10:00 〜 12:00
[JA03] 学習者の「問い」に基づいた授業実践は何をもたらすか
「質問力」の育成は自律的な学習者を育てるのか
キーワード:質問力, 問い, 自律的
企画の主旨
昨今の教育においては,アクティブ・ラーニングに代表されるように,教員が学習者に知識を伝える「知識伝達型」の授業から,学習者が知識を活用することを重視した「知識活用型」の授業へのシフトが起きている。
学習者が知識を活用し,自発的に考えるようになるためには,学習者自身が「問い」を持つことが重要である。学習者の側に「問い」があれば,その「問い」の答えを求めたいという知的好奇心が高まり,知識を活用した「探究的な学習」が行われるきっかけとなる。そして,「問い」の答えを求め学習が,さらなる「問い」を生み出し,学習自身が自発的に考える,「自律的な学習」にもつながる。
しかし,小学校から大学までの教育を振り返った時に,学習者の「問い」を大切にし,「問い」を基にした授業実践や,学習者の「問う」力を育成するための工夫がなされた授業は少ない。
そこで,本シンポジウムでは,学習者の「問う力」を伸ばし,自ら考えることのできる学習者を育成するために学校教育は何ができるか,日本の教育が「知識伝達型」の授業から「知識活用型」の授業へ変化した先には何があるのかを,フロアーの皆さまと討論していきたい。
既有知識を活性化している問いは?
たなかよしこ(日本工業大学)
授業でよく見られる風景をまずここで共有したいと思う。多くの教室活動では,教師が説明をする。教師は学習者が理解したかを確認する。その確認のために,教師が(学習者が理解しているかを確認する)質問をする。学習者が教師の問いに,正確に解答する。そのことで授業内容を学習者が理解していると教師が判断する。このような展開は,新たなことを学ぶプロセスではよく見られる授業進行である。そして,この繰り返しは初等教育から高等教育まで継続している。
さて,ここで教育現場を離れ,仕事場ではどういうことが起こるのかを,社員教育に関わった経験から説明を試みたい。あくまでサラリーマンという会社に所属するレベルでの仕事について述べる。会社には会計年度として決算に合わせて動く点は確かにある。しかし,学校のように年度が改まったからと言ってすべてが一新するわけではない。新入社員が入ってくるタイミングに合わせて,会社全体の仕事を調整することもしない。つまり,既に流れている業務の中に,人が入っていくことになる。一通りの社員教育は1~6か月程度はあったとしても,その社員にできる内容の仕事を吟味してその仕事を任せるようにする,という教育現場のような個々に応じた難易度の仕事を丁寧に吟味するという余裕は多くはない。
では,そこで必要な力とは何かというと,適切な問いを,適切な人に,適切なタイミングで聞ける力が必要不可欠になる。会社は会社毎に常識もルールも暗黙知も異なる。その中で自分の力を発揮するためには,問う力が必要なのは言うまでもない。それでは,どうやってその力を養うのか,そのことをこの場で議論をしたい。
小学校の道徳教育における「児童の問いに基づく授業実践」は,児童に何をもたらすのか?
小山義徳(千葉大学)
「問う力」をつける教育は,どの時期からはじめればよいのだろうか。本発表では,小学校3年生の道徳の授業で,児童の「問う力」を伸ばす実践が,児童に何をもたらしたかについて報告する。
小学校3年生の「泣いたあかおに」を用いた道徳の授業を2時間構成で,「質問作成群」,「教師群」,「選択群」3つのクラスで行った。「質問作成群」では,児童が自分で作成した問いに基づき,同様の問いを作ったクラスメートとグループになってもらい,グループディスカッションを行った。「教師群」では,児童は教師が提示した問いについて,グループディスカッションを行った。「選択群」では,教師が提示した「問い」の中から,児童が1つ選びグループディスカッションを行った。
その結果,「教師群」と「選択群」と比較して,「質問作成群」は発話量が多くなることが明らかになった。また,発話の質の分析を行った結果,他の2群と比較して「生成」群の児童の発話に占める「深い」発話の割合が高いことが分かった。このことから,「問う力」のトレーニングは,小学校の3年生の段階でも可能であることが明らかになった。当日は,学校教育において,児童・生徒の「問う力」を育成することの是非について,フロアーの方々と議論したい。
「問う」ための言語はいつどのように獲得されるのか
河住有希子(日本工業大学)
何かに着目し,疑問をもち,問いを立てることの出発点には,対象となる事物への観察がある。観点をもたず漫然と眺めたものに対しては,相応のぼんやりとした思いが生じることに留まるであろう。一方で,事物を詳細に観察し,要素となるものを見つけ出し,要素ごとの関係や全体の中での各要素の位置づけを捉えることは,問うことの基盤となるのではなかろうか。
例えば,工学部の実験科目においては,実験で得られた情報を的確に記録し,理論と照らしあわせて相違点を明らかにすることにより,吟味すべき点が明らかになる。社会生活においても,誰がどのような役割を担って今の状況があるのかを捉えようとすることで,誰に何を質問するのか,自分はどのような役割を担うのかを考えることにもつながる。
では,問うための観察,観察したことを吟味するための記録,記録したことを組み立てて全体を説明するための言語の力,そして「問い」をたてる言語とは,どのようなものである,いつどのように獲得されるのであろうか。
本発表では,工学を専門とする大学生を対象とした学習基盤科目において,学生が事物を観察し,観察した中身を記述し,より厳密な観察となるよう推敲する過程を取り上げる。
問うための材料を集めて組み立てる力,言語によって問いを明確にしていく力の育成,そして,問いを明確にしていくことが学生にとってどのような意味をもつか等を議論するための話題提供としたい。
学習者の「問い」と「21世紀型能力」について
野崎浩成(愛知教育大学)
科目を横断するコンピテンシー(汎用的なスキル)として,問題解決能力,論理的思考,コミュニケーション,チームワーク,メタ認知,自己調整,内省,批判的思考などが求められるようになってきた。それに関連して,「21世紀型能力」として,「思考力」「基礎力」「実践力」を挙げている(国立教育政策研究所2013)。
学習者自身が「問い」を持つこと,すなわち,学んだ内容について自ら問題を作り,その解答例を考えるという作問演習は,①学びの振り,②自己説明,③知識の構造化/外言化,④メタ認知などを促し,より「深い」水準の処理が行わる学習方略といえる。そこで,本話題提供では,「21世紀型能力」と学習者の「問い」との関係について,心理学的な視点から考察する。
「気づき」が生み出す「問い」と,その先にある学びの「必然性」
中山 晃(愛媛大学)
私たちは生活の中で,様々なことに気づき,「なぜだろう?」という「問い」を抱く。しかしながら,日々の忙しさ(多忙な仕事)の中で,そうした疑問は,往々にして,(調べるのが面倒なので)棚上げしてしまう。一方,学校など学びを主たる目的とする環境においては,そうした「問い」は,児童・生徒・学生にとって,学びに「必然性」を与える重要なファクターとなる。
本発表では,英語教育を取り上げ,特に小学校外国語活動と大学英語教育について,学びの「必然性」を生み出すまでの,気づきと発問のプロセスについての実践報告を紹介する。
例えば,現行の小学校外国語活動においては,「文字指導」と「文法指導」が行われていないが,実は,日本語と英語の言語学的な様々な相違点に気づいている児童・生徒は多い。すなわち,そうした気づきが中学校に入学してから英語を学ぶ際の「問い」となり,英語を学ぶ必然性の一つとなっている。
ところが,大学の英語の授業では,高校受験・大学受験を終えた学生が,我が国のような外国語としての英語学習環境の中で,「なぜ英語を学ぶのか?」という根本的な問いを発し,そこに自分なりの必然性を見いだせた者だけが,継続した英語学習を可能にしているという現状がある。
外国語学習の目的が,他国の科学技術・文化の知見や知識を学ぶことから,個人の意見あるいは自国の科学技術・文化の発信することに転換しつつある現在,「問う力」の育成が,いかに我が国の英語教育に示唆を与えるのか,フロアーの方との議論を通して,その方向性や視点を検討したい。
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本シンポジウムはJSPS科研費(基盤A)
”Understanding, measuring, and promoting crucial 21st century skills: Global communication, deep learning, and critical thinking competencies”(15HOI976)の助成を受けた。
昨今の教育においては,アクティブ・ラーニングに代表されるように,教員が学習者に知識を伝える「知識伝達型」の授業から,学習者が知識を活用することを重視した「知識活用型」の授業へのシフトが起きている。
学習者が知識を活用し,自発的に考えるようになるためには,学習者自身が「問い」を持つことが重要である。学習者の側に「問い」があれば,その「問い」の答えを求めたいという知的好奇心が高まり,知識を活用した「探究的な学習」が行われるきっかけとなる。そして,「問い」の答えを求め学習が,さらなる「問い」を生み出し,学習自身が自発的に考える,「自律的な学習」にもつながる。
しかし,小学校から大学までの教育を振り返った時に,学習者の「問い」を大切にし,「問い」を基にした授業実践や,学習者の「問う」力を育成するための工夫がなされた授業は少ない。
そこで,本シンポジウムでは,学習者の「問う力」を伸ばし,自ら考えることのできる学習者を育成するために学校教育は何ができるか,日本の教育が「知識伝達型」の授業から「知識活用型」の授業へ変化した先には何があるのかを,フロアーの皆さまと討論していきたい。
既有知識を活性化している問いは?
たなかよしこ(日本工業大学)
授業でよく見られる風景をまずここで共有したいと思う。多くの教室活動では,教師が説明をする。教師は学習者が理解したかを確認する。その確認のために,教師が(学習者が理解しているかを確認する)質問をする。学習者が教師の問いに,正確に解答する。そのことで授業内容を学習者が理解していると教師が判断する。このような展開は,新たなことを学ぶプロセスではよく見られる授業進行である。そして,この繰り返しは初等教育から高等教育まで継続している。
さて,ここで教育現場を離れ,仕事場ではどういうことが起こるのかを,社員教育に関わった経験から説明を試みたい。あくまでサラリーマンという会社に所属するレベルでの仕事について述べる。会社には会計年度として決算に合わせて動く点は確かにある。しかし,学校のように年度が改まったからと言ってすべてが一新するわけではない。新入社員が入ってくるタイミングに合わせて,会社全体の仕事を調整することもしない。つまり,既に流れている業務の中に,人が入っていくことになる。一通りの社員教育は1~6か月程度はあったとしても,その社員にできる内容の仕事を吟味してその仕事を任せるようにする,という教育現場のような個々に応じた難易度の仕事を丁寧に吟味するという余裕は多くはない。
では,そこで必要な力とは何かというと,適切な問いを,適切な人に,適切なタイミングで聞ける力が必要不可欠になる。会社は会社毎に常識もルールも暗黙知も異なる。その中で自分の力を発揮するためには,問う力が必要なのは言うまでもない。それでは,どうやってその力を養うのか,そのことをこの場で議論をしたい。
小学校の道徳教育における「児童の問いに基づく授業実践」は,児童に何をもたらすのか?
小山義徳(千葉大学)
「問う力」をつける教育は,どの時期からはじめればよいのだろうか。本発表では,小学校3年生の道徳の授業で,児童の「問う力」を伸ばす実践が,児童に何をもたらしたかについて報告する。
小学校3年生の「泣いたあかおに」を用いた道徳の授業を2時間構成で,「質問作成群」,「教師群」,「選択群」3つのクラスで行った。「質問作成群」では,児童が自分で作成した問いに基づき,同様の問いを作ったクラスメートとグループになってもらい,グループディスカッションを行った。「教師群」では,児童は教師が提示した問いについて,グループディスカッションを行った。「選択群」では,教師が提示した「問い」の中から,児童が1つ選びグループディスカッションを行った。
その結果,「教師群」と「選択群」と比較して,「質問作成群」は発話量が多くなることが明らかになった。また,発話の質の分析を行った結果,他の2群と比較して「生成」群の児童の発話に占める「深い」発話の割合が高いことが分かった。このことから,「問う力」のトレーニングは,小学校の3年生の段階でも可能であることが明らかになった。当日は,学校教育において,児童・生徒の「問う力」を育成することの是非について,フロアーの方々と議論したい。
「問う」ための言語はいつどのように獲得されるのか
河住有希子(日本工業大学)
何かに着目し,疑問をもち,問いを立てることの出発点には,対象となる事物への観察がある。観点をもたず漫然と眺めたものに対しては,相応のぼんやりとした思いが生じることに留まるであろう。一方で,事物を詳細に観察し,要素となるものを見つけ出し,要素ごとの関係や全体の中での各要素の位置づけを捉えることは,問うことの基盤となるのではなかろうか。
例えば,工学部の実験科目においては,実験で得られた情報を的確に記録し,理論と照らしあわせて相違点を明らかにすることにより,吟味すべき点が明らかになる。社会生活においても,誰がどのような役割を担って今の状況があるのかを捉えようとすることで,誰に何を質問するのか,自分はどのような役割を担うのかを考えることにもつながる。
では,問うための観察,観察したことを吟味するための記録,記録したことを組み立てて全体を説明するための言語の力,そして「問い」をたてる言語とは,どのようなものである,いつどのように獲得されるのであろうか。
本発表では,工学を専門とする大学生を対象とした学習基盤科目において,学生が事物を観察し,観察した中身を記述し,より厳密な観察となるよう推敲する過程を取り上げる。
問うための材料を集めて組み立てる力,言語によって問いを明確にしていく力の育成,そして,問いを明確にしていくことが学生にとってどのような意味をもつか等を議論するための話題提供としたい。
学習者の「問い」と「21世紀型能力」について
野崎浩成(愛知教育大学)
科目を横断するコンピテンシー(汎用的なスキル)として,問題解決能力,論理的思考,コミュニケーション,チームワーク,メタ認知,自己調整,内省,批判的思考などが求められるようになってきた。それに関連して,「21世紀型能力」として,「思考力」「基礎力」「実践力」を挙げている(国立教育政策研究所2013)。
学習者自身が「問い」を持つこと,すなわち,学んだ内容について自ら問題を作り,その解答例を考えるという作問演習は,①学びの振り,②自己説明,③知識の構造化/外言化,④メタ認知などを促し,より「深い」水準の処理が行わる学習方略といえる。そこで,本話題提供では,「21世紀型能力」と学習者の「問い」との関係について,心理学的な視点から考察する。
「気づき」が生み出す「問い」と,その先にある学びの「必然性」
中山 晃(愛媛大学)
私たちは生活の中で,様々なことに気づき,「なぜだろう?」という「問い」を抱く。しかしながら,日々の忙しさ(多忙な仕事)の中で,そうした疑問は,往々にして,(調べるのが面倒なので)棚上げしてしまう。一方,学校など学びを主たる目的とする環境においては,そうした「問い」は,児童・生徒・学生にとって,学びに「必然性」を与える重要なファクターとなる。
本発表では,英語教育を取り上げ,特に小学校外国語活動と大学英語教育について,学びの「必然性」を生み出すまでの,気づきと発問のプロセスについての実践報告を紹介する。
例えば,現行の小学校外国語活動においては,「文字指導」と「文法指導」が行われていないが,実は,日本語と英語の言語学的な様々な相違点に気づいている児童・生徒は多い。すなわち,そうした気づきが中学校に入学してから英語を学ぶ際の「問い」となり,英語を学ぶ必然性の一つとなっている。
ところが,大学の英語の授業では,高校受験・大学受験を終えた学生が,我が国のような外国語としての英語学習環境の中で,「なぜ英語を学ぶのか?」という根本的な問いを発し,そこに自分なりの必然性を見いだせた者だけが,継続した英語学習を可能にしているという現状がある。
外国語学習の目的が,他国の科学技術・文化の知見や知識を学ぶことから,個人の意見あるいは自国の科学技術・文化の発信することに転換しつつある現在,「問う力」の育成が,いかに我が国の英語教育に示唆を与えるのか,フロアーの方との議論を通して,その方向性や視点を検討したい。
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本シンポジウムはJSPS科研費(基盤A)
”Understanding, measuring, and promoting crucial 21st century skills: Global communication, deep learning, and critical thinking competencies”(15HOI976)の助成を受けた。