15:30 〜 17:30
[JC01] 適応的熟達化をめざす教員養成
被教育経験を超えた教育課題に学生・教員はどう応えるか
キーワード:適応的熟達化, 教員養成, 被教育経験
企画趣旨
社会の複雑化・流動化が進み「学び」の在り方が度々問い直される時代になった。教職に携わる者にとって,生涯をとおして,被教育経験を超えた教育課題を創造的に解決・実践していくことは避けられないことである。教員には,知識や技術の適用を越えて,児童生徒の学習や発達,社会の動向や教育の方向性を新旧理論に照らしながら省察し,自ら有用な知にたどりつく,適応的熟達化が求められている。では,教員養成において,適応的熟達化につながる実践的思考力を育成することは可能か。今日の教員養成では,目前の教育課題について,教育心理学を含め広義の教育学の知見や理論を照らし合わせ,その課題の意味や価値の深化を学生に促す授業が行われている。本シンポジウムでは,被教育経験を通じて形成された教育概念や発達概念を超えた教育課題に応える実践的思考を育成する授業のあり方を提案する。
コンピテンシーを軸としたケースメソッド法
倉盛美穂子(福山市立大学)
教員志望学生は,教育もしくは教員について何らかのイメージをもって入学してくる。養成教育では,誰もがもっている被教育経験を通じて形成された教育概念や発達概念を土台にしつつ,大学での授業,実習やボランティア等の経験を通じて,教育概念や発達概念の再構造化を目指してきた。しかし,旧来の知識習得モデルの学習観から脱却し,知識創造モデルの学習観に基づく「21世紀型学力」の育成がスタートする中で,教員養成のあり方も,知識創造モデルの学習を展開できる資質能力を有する教員の養成や支援を意図したカリキュラムへシフトすることが必要であろう。
従来,大学の養成教育は理論的学習を主軸とし,実践的学習は実習や就職後に位置づけられることが多い。しかし,養成教育から現職研修にいたるまで養成すべき教員像への共通理解が必要とされるようになり,近年,最小限必要な専門的な知識や技術(コンピテンシー)を同定し,明確化しようとする試みが盛んである。本話題提供では,学習者が判断や対処に迷うケースを取り上げ,そこでの意思決定にコンピテンシーが必要となるケースメソッド法を提案する。具体的には,保育者養成に焦点を絞り,保育者養成段階から初任者段階において必要とされているコンピテンシー(倉盛・渡邉・津川・光本, 2014)が必要な課題を取り上げる。学生が陥りがちな経験則をベースとした教育観を再構造化させ,教育課題を柔軟に考えることができる適応的な熟達者への土台作りをねらいとした試みである。
コンピテンシー・ベイスの「教育心理学」の指導内容の在り方についての一提案
-卒業研究で幼小接続に関わる内容を扱った学生の教師となっての語りに基づく考察-
梶井芳明(東京学芸大学)
本話題提供の主たる目的は,梶井(2016)で対象とした,卒業研究で幼小接続に関わる内容を扱った指導学生による,現職経験を踏まえた語りをもとに,コンピテンシー・ベイスの「教育心理」の指導内容の在り方について提案することである。
梶井(2016)は,小学校教員を志望する学部4年生(当時)が,卒業研究として取り組んだ,幼稚園と小学校での話し合い活動の比較研究の成果をもとに,話題提供を行った。具体的には,コンピテンシー・ベイスの「教育心理学」の指導で扱うべき内容について,学生本人による,実践研究の過程で体得した子どもの育ちやそれに基づく幼小の指導観の違い,さらには授業観の変容を踏まえて話題提供を行った。
卒業研究の事中と事後にそれぞれ行った,学生による内省報告の結果から,「1.校種を超えた事例検討」「2.成長の連続性を捉えた幼児・児童理解」「3.学びの連続性を押さえた学習指導内容の理解」「4.自らの教育実践についての分析方法」「5.自らの教育実践についての分析結果に基づく省察」「6.『理論と実践の往還』を介す授業分析の実施」の6つの内容を,コンピテンシー・ベイスの「教育心理学」の指導の中で扱うべき内容として提案した。
本話題提供では,梶井(2016)で対象とした学生の,現職経験を踏まえた語りに基づいて,幼小接続期の教育実践に資する「教育心理学」の指導内容について提案を行う。
なお,本話題提供は,梶井(2016)の追跡調査に位置付く。また,学生は,現在,都内公立小学校にて1年生の担任を務める,現職1年目の教師である。
省察的実践による熟達化のための事例研究の可能性
羽野ゆつ子(大阪成蹊大学)
教員の専門家としての成長は,教育改革の中心的課題である。専門職としての教員の研究は,ドナルド・ショーン(D. Schön, 1983)のリフレクティヴ・プラクティショナーという実践家像の提起によって牽引されてきた。佐藤学は,教員の熟達化からその成長をとらえ,熟達教員は, 授業という行為の中で省察しながら(reflection in action),複合的かつ個別的な状況の中での即興的判断を重ね,文脈を再構成して, 一回性の授業を創造してゆくことを明らかにしている。このように,知識や技術の適用を前提とするのではなく,創造的問題解決のできる実践家を創造的熟達者と呼ぶ。教員は,構想−実践−評価・省察という実践のサイクルのなかで,省察とメンタリングによって熟達化していくと考えられている。
今日,教員養成において,「教育実習」や「教育インターンシップ」等の充実が図られている。これは,教員養成学生が省察的実践を経験する機会になりうる。この機会の充実には,学生が授業を省察する視点の獲得が重要になる。教員志望の学生は,これまでの学校経験(観察による徒弟制)の中で,授業観や教師像が形成されてきた者が多く,それが実践や省察の制約となるからである。
本発表では,発表者が教員志望の学生を対象に行っている「事例研究(ケース・メソッド)」の授業について,学生の省察内容の分析,初年次教育との連続性,同時期に行っている「学校の参与観察」との関連を報告する。事例研究は,日本において,自主的な授業研究の場で受け継がれてきた現職教育の方法である。本発表では,教育実習や卒業研究への連続性を含めた教員養成課程への導入可能性,省察的実践というときの事例と理論(特に教育心理学)との関係について考察したい。
「創造性」ある教員養成を目指す「熟達」理論の構築
尾崎博美(東洋英和女学院大学)
学生が教育実習を重ねるなかで,「自分らしさ」や「特定の技術の積み重ね以上の何か」に対する志向を見せることがある。それは,教員を目指す過程にある学生自身が,教育現場での経験を通して,「教えられてきた事柄」を単にコピーして量的に増やしていくだけでは到達しえない「何か」があることに気付いている証左に他ならない。
生田久美子(1987)は,伝統芸能の「わざ」の習得過程における「形」と「型」の違いを指摘し,「形」が表面的に複製されるものであるのに対して「型」は学習者自身が創り出す新たな様態への道筋となることを示した。またG.ライル(1949)は,人の性質が常に一つの行為として顕れるとする見方を批判し,「多様な顕れ」を生み出す「傾向性 disposition」の理論を提唱した。さらにS.ランガー(1942)は,人間の認識における「シンボル形式」の存在を指摘し,その特徴が対象物との一対一対応を超えた発展性を伴う思考にあると主張した。これらの理論は,学習者が専門的な学びを重ねる中で被教育経験を超えた言動・思考・性質を顕す事態の存在とその重要性とを指摘している。
本発表は,当該の言動・思考・性質の特質を「創造性」として捉え,当該の理論が教員養成の文脈における「熟達」をいかに説明し得るかを問うことを目的とする。特に,教員養成における学びが,①「大学・現場の教員-学生」・「実習生-子どもたち」という二重の「教える-学ぶ」関係を想定する点,②双方の「教える-学ぶ」関係において「教える者」と「学ぶ者」の二人称的視点が大きく機能する点に着目する。その上で,教員養成の学生の学びにおいて,学生の言動を縛る「コピー」と学生の「創造性」へと展開しうる「模倣」との差異を論じて結論とする。
社会の複雑化・流動化が進み「学び」の在り方が度々問い直される時代になった。教職に携わる者にとって,生涯をとおして,被教育経験を超えた教育課題を創造的に解決・実践していくことは避けられないことである。教員には,知識や技術の適用を越えて,児童生徒の学習や発達,社会の動向や教育の方向性を新旧理論に照らしながら省察し,自ら有用な知にたどりつく,適応的熟達化が求められている。では,教員養成において,適応的熟達化につながる実践的思考力を育成することは可能か。今日の教員養成では,目前の教育課題について,教育心理学を含め広義の教育学の知見や理論を照らし合わせ,その課題の意味や価値の深化を学生に促す授業が行われている。本シンポジウムでは,被教育経験を通じて形成された教育概念や発達概念を超えた教育課題に応える実践的思考を育成する授業のあり方を提案する。
コンピテンシーを軸としたケースメソッド法
倉盛美穂子(福山市立大学)
教員志望学生は,教育もしくは教員について何らかのイメージをもって入学してくる。養成教育では,誰もがもっている被教育経験を通じて形成された教育概念や発達概念を土台にしつつ,大学での授業,実習やボランティア等の経験を通じて,教育概念や発達概念の再構造化を目指してきた。しかし,旧来の知識習得モデルの学習観から脱却し,知識創造モデルの学習観に基づく「21世紀型学力」の育成がスタートする中で,教員養成のあり方も,知識創造モデルの学習を展開できる資質能力を有する教員の養成や支援を意図したカリキュラムへシフトすることが必要であろう。
従来,大学の養成教育は理論的学習を主軸とし,実践的学習は実習や就職後に位置づけられることが多い。しかし,養成教育から現職研修にいたるまで養成すべき教員像への共通理解が必要とされるようになり,近年,最小限必要な専門的な知識や技術(コンピテンシー)を同定し,明確化しようとする試みが盛んである。本話題提供では,学習者が判断や対処に迷うケースを取り上げ,そこでの意思決定にコンピテンシーが必要となるケースメソッド法を提案する。具体的には,保育者養成に焦点を絞り,保育者養成段階から初任者段階において必要とされているコンピテンシー(倉盛・渡邉・津川・光本, 2014)が必要な課題を取り上げる。学生が陥りがちな経験則をベースとした教育観を再構造化させ,教育課題を柔軟に考えることができる適応的な熟達者への土台作りをねらいとした試みである。
コンピテンシー・ベイスの「教育心理学」の指導内容の在り方についての一提案
-卒業研究で幼小接続に関わる内容を扱った学生の教師となっての語りに基づく考察-
梶井芳明(東京学芸大学)
本話題提供の主たる目的は,梶井(2016)で対象とした,卒業研究で幼小接続に関わる内容を扱った指導学生による,現職経験を踏まえた語りをもとに,コンピテンシー・ベイスの「教育心理」の指導内容の在り方について提案することである。
梶井(2016)は,小学校教員を志望する学部4年生(当時)が,卒業研究として取り組んだ,幼稚園と小学校での話し合い活動の比較研究の成果をもとに,話題提供を行った。具体的には,コンピテンシー・ベイスの「教育心理学」の指導で扱うべき内容について,学生本人による,実践研究の過程で体得した子どもの育ちやそれに基づく幼小の指導観の違い,さらには授業観の変容を踏まえて話題提供を行った。
卒業研究の事中と事後にそれぞれ行った,学生による内省報告の結果から,「1.校種を超えた事例検討」「2.成長の連続性を捉えた幼児・児童理解」「3.学びの連続性を押さえた学習指導内容の理解」「4.自らの教育実践についての分析方法」「5.自らの教育実践についての分析結果に基づく省察」「6.『理論と実践の往還』を介す授業分析の実施」の6つの内容を,コンピテンシー・ベイスの「教育心理学」の指導の中で扱うべき内容として提案した。
本話題提供では,梶井(2016)で対象とした学生の,現職経験を踏まえた語りに基づいて,幼小接続期の教育実践に資する「教育心理学」の指導内容について提案を行う。
なお,本話題提供は,梶井(2016)の追跡調査に位置付く。また,学生は,現在,都内公立小学校にて1年生の担任を務める,現職1年目の教師である。
省察的実践による熟達化のための事例研究の可能性
羽野ゆつ子(大阪成蹊大学)
教員の専門家としての成長は,教育改革の中心的課題である。専門職としての教員の研究は,ドナルド・ショーン(D. Schön, 1983)のリフレクティヴ・プラクティショナーという実践家像の提起によって牽引されてきた。佐藤学は,教員の熟達化からその成長をとらえ,熟達教員は, 授業という行為の中で省察しながら(reflection in action),複合的かつ個別的な状況の中での即興的判断を重ね,文脈を再構成して, 一回性の授業を創造してゆくことを明らかにしている。このように,知識や技術の適用を前提とするのではなく,創造的問題解決のできる実践家を創造的熟達者と呼ぶ。教員は,構想−実践−評価・省察という実践のサイクルのなかで,省察とメンタリングによって熟達化していくと考えられている。
今日,教員養成において,「教育実習」や「教育インターンシップ」等の充実が図られている。これは,教員養成学生が省察的実践を経験する機会になりうる。この機会の充実には,学生が授業を省察する視点の獲得が重要になる。教員志望の学生は,これまでの学校経験(観察による徒弟制)の中で,授業観や教師像が形成されてきた者が多く,それが実践や省察の制約となるからである。
本発表では,発表者が教員志望の学生を対象に行っている「事例研究(ケース・メソッド)」の授業について,学生の省察内容の分析,初年次教育との連続性,同時期に行っている「学校の参与観察」との関連を報告する。事例研究は,日本において,自主的な授業研究の場で受け継がれてきた現職教育の方法である。本発表では,教育実習や卒業研究への連続性を含めた教員養成課程への導入可能性,省察的実践というときの事例と理論(特に教育心理学)との関係について考察したい。
「創造性」ある教員養成を目指す「熟達」理論の構築
尾崎博美(東洋英和女学院大学)
学生が教育実習を重ねるなかで,「自分らしさ」や「特定の技術の積み重ね以上の何か」に対する志向を見せることがある。それは,教員を目指す過程にある学生自身が,教育現場での経験を通して,「教えられてきた事柄」を単にコピーして量的に増やしていくだけでは到達しえない「何か」があることに気付いている証左に他ならない。
生田久美子(1987)は,伝統芸能の「わざ」の習得過程における「形」と「型」の違いを指摘し,「形」が表面的に複製されるものであるのに対して「型」は学習者自身が創り出す新たな様態への道筋となることを示した。またG.ライル(1949)は,人の性質が常に一つの行為として顕れるとする見方を批判し,「多様な顕れ」を生み出す「傾向性 disposition」の理論を提唱した。さらにS.ランガー(1942)は,人間の認識における「シンボル形式」の存在を指摘し,その特徴が対象物との一対一対応を超えた発展性を伴う思考にあると主張した。これらの理論は,学習者が専門的な学びを重ねる中で被教育経験を超えた言動・思考・性質を顕す事態の存在とその重要性とを指摘している。
本発表は,当該の言動・思考・性質の特質を「創造性」として捉え,当該の理論が教員養成の文脈における「熟達」をいかに説明し得るかを問うことを目的とする。特に,教員養成における学びが,①「大学・現場の教員-学生」・「実習生-子どもたち」という二重の「教える-学ぶ」関係を想定する点,②双方の「教える-学ぶ」関係において「教える者」と「学ぶ者」の二人称的視点が大きく機能する点に着目する。その上で,教員養成の学生の学びにおいて,学生の言動を縛る「コピー」と学生の「創造性」へと展開しうる「模倣」との差異を論じて結論とする。