The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

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ポスター発表 PA(01-64)

ポスター発表 PA(01-64)

Sat. Oct 8, 2016 10:00 AM - 12:00 PM 展示場 (1階展示場)

[PA09] ピアジェの発生的認識論のスピノザ的解体(2)

ベルクソンの二元論をめぐる諸問題

小島康次 (北海学園大学)

Keywords:ピアジェ, ベルクソン, 二元論

はじめに
 本論の目的は,発達心理学の理論家であるピアジェ(Piaget, J., 1896-1980)が遺した発生的認識論を批判的に検討し,その現代的な意義について明らかにすることである(日心,第79回大会論文集)。ピアジェ理論を批判するとは,その理論体系に遡って解体することを意味する。ピアジェがどのような学問的背景のもとに発生的認識論という体系を構築するに至ったかという精神史的道のりを検討することを通じて,ピアジェ理論のもつ現代的意義について考察する。本論はこのような問題意識から出発した前回の発表に続く第2弾の試みである。
 本論では,(1)において提起した課題をさらに展開し,それがベルクソン批判としての正当性をもつものかどうかを検討する。
(1)の要約
 表題(1)を簡潔に要約すると,①「ベルクソン哲学との出会い」で,ピアジェの生い立ちと,そこで直面した精神的課題,その解決の方向性をベルクソンの『創造的進化』における生の躍動,「直観」という方法に見出したこと,②「ベルクソンとスピノザ」で,そのもっとも重要な方法とされる「直観」について,スピノザとの共通点を指摘し,ともに,心身二元論の克服を目指したものであること,③「生命的なものから論理的なものへ」で,ピアジェが師と仰ぐことになるA. レイモンとの出会いと生命の論理から数学的論理への転向について論じた。
時間と空間の二元論
 ピアジェがベルクソンを論じる時,往々にして用いられる二元論に対する批判が知られている。いわく生命と物質,時間と空間,本能と知能等々。これらの批判は果たして正当なものなのか,検討してみる必要がある。
 時間と空間:ベルクソンは時間領域と空間領域を二分化し,さらに時間も流れる時間と流れた時間を区別し,真の時間とは,流れる時間,すなわち「持続」であるとされる。流れた時間は,流れそのものではなく,流れた時間を物理的移動として空間のアナロジーによって示されるものに過ぎないという。流れる時間は記憶をもった主体の意識,つまり精神としてのみ現れるとされる。そして,潜在的な多様性,差異性をもつものでもある。
 ここでベルクソンは外延的なものと内包的(強度的)なものを区別し,前者は空間的な拡がりをもつもので測定可能な量とされるのに対して後者は意識の状態,感情,感覚の如く強度的なもので明確に測定することのできないものとされる。それは強度的なものが空間化できないためである。
 強度的なものを計測する方法はあるだろうか。原理的にはないために,あたかも測定可能であるかのように,強度的なものを空間化して顕在化させるのが一般的であろう。ヴントの実験心理学や行動主義がとった主観を客観化する(身体化する)試みは概ねこのような発想によると見られる。
 しかし,ベルクソンは時間を客観化するそうした一般的な考え方を退け,持続でないものを持続とみる誤りであるとする。
持続の一元論
 あらゆるものを持続の相のもとで捉えるベルクソンは,すべての存在を持続の様々なレベルに統合しようとする。程度の差異を批判的にみながら,本性の差異を見出して,さらにそれらを差異の程度に統合する方式は,持続を一なるものとすることへの疑問を呈することにも繋がる。それらの差異をそのまま肯定し,多様な持続を認める方がより適切な説明になり得るのではないか。
 差異化を通じて一つの実在が存在するというベルクソンの考え方は,記述上(見かけの上での)二元論に依拠しているような初期の著作(『試論』)にもかかわらず,一貫した論理として維持される。ベルクソンの哲学を認識論としてではなく存在論として読み解くドゥルーズによって,一旦,アインシュタインとの論争でピアジェから批判された『持続と同時性』は新たな視点からの評価を得ることになった。