[PH72] 養護教諭の専門性に関する一考察
生徒との日々の相互作用に焦点をあてた検討
キーワード:養護教諭の専門性, 教師と生徒の相互作用, 保健室
問 題
近年,日本独自の職種である養護教諭は,時代や児童生徒のニーズに応えるため,その役割を多様化させ,その結果,役割の曖昧さが指摘されるようになった。学校の居場所としての保健室の曖昧さが評価される(山本,1995)一方で,役割の曖昧さゆえ,専門性に悩みや葛藤をもつ養護教諭も少なくない。
養護教諭の実践は,児童生徒への日常生活の自然な関わりの中にある(大谷,2006)と言われるように,曖昧さを特徴とする養護教諭の専門性は,生徒との日々の相互作用として存在するのではないかと考えられる。しかしながら,養護教諭と生徒が普段どのような相互作用を展開しているのか,その詳細はほとんど記述されていない。
そこで,本研究では,まず,養護教諭と生徒の日々の相互作用を観察し,その実際を記録する。つぎに,その記録をもとに複数の養護教諭が対話するセッションを行う。そして,そのうえで,収集データの精緻な分析を通して養護教諭の専門性に関する考察を行うことを主たる目的とする。なお,本研究は,養護教諭の力量形成に資するという目途を併せもつ。それゆえ,養護教諭である第1著者は,研究の主体であると同時に研究の対象者にもなる。
方 法
対象者 ある公立高校に複数配置された養護教諭2名(A,Bと表記)。いずれも女性。
観察の手続き 20XX年2月,保健室に個別に来室した4名の生徒へのAの対応をBが観察した。20XX+1年5月には,さらに別の生徒へのBの対応をAが観察した。いずれも文章化して記録した。
養護教諭による対話セッションの手続き 観察された特徴的な相互作用場面について,そこでの生徒の言動の解釈,それへの対応等に関して,AとBで省察的対話を行った。
収集データ分析の手続き 第1〜第3著者と中学校に勤務する現職教員で,生徒が学級担任と相互作用する場合と比較しながら,養護教諭と生徒の相互作用のありようを検討した。
結果と考察
分析の結果,養護教諭の専門性(の現れ)と解釈可能な次のような相互作用が把握された。
①ため口で語り合う:生徒は「しんどいねん」「そんなんじゃない」など家族と語るような言葉を使い,養護教諭も「無理せんときや」「どうしたん」など日常的な言葉を使って,それに応じていた。保健室は「安心」「あたたかい」,養護教諭は「母」「優しい」とイメージされる(e.g.,後藤・萩原・後藤,2011)ように,両者は学校であるにもかかわらず家族と語るような言葉を使い,関係性を相互に定義し合うことで,生徒が辛さや弱みを語りやすいようにしているのではないかと考えられた。
②「ずらし」と「待ち」:「わざとそっけなく対応した」「あえて聞かないようにした」など,養護教諭は生徒の求めを感じていながらも,それと直接対峙する対応をあえて避けていた。また,「自分で言わせたい」「今日はこれくらいにしておく」など,すぐに解決を求めず生徒のペースに合わせた待つ対応をしていた。そこには,問題を解決するのは生徒自身であって,そのためには,生徒自らが思いを言葉できちんと表現することが必要であるという養護教諭の企図があり,「ずらし」と「待ち」の相互作用は,それを可能にする仕掛けなのではないかと考えられた。また,ここには,養護教諭と生徒の関わりが,基本的に,保健室という場での1対1のものであり,個々の事情を考慮しながら個に合わせた対応を進めるという特徴が関係しているように思われた。他の生徒のいる教室で集団への対応を求められ,学習を時間の枠の中で進めなければならない学級担任には,こうした時間的,空間的な余裕があまりないのかもしれない。
③関係を繋ぐ:「しんどくなったらおいで」「いってらっしゃい」など,養護教諭から生徒へ支援の継続を示す相互作用が行われていた。
そこにいるのが当然と受けとめられている教室と違い,保健室は生徒が自ら来る場である。目的なく来室したように見える生徒であっても,何らかの選択が働き,保健室を訪れている。その目的が一度の来室で解決されることは稀であり,関係を繋ぐことで,支援が継続的なものとなる。
以上のことから,養護教諭と生徒の相互作用(関係性)は「自律」と「依存」(のバランス)として特徴づけられており,ここに養護教諭の専門性があると考察された。
近年,日本独自の職種である養護教諭は,時代や児童生徒のニーズに応えるため,その役割を多様化させ,その結果,役割の曖昧さが指摘されるようになった。学校の居場所としての保健室の曖昧さが評価される(山本,1995)一方で,役割の曖昧さゆえ,専門性に悩みや葛藤をもつ養護教諭も少なくない。
養護教諭の実践は,児童生徒への日常生活の自然な関わりの中にある(大谷,2006)と言われるように,曖昧さを特徴とする養護教諭の専門性は,生徒との日々の相互作用として存在するのではないかと考えられる。しかしながら,養護教諭と生徒が普段どのような相互作用を展開しているのか,その詳細はほとんど記述されていない。
そこで,本研究では,まず,養護教諭と生徒の日々の相互作用を観察し,その実際を記録する。つぎに,その記録をもとに複数の養護教諭が対話するセッションを行う。そして,そのうえで,収集データの精緻な分析を通して養護教諭の専門性に関する考察を行うことを主たる目的とする。なお,本研究は,養護教諭の力量形成に資するという目途を併せもつ。それゆえ,養護教諭である第1著者は,研究の主体であると同時に研究の対象者にもなる。
方 法
対象者 ある公立高校に複数配置された養護教諭2名(A,Bと表記)。いずれも女性。
観察の手続き 20XX年2月,保健室に個別に来室した4名の生徒へのAの対応をBが観察した。20XX+1年5月には,さらに別の生徒へのBの対応をAが観察した。いずれも文章化して記録した。
養護教諭による対話セッションの手続き 観察された特徴的な相互作用場面について,そこでの生徒の言動の解釈,それへの対応等に関して,AとBで省察的対話を行った。
収集データ分析の手続き 第1〜第3著者と中学校に勤務する現職教員で,生徒が学級担任と相互作用する場合と比較しながら,養護教諭と生徒の相互作用のありようを検討した。
結果と考察
分析の結果,養護教諭の専門性(の現れ)と解釈可能な次のような相互作用が把握された。
①ため口で語り合う:生徒は「しんどいねん」「そんなんじゃない」など家族と語るような言葉を使い,養護教諭も「無理せんときや」「どうしたん」など日常的な言葉を使って,それに応じていた。保健室は「安心」「あたたかい」,養護教諭は「母」「優しい」とイメージされる(e.g.,後藤・萩原・後藤,2011)ように,両者は学校であるにもかかわらず家族と語るような言葉を使い,関係性を相互に定義し合うことで,生徒が辛さや弱みを語りやすいようにしているのではないかと考えられた。
②「ずらし」と「待ち」:「わざとそっけなく対応した」「あえて聞かないようにした」など,養護教諭は生徒の求めを感じていながらも,それと直接対峙する対応をあえて避けていた。また,「自分で言わせたい」「今日はこれくらいにしておく」など,すぐに解決を求めず生徒のペースに合わせた待つ対応をしていた。そこには,問題を解決するのは生徒自身であって,そのためには,生徒自らが思いを言葉できちんと表現することが必要であるという養護教諭の企図があり,「ずらし」と「待ち」の相互作用は,それを可能にする仕掛けなのではないかと考えられた。また,ここには,養護教諭と生徒の関わりが,基本的に,保健室という場での1対1のものであり,個々の事情を考慮しながら個に合わせた対応を進めるという特徴が関係しているように思われた。他の生徒のいる教室で集団への対応を求められ,学習を時間の枠の中で進めなければならない学級担任には,こうした時間的,空間的な余裕があまりないのかもしれない。
③関係を繋ぐ:「しんどくなったらおいで」「いってらっしゃい」など,養護教諭から生徒へ支援の継続を示す相互作用が行われていた。
そこにいるのが当然と受けとめられている教室と違い,保健室は生徒が自ら来る場である。目的なく来室したように見える生徒であっても,何らかの選択が働き,保健室を訪れている。その目的が一度の来室で解決されることは稀であり,関係を繋ぐことで,支援が継続的なものとなる。
以上のことから,養護教諭と生徒の相互作用(関係性)は「自律」と「依存」(のバランス)として特徴づけられており,ここに養護教諭の専門性があると考察された。