立が強調され,個人の意欲に依拠した就労支援策が展開されている。そのような政策動向は,脆弱な社会経済階層にある家族の子育てや親子関係に,よりひずみを大きくさせている。貧困に晒される子ども・子育て世帯への支援策にいかなるアプローチが必要かを検討し,社会福祉の視角から“子どもの貧困問題とソーシャルワーク”の可能性を模索する。