The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

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自主企画シンポジウム

不登校生徒に対する再登校支援システム構築の可能性と現状の課題

Sun. Oct 9, 2016 1:30 PM - 3:30 PM 第2小ホールB (5階第2小ホールB)

企画:大川一郎(筑波大学), 中村恵子(東北福祉大学)
司会:大川一郎(筑波大学)
話題提供:中村恵子(東北福祉大学), 福島唯実#(筑波大学), 湯浅俊夫#(一橋大学)
指定討論:水野治久(大阪教育大学), 迫田孝志(鹿児島市立星峯中学校)

1:30 PM - 3:30 PM

[JE03] 不登校生徒に対する再登校支援システム構築の可能性と現状の課題

大川一郎1, 中村恵子2, 福島唯実#3, 湯浅俊夫#4, 水野治久5, 迫田孝志6 (1.筑波大学, 2.東北福祉大学, 3.筑波大学, 4.一橋大学, 5.大阪教育大学, 6.鹿児島市立星峯中学校)

Keywords:不登校, 再登校支援システム

企画の趣旨
 日本の中学校での不登校生徒は1998(平成10)年度以降10万人を超え続けており,再登校支援は教育臨床が直面している深刻な課題である。その特徴は,中学校での急増と長期化にある。不登校数は,小学6年での8,010名から中学1年で22,390名に,中学3年で36,897名に増加し,さらに不登校に陥った生徒のうち,前年度からの継続不登校の生徒は中学1年で小学校時の約9割に,中学3年では6割にのぼっている。このような回復困難な状況に対し,文部科学省では再登校支援を教育現場での最優先課題に位置づけ,「不登校児童生徒への支援に関する中間報告(文部科学省, 2015)」では,特に効果があった取り組みとして「登校を促すため,電話をかけたり迎えに行くなどした(教師肯定率48.5%)」「家庭訪問で学業や生活面など様々な相談に乗る(教師肯定率46.9%)」などが報告されている。しかし,指導の結果,登校再建がはかられた生徒は全体の29.8%に過ぎない。また,現場の回答からも半数を超える教師が支援の効果を実感できておらず,その難しさとこれに伴う当事者の苦悩が予測される。
 本シンポジウムでは,再登校支援の困難状況に焦点を当て,教師の苦戦を強いる要因と再登校支援システム構築の在り方とその可能性について議論する。
担任からみた再登校システム構築の課題
福島唯実
 学級崩壊は起こしていないにもかかわらず,どのクラスにも不登校や支援を要する生徒が存在する時代になってきた。東京の私立中学校での担任の立場から不登校生徒に対するチーム支援の実情と課題について話題提供する。
(1)問題の経過 ある男子中学生は,小学校のときにクラスメイトの模範となるような優等生であった。勉強も運動も衆目を集める成果を修め,受験勉強を勝ち抜き私立中学校に合格した。入学後,それ以上に勉強も運動もできるクラスメイトは少なくなく,生徒は挫折感を味わった。切磋琢磨しあう活気ある集団は,活動性の高い生徒に心地よくても,劣位を感じる生徒には徐々に息苦しくなっていたのかもしれない。生徒の成績は振るわぬまま,1年の後半から欠席がちになった。
(2)支援経過 2年に進級し,筆者が担任になった。ところが,5月の連休明けから欠席が目立ち,6月には生徒の登校が途絶えた。筆者は担任として家庭との連絡を密にし,教室復帰を励ました。母親も登校の回復を強く願っていた。SCも親身に生徒と家庭の援助を行ってくれた。SCになじんできたところで教室登校に挑戦したが,なぜか生徒は階段の前で立ちすくんだ。主任を中心に学年教員を動員した援助チームも編成され,生徒に別室登校を促し,教員が空き時間に交代で関わった。自分のクラスの生徒のために先輩や同僚が空き時間を削ってくれる以上,担任が労を惜しむわけにも弱音を吐くわけにもいかなかった。別室登校は2ヶ月続いたが,生徒との関係も深まり,教室復帰を目標設定した矢先に生徒は再度欠席がちとなり,教室への再登校に至らないまま援助が打ち切られた。学年部の失意と疲労はピークに達していた。筆者は申し訳の立たなさに所在なく,ほどなく顕著な体調不良に陥った。
(3)課題 何が本支援の問題だったのだろうかと,ふと今も考える。本人の能力にも保護者の経済力にも恵まれた教育環境下で,教職員が一丸となって学校をあげての支援体制が整えられていた。生徒の教室復帰に対し,学年部は総動員体制で万全を尽くしたはずであった。SCの力も活用した。しかし,最終的に生徒はむしろ追い詰められ,家庭に長くひきこもった。支援の経過を報告し,あらためて本支援の意味と効果を再考したい。
スクールカウンセラーからみた再登校支援システム構築の課題
湯浅俊夫
 ここでは不登校の中学生の再登校に,学校の外部の人間であるSCの立場からどう関わったかという事例を取り上げてみる。
(1)問題の概要 ある中学1年男子は,夏休み明けの9月から学校へ行かなくなった。夏休み期間中の野球部の厳しい練習についていけなかったというのが,学校がいやになるきっかけであった。
(2)発端 私はSCとして,当時の副校長からの依頼で,10月からこの生徒に関わりをもつようになった。彼は学習についても運動についても一定の能力はもっているのだが,継続ができない。学校にいけなくなってからは学校に強い嫌悪感さえ持つようになっており,その後は担任の訪問さえ受け入れない状態であった。
(3)家庭訪問の実施 まず,彼との信頼関係を形成すること,そして彼の生活の心理状態を把握すること。それがこの問題に取り組む初期の目標であった。SCによる保護者との相談,それに基づく家庭訪問から始められた。やがて,家庭訪問すれば本人も顔を見せるようになり,短時間であれば話もするようになった。
(4)支援体制の構築 次に本人を援助するためのチームを作った。チームは,担任,養護教諭,副校長,保護者(母親),SCの5人である。複眼的な視点で当該生徒の良い点と問題点をあげ,できるだけ実像に近い彼の像を共有するためである。それに,SCがいない日も短時間でも登校できるようにするためでもあった。この支援体制はかなり効果的に機能した。学校に来て教室にいくことができなくても,相談室,保健室,図書室など彼の居場所が確保されるようになったからである。
(5)大幅な環境の変化 しかし,2年生の終わり頃,この支援体制が維持できないことが明らかになった。チームの3人(養護教諭,副校長,SC)が転勤になることが避けられなかったからである。もちろん,それがわかった時点から後任者への手配はしたが,結果として支援は継続されなかった。
(6)課題 公立中学校という限られた環境の中で,本支援がかろうじて成立したのは何が要因だったのか,また支援の引継ぎがうまくいかなかったのはなぜかを振り返り,今後の課題としたい。
学校外の介入者からみた再登校支援システム構築の課題
中村恵子
(1)別室登校での再登校支援モデルの開発
 中村・大川・小玉・藤生・石隈(2013, 2015)は教職員が家庭訪問を行って別室に誘い出し,再登校支援を行うモデルを開発してきた。別室での生活に寄り添い学校での安全基地として言語化や行為化を促進する支援と,個別学習支援とを並行させ,生徒の意欲の回復につれて級友との関係形成を行いスモールステップで教室に復帰させるものである。運営では,別室登校を決定して支援チームを形成・管理する校長と,チームを統括するコーディネーター,ケースを見立て支援方針を作成するSCの三者が協働でケースマネジメントを行う。
(2)介入研究による課題 本シンポジウムでは,再登校支援のために学校外から介入したカウンセラーが上記モデルの援用に際して直面した実践上の課題を報告する。介入対象の公立中学校では,3年クラスに小学校から持ち越された根深い標的いじめが潜行し,その約三分の一が不登校ぎみであった。生徒の保護者から教育委員会(以下教委)に相談が寄せられ,教委に所属するカウンセラーが介入して教職員との協働が開始された。
 第1の困難は,介入に対する管理職の困惑にあった。学校をとばして保護者が教委に相談し,その指導下でカウンセラーが派遣されたことは学校経営計画外の青天の霹靂であった。校長の意を汲む教職員はカウンセラーとの関係の取り方をはかりかねて当惑し,無論カウンセラーも当惑した。
 第2の困難は,カウンセラーと学校の問題の見立ての相違にあった。たとえば,カウンセラーは受験学年での不登校自体がストレッサーとして強く作用するので,精神的に負担の少ない別室登校を提案した。管理職は,熱心に教育相談を学び,その指導的立場にあったため,方針の相違は軌跡の否定であるかように感じられた。症状を伴う不登校では登校刺激を回避すべきだと文科省の研修で教えられたにもかかわらず,これに相反するカウンセラーの方針が教委から支持されていた。
 当該校では,半年余の別室運営によって不登校がゼロとなり,対象生徒は全員高校進学を果たした。しかし,これに伴う管理職はじめ教職員の負担と葛藤も筆舌に尽くせない。再登校支援システムを構築する上での課題として問題提起する。