[PA53] 語を定義する際の記述的意味と情緒的意味
教育に関する語の「価値化傾向」について
Keywords:道徳, 社会, 認知
語の意味は,一般に記述的意味と情緒的意味に分けられる。記述的意味とは,語が指し示す事実に関する意味である。情緒的意味とは,語が引き起こす価値的,情緒的,(辞書に載るとは限らない)比喩的意味である。たとえば,「犬」という語の場合,記述的意味はこの世界に存在している(していた,これから存在する)犬という実在の集合(外延)である。「犬」と同一の事物を指し示す,「犬」を言い換えた言明も「犬」の記述的意味と考えられる。一方,「犬」の情緒的意味は,犬好きの人が「犬」と聞いた時に感じる,忠実なペットに対する温かな気持ちや信頼感などと関わり,犬に対する評価や,「忠実さ」「しっぽを振る手下」という「犬」の比喩とも関係する。
記述的意味,情緒的意味のうち,語の主要な意味は記述的意味である。それを端的に示すのは辞書で,辞書に語の説明として載るのは基本的に記述的意味である
もっとも実際の語用では,語の情緒的意味を変えずに記述的意味を変える説得的定義(Stevenson, 1944)や,何らかの実践的,道徳的意図から語の外延を変えるプログラム的定義(Scheffler, 1960)のように,語は,使用者のさまざまな意図や目的によって,意味を様々に変えて用いられる。
ところで,記述的意味の修正は,説得的定義,プログラム的定義のように,何らかの目的をもって意図的に行われているのだろうか。記述的意味が曖昧な語や情緒的意味が強い語の場合,日常的で無意識的な語の使用が,実は,情緒的意味に依ったものとなり,それが記述的意味よりも大きな役割を果たしている可能性―いわば,説得的定義やプログラム的定義としての語用が常態化しているような可能性―はないだろうか。
本研究では,教育に関係する情緒的意味が強い語について,語を定義する場面で,記述的意味,情緒的意味にどのように言及するかを調べた。
方 法
対象者:都内私立大学学生66名。
方法:「金属」「花」,または「学校」「教師」のいずれかの2語について簡略な定義を書くよう求め,回答に見られる記述的意味,情緒的意味の頻度を調べた。記述的意味,情緒的意味のいずれかが述べられている場合はその意味に2点を,両者が述べられている場合はそれぞれに1点を与えた。
記述的意味に関する文には,真(true)のものと偽(false)のものがあるが,事実に関する記述という点は共通しているので,頻度を数える際には両者を区別せずに扱った。情緒的意味は価値観やあるべき姿に関するものであり,ほとんどの場合,記述的意味とは明確に分けられた。
結 果
「金属」「花」と「学校」「教師」との間で明確な差があった。前2語については,回答者全員が事実について述べ,記述的定義を示した。もっとも,定義として適切でない偽(false)の記述も多く含まれていた。一方,後2語については,語の定義を試みる中に情緒的意味が多く見られ,記述的意味が見られない例もあった(なお,学校の定義に集団生活を学ぶ場である旨が書かれている場合,記述的意味とも考えられるが,「学校は勉強の場である」という記述的意味を何らかの価値観に基づいて説得的・プログラム的に修正していると考えられる回答があり,ここでは情緒的意味に数えた)。
前2語,後2語の得点をそれぞれ対象者ごとに合算し,両語群の間でt検定を行ったところ,両語群の定義の記述には有意差が見られた(t=-9.807,df=64,p<.001)。
考 察
「金属」「花」のように語義を記述的意味として捉える(偽(false)の場合もある)傾向のある語と,「学校」「教師」のように情緒的意味を含めて語義を捉える傾向のある語が存在した。この差を仮に「価値化傾向」と名付ける。前者は価値化傾向が低く,後者は価値化傾向が高い語ということになる。
価値化傾向が低い語の場合,語義に関して議論があれば,事実を確かめ真(true)であることを確認する方向に議論が進むことが予測される。一方,価値化傾向が高い語の場合,語義に関する論争は,説得的定義やプログラム的定義のように,語の情緒的意味を強調し,記述的意味を書き換える方向に向かう可能性がありうる。価値化傾向の高低と関連した議論のあり方については,今後研究する必要があると思われる。
記述的意味,情緒的意味のうち,語の主要な意味は記述的意味である。それを端的に示すのは辞書で,辞書に語の説明として載るのは基本的に記述的意味である
もっとも実際の語用では,語の情緒的意味を変えずに記述的意味を変える説得的定義(Stevenson, 1944)や,何らかの実践的,道徳的意図から語の外延を変えるプログラム的定義(Scheffler, 1960)のように,語は,使用者のさまざまな意図や目的によって,意味を様々に変えて用いられる。
ところで,記述的意味の修正は,説得的定義,プログラム的定義のように,何らかの目的をもって意図的に行われているのだろうか。記述的意味が曖昧な語や情緒的意味が強い語の場合,日常的で無意識的な語の使用が,実は,情緒的意味に依ったものとなり,それが記述的意味よりも大きな役割を果たしている可能性―いわば,説得的定義やプログラム的定義としての語用が常態化しているような可能性―はないだろうか。
本研究では,教育に関係する情緒的意味が強い語について,語を定義する場面で,記述的意味,情緒的意味にどのように言及するかを調べた。
方 法
対象者:都内私立大学学生66名。
方法:「金属」「花」,または「学校」「教師」のいずれかの2語について簡略な定義を書くよう求め,回答に見られる記述的意味,情緒的意味の頻度を調べた。記述的意味,情緒的意味のいずれかが述べられている場合はその意味に2点を,両者が述べられている場合はそれぞれに1点を与えた。
記述的意味に関する文には,真(true)のものと偽(false)のものがあるが,事実に関する記述という点は共通しているので,頻度を数える際には両者を区別せずに扱った。情緒的意味は価値観やあるべき姿に関するものであり,ほとんどの場合,記述的意味とは明確に分けられた。
結 果
「金属」「花」と「学校」「教師」との間で明確な差があった。前2語については,回答者全員が事実について述べ,記述的定義を示した。もっとも,定義として適切でない偽(false)の記述も多く含まれていた。一方,後2語については,語の定義を試みる中に情緒的意味が多く見られ,記述的意味が見られない例もあった(なお,学校の定義に集団生活を学ぶ場である旨が書かれている場合,記述的意味とも考えられるが,「学校は勉強の場である」という記述的意味を何らかの価値観に基づいて説得的・プログラム的に修正していると考えられる回答があり,ここでは情緒的意味に数えた)。
前2語,後2語の得点をそれぞれ対象者ごとに合算し,両語群の間でt検定を行ったところ,両語群の定義の記述には有意差が見られた(t=-9.807,df=64,p<.001)。
考 察
「金属」「花」のように語義を記述的意味として捉える(偽(false)の場合もある)傾向のある語と,「学校」「教師」のように情緒的意味を含めて語義を捉える傾向のある語が存在した。この差を仮に「価値化傾向」と名付ける。前者は価値化傾向が低く,後者は価値化傾向が高い語ということになる。
価値化傾向が低い語の場合,語義に関して議論があれば,事実を確かめ真(true)であることを確認する方向に議論が進むことが予測される。一方,価値化傾向が高い語の場合,語義に関する論争は,説得的定義やプログラム的定義のように,語の情緒的意味を強調し,記述的意味を書き換える方向に向かう可能性がありうる。価値化傾向の高低と関連した議論のあり方については,今後研究する必要があると思われる。