The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

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自主企画シンポジウム

初等中等教育段階の「アクティブ・ラーニング」への教育心理学的アプローチ

Mon. Oct 10, 2016 10:00 AM - 12:00 PM 第2小ホールA (5階第2小ホールA)

企画:藤江康彦(東京大学大学院)
司会:藤江康彦(東京大学大学院)
話題提供:藤江康彦(東京大学大学院), 寺本貴啓(國學院大學), 河崎美保(追手門学院大学)
指定討論:後藤顕一#(国立教育政策研究所), 高木正之#(国立市立国立第八小学校)

10:00 AM - 12:00 PM

[JG02] 初等中等教育段階の「アクティブ・ラーニング」への教育心理学的アプローチ

藤江康彦1, 寺本貴啓2, 河崎美保3, 後藤顕一#4, 高木正之#5 (1.東京大学大学院, 2.國學院大學, 3.追手門学院大学, 4.国立教育政策研究所, 5.国立市立国立第八小学校)

Keywords:アクティブ・ラーニング, 授業研究, 学習研究

企画趣旨
 中央教育審議会において,アクティブ・ラーニングは「学習指導や学習活動の方法や型」ではなく「授業改善」における「視点」であると位置づけられている。教育心理学の立場から,初等中等教育における授業改善の視点としての「アクティブ・ラーニング」についてどのようなアプローチが考えられるだろうか。一つには,教育心理学の研究知見がアクティブ・ラーニングの視点から授業づくりを進める教師に対してどのような示唆を与えうるかということの探究である。「アクティブ」を「能動的」ととらえれば,子どもの学習が相対的に能動的であるとはどういう状態であるのか,その際の環境要因はどのようなものかを示唆する研究蓄積がある。学習論としての基盤を与えうるのではないか。二つには,「アクティブ・ラーニング」という視点の導入が学校教育にどのような意味をもつかの探究である。学校や教室という制度的,社会的,文化的状況における教師や子どもの行為についての研究は,とりわけヴィゴツキーの流れをくむアプローチを中心に進められている。アクティブ・ラーニングの要件として挙げられている「深い学び」,「対話的な学び」,「主体的な学び」は従来の学校教育における授業でも追究されてきた。そういった学習のあり方が制度化されることで教師や子どもの行為にどのような変容がみられるかをとらえることが,政策としての質の評価につながるのではないか。
 以上の問題関心に基づき,本シンポジウムでは初等中等教育段階における「アクティブ・ラーニング」ではなにが目指されるのかを踏まえたうえで,教授学習研究,授業研究の立場から教育心理学が初等中等段階におけるアクティブ・ラーニングにどういった示唆を与えるか,政策立案の立場,教育実践の立場からのコメントを得て検討したい。
「アクティブ・ラーニング」の考え方
寺本貴啓(國學院大學人間開発学部)
 我が国の教育において「アクティブ・ラーニング」という言葉が大きく注目されるようになったのは,2012年の大学教育に対する中央教育審議会の答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて:生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ(答申)」(中央教育審議会, 2012)が始まりである。当時は大学以外の校種(小・中・高等学校)においては特に意識されていなかった。
 小学校・中学校・高等学校の教育関係者にとってアクティブ・ラーニングを検討する必要性が感じられるようになったのは,2014年11月26日の中央教育審議会への諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」である。そこには,学びの質や深まりを重視するための主体的・協働的な学習の必要性が述べられている。これを受け,中央教育審議会企画特別部会の「論点整理」(2015年8月)においても資質・能力を育成する意味でのアクティブ・ラーニングの意義が述べられ,その後の中央教育審議会教育課程部会の各教科ワーキンググループでは,新指導要領に向け「アクティブ・ラーニングの三つの視点からの不断の授業改善」について検討が進められている。
 しかし,最近の小学校から高等学校の実践事例をみると,大学教育同様に「アクティブ・ラーニング=指導法の導入」と意味づけている事例や学習内容の深化ではなくアクティブ・ラーニング自体が目的化している事例などが散見される。また,学習者の考え方の発表や交流など,表現のみに重点を置いた「言語活動の充実」と全く変わらない事例,意欲を高めるのみにとどまっている事例,学習内容よりも学習者に各種スキルを身につけさせることに特化した事例のようにアクティブ・ラーニングの一部の要素だけを取り上げている事例もみられるようである。このように,学校現場では学校種や学習者の実態を十分に考慮しないまま授業研究が行われ,混乱を招いているといえる。
 そこで,以下のように定義し,外面的な活動ではなく,資質・能力を育むために「学びが深く,広くなる」ことを目的とした主体的・対話的な深い学びのあり方について述べる。
【アクティブ・ラーニングの定義】
学習者の学びが深く広くなることを目的として,各個人が目的を達成するために当事者意識をもって判断し行動できたり,集団での対話や活動を通して知識の共有や新たな考え方の創造ができたりするなど,個人や集団の学習が能動的になっている学びの姿そのものを指す。
「アクティブ・ラーニング」の視点に基づく授業づくりへの示唆
河﨑美保(追手門学院大学心理学部)
 教育心理学研究の多くにおいて,学習者が深い理解に至るためにどのようプロセスを経るのか,またそのプロセスを引き起こすためにはどのような方法が有効であるか検討されている。そこでは人の認知活動における知識の能動性を前提として,学習者が予想したり,説明したり,対話したり,有意味な解説を受けたりすることで,既有知識と新しい学習内容との接点やずれが顕在化され,新たな結びつきが形成されるような学習が目指されているといえる。これらの知見には,初等中等教育段階におけるアクティブ・ラーニングに対して,深い学びをねらいとする個々の授業案レベルで示唆を与えうるものも多いだろう。また,教育心理学や認知研究等,学習科学の知見に基づき提案された学習環境を構築する際の4つの視点(Bransford et al., 2000)は包括的な示唆を与え得る。
 一方で特に,どのような条件によって対話的に深い学びが実現するかといった授業者や研究者が制御しにくい学習プロセスについては,今後,実践の増加とニーズの高まりの中,学校での授業づくりと連携した研究の進展が期待されるといえる。さらに,「新しい時代に必要となる資質・能力を子どもたちに育むため」というアクティブ・ラーニングの目的に目を向けると,「新しい時代に必要となる資質・能力」とは何かという議論と共に,上述した深い理解を促すことをねらいとした教育心理学研究の知見の再吟味の必要性が生まれる。深い理解を引き起こすことをねらいとした教育心理学研究において,研究内で設定した指標に照らして成果が得られたとしてもそれらがすべてここで目的とされる資質・能力を育むことにはならないだろう。そこで,たとえば協調的問題解決能力といった資質・能力を育成・評価し得るのかといった問題を検討することが必要になってくる(益川ら, 2015)。またそうした資質・能力を理解し,具体的な授業づくりの際の意思決定に反映させるには,教師がもつ学習観・知識観の支えが重要になる。「学び」の形の変革期において,知識観・学習観等「学びに関する知識」が変容しており,教師は自らが持つ「教科内容の知識」を新しい学びに関する知識に照らして再考し,いかに教えるかといった「教授内容の知識」へと変換する必要がある(大島, 2008)。このように教授内容の知識の変容を支援するには,教育心理学は学習者が深い理解に至る要因を明らかにするだけでは不十分であり,教師個人が持っている学びに関する知識に注目し,新しい学びに関する知識との間で生じるコンフリクトやそのコンフリクトがどのように解消されうるのかという点に焦点を当てた研究が求められるだろう。
授業研究から「アクティブ・ラーニング」への問い
藤江康彦(東京大学大学院教育学研究科)
 授業研究は,授業における子どもの学習活動を諸資源の布置との関係でとらえてきた。授業研究の立場からはアクティブ・ラーニングの視点からの授業改善に対して次の二つの問いが生じる。
 一つには,子どもの学習状況が能動的である/ないことを授業においてどのようにとらえることができるのかという問いである。授業における子どもの様態について観察可能なものについては行動分析や談話分析によってとらえることができるが,認知過程や活動参加における情動などの内的状態を観察等から直接とらえることは難しい。授業研究の系譜においては,授業における子どもの内的状態は,質的研究として観察者や分析者による解釈によって明らかにされてきている。そうであれば,内的状態が能動的であると意味づけることの可能な行為を措定し,その行為を授業の諸資源からなる文脈において解釈する枠組みを構築する必要がある。その作業は,我々が子どもの姿を能動的と捉えるときの要件を探究することでもあろう。二つには,学校教育におけるアクティブ・ラーニングとはどのような営為かという問いである。学習を行為と捉えれば能動的であることが前提となる。「能動的ではない学習」という本来的には矛盾する状況は学校教育が制度的営みであるがゆえである。学校教育の前提としては制度的状況下での営為であり,学習内容や学習課題の設定,学習の過程や結果に対する評価の方向性は制度的に定められ教師によって具体化される。そのような状況下での能動性は,実質的には,教師を介して制度的に定められた学習環境においていかに適応的に振る舞えるかを指す。以上のような前提に立てば,教室という学習環境における子どもの学習における社会的/認知的,人的/物的,あらゆる資源の布置を子どもが能動的に関与することができるよう再デザインすることが求められよう。
 以上の二つの問いは相補的である。制度的学習環境としての教室における目標やルールなども含めた資源と相互作用的に生成される子どもの行為について能動的であると意味づけるのはどういうときか,その際の資源の布置の有り様をとらえ,能動的でないと意味づけられる際の布置の組み替えが授業改善ということになるだろう。さらにいえば,このサイクルを回していくための教師の側の要件も検討していく必要がある。たとえば,教師が子どもと学習の資源との関係を子どもの行為が資源の側から一方向的に規定されるものであると見なしていれば,授業改善もうまくいかないであろう。アクティブ・ラーニングの前提となる要件を明らかにしていくことも授業研究の役割ではないだろうか。