[PH85] 大学キャンパス内で流れる心理的時間の生態
アカデミック・クォータは生きているか
キーワード:アカデミック・(クォータ)アワー, 心理的時間, 単位制
問題と目的
周知のように日本のほとんどの大学では,1コマ90分の授業を2時間の授業時間とみなす擬制が通用している。このフィクションの成立には諸説あるが,欧州由来の大学制度の来歴に沿えば,一般世界の実時間(クロック・アワー)に対して,大学内にはアカデミック・クォータやアカデミック・アワーという固有の「時の流れ」があるといわれている。
本報告は大学の1年生と3年生に対して実施した連続3年間の学修行動調査の結果から,ここで推測するアカデミック・アワーという大学界に特殊な「時の流れ」が実際に学生の心理的時間として受容され,キャンパスにおける時間の生態として息づいているか否かを検証し,その事実の一端をあきらかにする。
方 法
分析には,文科省大学間連携共同教育推進事業の「教学評価体制による学士課程教育の質保証」で実施した学生調査におけるお茶の水女子大学の2013〜15年度の公開データを用いた。調査対象者は1,3年生全員,調査回収率は45.4%〜71.4%であった。
この調査の活動時間に関する設問「授業や実験に出る」の結果を用い,その回答である週あたり「全然ない,1時間未満,1−2時間,3−5時間,6−10時間,11−15時間,16−20時間,20時間以上」の中点(両端点は0,23時間)に各回答選択肢への反応数を乗じた総和を各学年の回答数で除して,両学年の実質的な週あたり授業時間評価を算定した。さらにその値を,個々の学生の調査学期における履修授業数の平均値で除して,1授業あたりの心理的時間を同定した。
結 果
2013年度から3年間の調査における上記設問について,各学年における回答結果には年度間に有意差が認められなかった(Kruskal-Wallis 1年χ2=2.6641, df=2, p=0.2639,3年χ2=0.80583, df=2, p=0.6684)。そこで3年間を通して各学年毎に授業における心理的時間を平均した(1年生計898人,3年生計808人)。その結果,1年生は平均75分,3年生は平均109分であった。この時間評価について,1年生と3年生の間には有意差が認められた(Wilcoxon rank sum=572310, p <.001, PS=0.70)。
考 察
1コマ90分の授業に対して1年生には平均75分,3年生には平均109分という心理的時間が流れていることが計量された。むろんこれは授業出席時間についての自己評価をもちいた結果であるから,欠席を加味した計量ではなく,読み取りにはその点を割り引いてみる必要がある。だが,両学年間に生じたこの差をすべて欠席時間の相違に帰すことには無理があろう。よって両学年の1授業あたりの時間評価平均値にあらわれた90分を境にした30分以上の時間差は2年間の修学経験によって形成された心理的時間として解釈できる余地は十分にある。
1年生が1コマを90分より短く評価するのは高等学校までに習慣化された1コマ45〜50分のスクール・アワーが延長的に影響しているのかもしれない。一方3年生で1コマを2時間近く評価しているのは,1単位を構成する授業時間にアカデミック・クォータ(15分)を含んで1時間とするアカデミック・アワーという大学界固有の時の流れが生きていて,キャンパスでの学術への遂行に適合するように習慣形成された結果とみることもできそうである。このウラシマ効果を宿した心理的時間の生態は現下の一般社会から大学への圧勢に一石を投じる事実の発見ともみなせよう。
周知のように日本のほとんどの大学では,1コマ90分の授業を2時間の授業時間とみなす擬制が通用している。このフィクションの成立には諸説あるが,欧州由来の大学制度の来歴に沿えば,一般世界の実時間(クロック・アワー)に対して,大学内にはアカデミック・クォータやアカデミック・アワーという固有の「時の流れ」があるといわれている。
本報告は大学の1年生と3年生に対して実施した連続3年間の学修行動調査の結果から,ここで推測するアカデミック・アワーという大学界に特殊な「時の流れ」が実際に学生の心理的時間として受容され,キャンパスにおける時間の生態として息づいているか否かを検証し,その事実の一端をあきらかにする。
方 法
分析には,文科省大学間連携共同教育推進事業の「教学評価体制による学士課程教育の質保証」で実施した学生調査におけるお茶の水女子大学の2013〜15年度の公開データを用いた。調査対象者は1,3年生全員,調査回収率は45.4%〜71.4%であった。
この調査の活動時間に関する設問「授業や実験に出る」の結果を用い,その回答である週あたり「全然ない,1時間未満,1−2時間,3−5時間,6−10時間,11−15時間,16−20時間,20時間以上」の中点(両端点は0,23時間)に各回答選択肢への反応数を乗じた総和を各学年の回答数で除して,両学年の実質的な週あたり授業時間評価を算定した。さらにその値を,個々の学生の調査学期における履修授業数の平均値で除して,1授業あたりの心理的時間を同定した。
結 果
2013年度から3年間の調査における上記設問について,各学年における回答結果には年度間に有意差が認められなかった(Kruskal-Wallis 1年χ2=2.6641, df=2, p=0.2639,3年χ2=0.80583, df=2, p=0.6684)。そこで3年間を通して各学年毎に授業における心理的時間を平均した(1年生計898人,3年生計808人)。その結果,1年生は平均75分,3年生は平均109分であった。この時間評価について,1年生と3年生の間には有意差が認められた(Wilcoxon rank sum=572310, p <.001, PS=0.70)。
考 察
1コマ90分の授業に対して1年生には平均75分,3年生には平均109分という心理的時間が流れていることが計量された。むろんこれは授業出席時間についての自己評価をもちいた結果であるから,欠席を加味した計量ではなく,読み取りにはその点を割り引いてみる必要がある。だが,両学年間に生じたこの差をすべて欠席時間の相違に帰すことには無理があろう。よって両学年の1授業あたりの時間評価平均値にあらわれた90分を境にした30分以上の時間差は2年間の修学経験によって形成された心理的時間として解釈できる余地は十分にある。
1年生が1コマを90分より短く評価するのは高等学校までに習慣化された1コマ45〜50分のスクール・アワーが延長的に影響しているのかもしれない。一方3年生で1コマを2時間近く評価しているのは,1単位を構成する授業時間にアカデミック・クォータ(15分)を含んで1時間とするアカデミック・アワーという大学界固有の時の流れが生きていて,キャンパスでの学術への遂行に適合するように習慣形成された結果とみることもできそうである。このウラシマ効果を宿した心理的時間の生態は現下の一般社会から大学への圧勢に一石を投じる事実の発見ともみなせよう。