[PG71] 新入学児の適応過程
配慮を要する児童の事例を分析して
キーワード:適応, 正統的周辺参加論
目 的
4月小学校には1年生が入学をしている。この時期,学校へ移行していく際,児童は様々な課題に直面をし,不安や戸惑いといった情緒的困惑が伴うこと(平野, 1997: Vernberg.E.&Field.T.1990)が言われている。この移行期における適応を研究する理論的視座として,正統的周辺参加論(Lave,J & Wenger.E,1991/1993)というアプローチがある。子供が集団に参加し様々な他者との関係をはぐくんでいくなかで,集団内の役割が変化し,自らのアイデンティティを形成していくという考え方である。特に,学習の実践の場においては新参者(小学校1年生)同士がコンフリクトしあう中で,また古参者あるいは熟達者である教師の導きのもと,周辺的な参加から徐々に中心的十全的な参加をするようになるというプロセスをたどる。本研究では,新入学児のうち,教師から見て,なかなか学級や授業になじめない子供つまり「配慮を要する児童」を観察することによって,その児童らが,参加役割が変化して適応していく過程を記述したい。
方 法
公立小学校1年生の1クラス 4月から7月の3ヶ月間参与観察に入る。教室の前の両方にビデオを置き子供たちの様子を撮影した。また,担任教諭に対してインタビューをした。ビデオ場面,インタビュー場面の内容分析を行った。
事 例
〈事例A〉
1年生女児。返事の声の小ささや返事ができない様子から教師が「配慮を必要とする児童」とみなす。1カ月以上たった日,返事の声が小さいので,2,3度,教師が言い直させる。大きな声が出たのですかさずほめる。このほめることを何度なく繰り返す。ある日,体育の授業でダンスを皆の前でのびのびと楽しんでいる様子が見られる。教師はほめ同じクラスの子供たちも,認める。このクラスの中で,中心的な役割をしたことで,Aは,他の子供たちを注意したり手助けをする場面が見られるようになっていき,教師の姿に近い役割をするようになってきている
〈事例B〉
1年生男児。入学当初,他児とのおしゃべり,手いたずらをしていて,教師から「配慮を必要とする児童」とみなされる。教師が注意する場面が見られ,周囲の子供たちもBに対し,注意する場面が多くみられる。しかし2カ月たったころ,国語の時間で,発表をする時間で皆の前で,冗談を言い,皆の前で笑わす場面がみられる。一気に場の雰囲気が盛り上がる。このことからBが,国語の時間を集中するようになり,字をきれいに丁寧に書いたり,作文にいそしむ姿が見られるようになる。教師もこの場面からBが,成長したと述べている
〈担任教諭に対するインタビュー〉
担任教諭は「一番大事なことはその子が教師対その子でのびていくのではなくて周りのかかり合いで伸びていくこと」「お互いに高まっていく」と述べている
考 察
いずれの事例も,配慮を必要とする,援助を受ける役割からクラスの皆の前で発表したり発言することつまり,中心的な役割をしたことで,適応していった事例である。特に事例Bにおいては,ほかの児童から注意を受けるといったコンフリクトの状態を体験をへて適応している。いずれの事例においても,学級内で皆の前で表現するという一種中心的な役割の場面で,本児童が,楽しんでいたり笑っていたりといった感情が共通しているといえる。この場面においては他者と親しくかかわりたい,他者から関心を持たれたいといった交流感(河村,1993)や,外の世界に対して何らかの効果をもたらしているといった有能感(河村,1993)といった感覚がおこっているのではないだろうか。この他者との重要性は担任教諭インタビューでも述べられている。また,古参者である教師もほめたり注意したり,笑いの雰囲気に持っていったり,学級集団の皆の前で表現するといった機会を提供したりと,児童たちとの相互作用を導いている。学校心理学においては,児童の内的な能力を見るだけでなく,周囲との関係性を分析して,学習実践を省察(秋田1997)していく正統的周辺参加論のアプローチが大切であろう。
(適応,正統的周辺参加論)
4月小学校には1年生が入学をしている。この時期,学校へ移行していく際,児童は様々な課題に直面をし,不安や戸惑いといった情緒的困惑が伴うこと(平野, 1997: Vernberg.E.&Field.T.1990)が言われている。この移行期における適応を研究する理論的視座として,正統的周辺参加論(Lave,J & Wenger.E,1991/1993)というアプローチがある。子供が集団に参加し様々な他者との関係をはぐくんでいくなかで,集団内の役割が変化し,自らのアイデンティティを形成していくという考え方である。特に,学習の実践の場においては新参者(小学校1年生)同士がコンフリクトしあう中で,また古参者あるいは熟達者である教師の導きのもと,周辺的な参加から徐々に中心的十全的な参加をするようになるというプロセスをたどる。本研究では,新入学児のうち,教師から見て,なかなか学級や授業になじめない子供つまり「配慮を要する児童」を観察することによって,その児童らが,参加役割が変化して適応していく過程を記述したい。
方 法
公立小学校1年生の1クラス 4月から7月の3ヶ月間参与観察に入る。教室の前の両方にビデオを置き子供たちの様子を撮影した。また,担任教諭に対してインタビューをした。ビデオ場面,インタビュー場面の内容分析を行った。
事 例
〈事例A〉
1年生女児。返事の声の小ささや返事ができない様子から教師が「配慮を必要とする児童」とみなす。1カ月以上たった日,返事の声が小さいので,2,3度,教師が言い直させる。大きな声が出たのですかさずほめる。このほめることを何度なく繰り返す。ある日,体育の授業でダンスを皆の前でのびのびと楽しんでいる様子が見られる。教師はほめ同じクラスの子供たちも,認める。このクラスの中で,中心的な役割をしたことで,Aは,他の子供たちを注意したり手助けをする場面が見られるようになっていき,教師の姿に近い役割をするようになってきている
〈事例B〉
1年生男児。入学当初,他児とのおしゃべり,手いたずらをしていて,教師から「配慮を必要とする児童」とみなされる。教師が注意する場面が見られ,周囲の子供たちもBに対し,注意する場面が多くみられる。しかし2カ月たったころ,国語の時間で,発表をする時間で皆の前で,冗談を言い,皆の前で笑わす場面がみられる。一気に場の雰囲気が盛り上がる。このことからBが,国語の時間を集中するようになり,字をきれいに丁寧に書いたり,作文にいそしむ姿が見られるようになる。教師もこの場面からBが,成長したと述べている
〈担任教諭に対するインタビュー〉
担任教諭は「一番大事なことはその子が教師対その子でのびていくのではなくて周りのかかり合いで伸びていくこと」「お互いに高まっていく」と述べている
考 察
いずれの事例も,配慮を必要とする,援助を受ける役割からクラスの皆の前で発表したり発言することつまり,中心的な役割をしたことで,適応していった事例である。特に事例Bにおいては,ほかの児童から注意を受けるといったコンフリクトの状態を体験をへて適応している。いずれの事例においても,学級内で皆の前で表現するという一種中心的な役割の場面で,本児童が,楽しんでいたり笑っていたりといった感情が共通しているといえる。この場面においては他者と親しくかかわりたい,他者から関心を持たれたいといった交流感(河村,1993)や,外の世界に対して何らかの効果をもたらしているといった有能感(河村,1993)といった感覚がおこっているのではないだろうか。この他者との重要性は担任教諭インタビューでも述べられている。また,古参者である教師もほめたり注意したり,笑いの雰囲気に持っていったり,学級集団の皆の前で表現するといった機会を提供したりと,児童たちとの相互作用を導いている。学校心理学においては,児童の内的な能力を見るだけでなく,周囲との関係性を分析して,学習実践を省察(秋田1997)していく正統的周辺参加論のアプローチが大切であろう。
(適応,正統的周辺参加論)