The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

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自主企画シンポジウム

21世紀の日本にワロンの発達教育思想をどういかすか(5)

『子どもの思考の起源』(1945)から学ぶ

Sun. Oct 9, 2016 4:00 PM - 6:00 PM 61会議室A (6階61会議室A)

企画:間宮正幸(北海道大学), 加藤義信(名古屋芸術大学)
司会:間宮正幸(北海道大学)
話題提供:加藤義信(名古屋芸術大学), 佐々木佳子(札幌市立東栄中学校), 亀谷和史#(日本福祉大学)
指定討論:田丸敏高(福山市立大学)

4:00 PM - 6:00 PM

[JF05] 21世紀の日本にワロンの発達教育思想をどういかすか(5)

『子どもの思考の起源』(1945)から学ぶ

間宮正幸1, 加藤義信2, 佐々木佳子3, 亀谷和史#4, 田丸敏高5 (1.北海道大学, 2.名古屋芸術大学, 3.札幌市立東栄中学校, 4.日本福祉大学, 5.福山市立大学)

Keywords:ワロン, 思考の起源, 知能

 ワロンの没後50年に当たる2012年に始まった本シンポジウムは,今年で5回目を迎える。今回は『子どもの思考の起源 (Les origines de la pensée chez l’enfant)』を取り上げて,ワロンの教育発達思想が21世紀の日本の教育や子どもの発達支援にどのように生かしうるかを探ってみたい。
 『思考の起源』は,次の点で,ワロンの著作の中でもひと際,異彩を放つ書物である。
 理由は3つある。第一に,本書は,ワロン66歳のときの最後の著書であり,加えて,彼の著作中,最も浩瀚な書物であるという点が挙げられる。実際,小さい活字組みのP.U.F.の初版本で762ページ,滝沢武久・岸田秀訳の日本語版で3巻(計1071ページ)もあり,そうそう簡単に誰もが読めるといったものではない。それゆえ,ワロンの著作中でも,これまで検討の俎上に乗ることの比較的少ない書物でもあった。
 第二に,本書は,“情動の理論家”ワロンが,終生の理論的ライバルであったピアジェを意識し,もっぱら認識の系に焦点を当ててまとめた著書であるという点でも,異色であろう。また,初期のピアジェと同様の臨床的対話によって得られた子どもの発話事例の豊富さも,彼の他の本には類例がない。
 第三に,ワロンの発達論は,彼の障害児臨床の中から生まれたと言って過言でなく,そのこともあり,理論の年齢時期対象は発達初期(乳幼児期)に限られていたが,『思考の起源』では,幼児期の終わりから児童期の子どもが対象となり,その年齢的スコープが大きく広がった。この点でも,発達のグランド・セオリーとしてのワロン理論の全体像を捉えるには,検討が欠かせない著作である。
 上記のような特徴を有するこの書物について,以下,発達心理学,教育学,数学教育の立場から3名がそれぞれ話題提供を行う。
現在の認知発達研究から見たワロンの『子どもの思考の起源』
加藤義信(名古屋芸術大学)
 『思考の起源』序論の冒頭には,本書が「コレージュ・ド・フランスで行われた講義内容,およびドイツ占領下の政府によって中止されなければ行うはずであった講義内容」をまとめたものであることが,まず述べられている。ワロンがコレージュ・ド・フランスの教授に任じられたのは1937年,ドイツ軍のパリ占領は1940年6月,翌年にはヴィシー政府による講義中止命令が出て,1944年8月のパリ解放までその状態は続いた。『思考の起源』は,こうした研究や自由な思考活動そのものに対する重苦しい抑圧の中で執筆され,1945年の戦争終結とともに出版された,「思考活動そのものの自由」の回復を告げる希望の書でもあった。
 ワロンがコレージュ・ド・フランスで講義を行うことができたのは,中止の期間を除くと10年に満たない。その間にどのようなプログラムが用意され何が語られたか自体,一つの研究対象になりうるが,ワロン自身が「思考発達」の講義に複数年を費やす予定であったことを公言し,実際に大戦終結後に『思考の起源』を出版したことからすると,ピアジェの認識発達理論への批判が強く意識されていたことは間違いない。
 では,同じくピアジェ理論の批判とその乗り越えを目指して登場した現代の認知発達研究にとって,ワロンの思考発達論はどのような意味を持つのだろうか。別の言い方をすれば,ワロンの認識発達に関する幾つかのアイデアは,現代の認知発達研究にいかなる形で生かしうるのだろうか。話題提供では,この問題を,ワロン−ピアジェ−現代認知発達研究の三者の関係の中で読み解いてみたい。そのためのキーポイントは2つある。一つは,実用的知能と推論的知能の関係をめぐる問題をいかに考えるか,もう一つは混同心性(syncrétisme)としてピアジェとワロンが指摘した子どもの思考特徴をいかに捉え直すかである。現代の認知発達研究の最先端では,前者は2つの認知システム(implicit systemとexplicit system)の存在とその関係をめぐる議論として再浮上しているし,後者は社会的認知研究の中で新たな光が当たろうとしている。こうした点の検討によって,ワロンの発達思想の尽きない豊かさを再確認してみたい。
歴史・哲学・教育学から位置づける
亀谷和史(日本福祉大学)
 『子どもの思考の起源』は,『行為から思考へ』(1942)の続編に位置づけられる大著であり,ワロンの研究生涯での集大成ともいえる思考・知能研究の書である。『思考の起源』は,いまだその評価が定まっていない。現代的意義と評価を見定めるためには,いくつかの研究視点から本書に迫ることが求められよう。第1に『思考の起源』は,ワロンが,第2次大戦前夜から戦時中にかけて,ナチスドイツ占領下にも関わらず,パリ近郊のブローニュ・ビヤンクールの学校に通い,5歳半から9歳の子どもたちとの問答法による会話を分析・検討した研究書である。まずは文字どおり,幼児期後期から学童前期の思考研究の大著として理解できよう。今日の心理学研究の実証的な研究方法論になじまないとはいえ,貴重な資料として「発掘」できよう。第2に本書は「知能」研究の書である。「状況の知能」と「推論的知能」の相違と関係について最初に論じ,「推論的知能」自体の発達,すなわち,イメージや言語発達を媒介に混同的思考を経て,合理的論理的思考がどのように形成されていくのか,そのプロセスを「臨床」的方法によって(ピアジェと同様の研究方法論によって)具体的詳細に明らかにしようとしている。ワロンの独自性は,2つの知能の起源が本質的に異なるその根拠・「前提」自体を明らかにしようとしてきたことである。それは長年のピアジェとの論争への「回答」の書にもなっている。また第3に思考発達での過程の解明において,西欧哲学での認識論史的な観点を分析の枠組みに取り込み,ワロン独自の弁証法的な認識論的立場が表明されている。その視点からも読解する必要がある。さらにまた第4に,当時の諸科学の到達点から,人間精神の発達・発展の過程を明らかにしようとすることでもあった。まさに<精神発生学>を構想するものでもあり,その意味でワロンの研究の集大成に位置づく大著なのである。
子どもから聴き,語らせる教育実践の試み
佐々木佳子(札幌市立東栄中校)
 札幌市の中学校教師として,学級を担任しつつ数学を教えてきた。今から15年ほど前に不登校中学生のための通級指導教室に異動となった際,子どものことをもっと勉強したいと思い,縁があって北海道大学大学院で学ぶ機会を得た。当時,北海道大学に在職していた田中孝彦教授のゼミで『児童における性格の起源』を講読したのがアンリ・ワロンの著作との出会いだった。あまりに難解だったことから,ゼミの終了後も現役の大学院生と修了生からなる「北大ワロン研究会」に参加した。当時も今も,参加人数は多くはないが,月2回のペースで開催され,毎回,担当者がレジメを作り,参加者で議論する,というスタイルでワロンの著作を読んできた。なかでも,『子どもの思考の起源』は,上・中・下の三部から成っているうえに,難解で,通読するだけで精いっぱいであった。
 このたび,ワロンの心理学・教育論から自分の教育実践においてどういった点を学ぶことができているかということを述べるようにとの依頼があり,改めて自己の実践におけるワロン研究会からの学びについて振り返ってみた。研究会の会員は,それぞれ自分の実践にひきつけてワロンの文献を読んできた。それは,日常の子どもとのやりとりの中に意味を見出すことであり,子どもを観る者自身のありようが問われる体験でもあった。私自身も,専門の数学教育の他に,不登校中学生の適応指導教室,高等養護学校,特別支援学級での数年間の経験もふまえて,情動,模倣,表象,対の思考について考えてきた。教育実践の場面では,ワロンの臨床的方法,つまり,子どもから聴き,語らせることを中心に働きかけることによって,子どもがいかに考えるかを見取ることを目指してきた。当日は,ワロンの『思考の起源』がこれまでの実践にどのように活かされてきたのか(活かそうとしているのか)を,事例を交えて述べたい。