The 58th meeting of the Japanese association of educational psychology

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研究委員会企画シンポジウム2

ケア役割を問う

男性がケアに関わるとき

Sun. Oct 9, 2016 3:45 PM - 6:15 PM かがわ国際会議場 (6階国際会議場)

企画・司会:伊藤裕子(文京学院大学)
話題提供:伊藤裕子(文京学院大学), 大野祥子(白百合女子大学), 平山亮#(東京都健康長寿医療センター研究所)
指定討論:上野千鶴子#(ウィメンズアクションネットワーク,立命館大学)

3:45 PM - 6:15 PM

[k-sym02] ケア役割を問う

男性がケアに関わるとき

伊藤裕子1, 大野祥子2, 平山亮#3, 上野千鶴子#4 (1.文京学院大学, 2.白百合女子大学, 3.東京都健康長寿医療センター研究所, 4.ウィメンズアクションネットワーク)

Keywords:ジェンダー, ケア役割

企画の趣旨
 労働を生産労働と再生産労働に分けると,子を産むことだけでなく,日々の再生産労働も多くは女性が担ってきた。これらはシャドウワークといわれ,多くはアンペイドワークである。一般には家事・育児,そして最近では介護がこれに加わっている。ケア役割には家族内と家族外労働があるが,ここでは家族内ケアを取り上げる。
 父親の子育てでは,「育児をしない男を父とは呼ばない」という厚生省のキャンペーンがあった頃には,子育てに関心を向ける父親は多くなかったが,“イクメン”と言われる男性が増え,労働環境も多様になってきたことから,現実に家庭に関心を向ける男性は増えてきた。また,長寿化に伴い,夫婦がともに長生きすることにより,夫による妻の介護も増加している。さらに,少子化により息子による親の介護も少なからず増えてきている。このように男性による介護が現実に増えているにもかかわらず,“女性による介護”(妻や嫁・娘)が「大半を占める」というのが一般の認識である。
 このシンポジウムでは,まずわが国で起こっている現実をおさえた上で,そこにある問題を考えていきたい。家族内ケアという限定で,男性がケア役割を果たすとき,その行為を取り巻く周囲の目,役割を遂行する男性の側とそれを受け止める女性の側の意識,そして改めて「ケア役割とは何か」について議論を深めたい。
話題提供1
男性がケア役割を担うとき
伊藤裕子
 家族内ケアには誰をケアするかによって配偶者と子ども,他に父母がいる。いわゆる家事・育児,介護であろう。これまでもっぱら家族のケアを担ってきたのは女性であった。特に日本では性別役割分業が今日でも明確で,家のことと外で働いて収入を得ることが性別により振り分けられてきた。
 ケア役割には,量,質,そして関係性の問題がある。男性の家事時間というような場合は“量”であり,同じきょうだいの中で誰が親の介護をするのかというような場合は,親との“関係性”(心理的,物理的,経済的等)の問題である。“質”の問題は,本人のスキルと経験,それにパーソナリティが関わってくるだろう。
 男性の家事・育児,介護という場合に,量はもちろんのこと,実際の夫婦の間では質が問題になる。料理のうまい/まずいはすぐわかるが,その前後(準備と後始末)も含まれるし,洗濯など妻のブーイングの筆頭である。育児もイクメンブームで確かに増えたが“いいとこ取り”が目立つ。
 日本の場合,妻の就業形態(無職・パート・常勤)にかかわらず,夫の家庭関与度は変わらない。これでは働いても女性が二重負担になるので,未婚の若い女性は配偶者になる夫に一定の収入を求め,専業主婦,せめてパートで済むような相手を求める。これが晩婚化・未婚化が進展する一つの理由でもある。
 日本の夫婦関係満足度は特に妻の側で低く,諦めや関係の切り離しによって夫婦関係を維持している場合が多い。経済的に生計が保証される限りは,満足度が低くても関係を維持し続ける。男性がケアに関わるとき何が問題なのか,ここでは特に夫婦関係の視点から考えてみたい。
話題提供2
男性の家事・育児の質に注目して
大野祥子
 これまでの父親研究では,男性の家事・育児関与は妻の心理や子どもの発達にプラスの効果をもたらすことが報告されてきた。男性が家庭関与することは固定化した性別役割分業の見直しに繋がる「よいこと」と捉えられがちだが,果たして単純にそう考えてよいのだろうか。男女共同参画社会の実現に向けて,また少子化対策の一環として,近年男性に家庭関与を求める傾向は強まっている。一方で,男性には「男なら仕事が第一」,「男は働いて家族を養うもの」という仕事規範・稼ぎ手役割規範も相変わらず存在する。そうした相反する方向のベクトルに晒された状況下で,男性当人が家事・育児に関与することにどのような意味を見出しているかの検討はあまりされていない。
 数年来のイクメン・カジメンブームの影響か,男性の家事・育児関与は増えているという印象が持たれがちである。実際のところは,生活時間等の指標で全体として関与の量(時間)が増加している様子は見えないが,関与する人としない人が分化していることがうかがえる(総務省統計局,2012)。これは男性の家事・育児関与が多様化していることを示している。
 大野(2008; 2016)は,育児期男性を対象とした量的調査の分析から,同程度に家庭志向の高い男性の中に,「伝統的なジェンダー観を持った妻が整えた家庭で一緒に過ごすこと」で満足する男性と,「自分の家事分担割合が高いこと」で満足する男性の2つのタイプがあることを見出した。遊びなど育児の楽しい面にだけ関わるのでなく,子どもの命を支える世話を自立的・自律的に行おうとするなら,家事は自ずと育児に付随してくる活動である。同様にインタビュー調査の質的分析からも,「家事・育児は二番手」として「受動的な関与」で「楽しい事」「できること」しかしない群と,「家族に対する主体的な関与」をしており,家事も育児も一人でこなすことのできる「家庭役割代替え可能」なスキルを備えた群が同定されている。どちらの群の男性も家事・育児に関与しているのだが,その内容や意味づけが違うのである。両群のプロトコルの比較から,その違いは妻の就業状況や家事スキルではなく,それぞれの群に特徴的な家族観=信念と結びついていると考えられた。
 母性神話の存在により,同じ親でも男性は育児を免責されやすい。そのため,男性の家事・育児はその質を問われることは少なく,「している」というだけで賞賛される傾向がある。だが男性の中の多様性に目を向けて,関与のスタイルの背景にある信念の違いが男性の生き方にどのような差異をもたらしているかをたどると,「ケア役割」の本質は何なのかが見えてくるのではないか。それは男女を問わず,誰にとっても重要なメッセージを含むものだと考える。
話題提供3
息子介護者をどのようにみるか
平山 亮
 高齢の親を介護する男性(息子介護者)が増加している。例えば,国民生活基礎調査(厚生労働省)によれば,同居の「主たる介護者」の中で息子が占める割合は2013年時点で16.7%。娘(19.1%)や嫁(17.8%)との差は大きくない。
 息子介護者の増加は,子世代における介護責任の分配がジェンダー平等になりつつある兆しとして見て良いのだろうか。本報告ではこの問いを考えるため,最初に「主たる介護者=息子」の割合を押し上げている背景と,息子介護者の多様性をおさえた上で,以下の二点について検討したい。
 第一に,誰と比較して平等を判断するのか,という点である。育児の場合,比較を行うべき対象は明確だが,介護の場合,ある高齢者の介護に関与すべき家族には誰が含まれるのか,その範囲は自明ではない。範囲の画定は恣意的に行われうるし,それにともない,介護責任において息子と比較される相手も揺れ動く。
 日本では長らく嫁が介護役割を担わされてきたため,「主たる介護者」における嫁の減少と息子の増加をもって(実際,息子介護者の約半分は既婚という統計もある),介護責任のジェンダー間分配が「変化した」と見る向きもあるが妥当だろうか。この問いの検討から明らかになるのは,「この高齢者の介護に関与すべき家族は誰か」という判定がジェンダー非対称的に行われている事実である。
 第二に,「主たる介護者」としての息子はどのような存在か,という点である。介護は一般に日常生活動作の介助とされているため,家族のなかで最も多くその介助に携わっている者が「主たる家族介護者」と見なされる。だが,この介助を行う前提には,炊事や洗濯などの家事労働が必要であり,既婚の息子介護者のなかにはこの前提を妻に委ねている者が少なくない。また,要介護の親のニーズを満たすためには,家族内の関係調整など,介護の範疇に収まらない(が,それがなくてはまわらない)労働が必要とされるものの,息子が「主たる介護者」の場合,これらもまた息子以外(大抵は妻や姉妹)によって担われていることが多い。
 妻たちによるこれらの労働が,息子による介護を基礎づけ,成り立たせているにも関わらず,介護概念が日常生活動作の介助に照準しているために,親の介護におけるそれらの労働の意義は,息子だけでなく妻自身にも認識されていないことがある。既婚の女性が親の「主たる介護者」になる場合,夫婦間のこうした性別分業が起こりにくいとすれば,同じ「主たる介護者」でも,息子の場合か娘・嫁の場合かによって内実は大きく異なる。
 息子介護者の増加を,介護責任のジェンダー平等分配に繋げて見ることには留保が必要である。本報告では,息子による介護と娘・嫁による介護の非対称性を指摘しながら,家族介護に対する見方に含まれるジェンダー・バイアスを浮き彫りにしたい。