13:00 〜 15:00
[JB01] 学習者のパフォーマンス
授業論から「コンピテンシー」を問う
キーワード:パフォーマンス, コンピテンシー, 授業
企画の趣旨
新学習指導要領を読み解くために重要視されているキーワードの一つとして「コンピテンシー」が挙げられる。この語は必ずしも学問的に明確な概念ではないということもあり、イメージだけが先行して理解が不十分であったり、それが象徴する新しい学校教育の方向性に現場が戸惑っていたりする現状がある。一方、汎用的な能力やその形成については、学習適性や学習プロセスに関する教育心理学的な知見がこれまでに積み重ねられてきており、理論的な解明も進んでいる。「コンピテンシー」の構造や形成プロセスについてはその学術的な蓄積にこそ着目すべきであろう。
そこで本シンポジウムでは、ともすると観念的な学力論に陥りがちな「コンピテンシー」をめぐる議論を教育実践の具体的な問題として検討するために「パフォーマンス」という語に着眼したい。「パフォーマンス」とは当人の「コンピテンシー」に規定される観察可能な心理現象であり、「可視化された達成行動のプロセスや成果の総称」(鹿毛,2017)を意味する。授業における子どもたちの学習活動は、内的活動(感覚、思考など)と外化された表現(発言、表情、行為など)のダイナミックな総体であり、それらが学習プロセスや成果として顕れる。このような学習者のパフォーマンスについて「認知能力」、「非認知能力」、「社会的環境」という三つの観点から検討し、その学力形成に対する働きを明らかにすることを通して、コンピテンシーの育成について考えを深めていきたい。
認知的方略の観点から
コンピテンシー育成を考える
犬塚美輪
OECDは「コンピテンシー」を,変化する社会に対応し,様々なリソースを活用して自分の目的を達成していく力として定義している。変化する環境を捉え,そこから新たな知識や技能を獲得していく,「学び続ける力」が重視されていると言えるだろう。そこで本発表では,学習者のパフォーマンスを,「コンピテンシーを実際に発揮すること」として位置づけ,その認知的側面に注目する。新たな知識や技能を獲得するパフォーマンスとして認知的方略に焦点を当て,その獲得と転移,学習プロセス全体の中での位置づけの3つの観点から研究をレビューする。そこから,学習者のコンピテンシーを高めるための授業について考えたい。
まず,認知的方略の獲得については,様々なレベルの信念の関連と影響に注目する。領域固有・一般の認知的方略が数多く示され,その指導効果が示されてきた。一方,方略使用が,学習観に代表される「(その領域の)学習をどう捉えているか」という信念に影響されることも示されている。ただ方略を示すだけでは十分な指導にはなりにくく,信念への働きかけが必要だと考えられる。方略の獲得や使用に影響する信念とその信念への働きかけを検討する。
次に,方略の転移可能性について検討したい。一般に方略は転移しにくいことが知られているが,指導者は教えた方略が他の問題や文脈でも用いられることを期待しているだろう。方略の転移に注目した研究例を通して,方略指導と授業のあり方について検討する。
最後に,認知的方略を学習プロセス全体の中にいかに位置づけていくか,信念や転移の観点も考慮しながら検討する。自己調整学習理論では,「予見」「遂行」「自己内省」の3段階を循環する学習のプロセスを想定し,学習者が自立してそのプロセスを適応的に実行していくことを目指している。認知的観点からは,このプロセスの中で方略を適切に用いていくことが重要であるが,どのような授業がプロセスの中で認知的方略を用いることを促進できるだろうか。研究例を紹介するとともに,フロアとも議論しながら授業の中で学習プロセス全体を捉える方法を考えたい。
社会,自己意識,無意識の協働
及川昌典
私たちのパフォーマンスは,他者や社会からの期待と密接にむすびついている。私たちは社会や他者からの期待をつねに意識し,あるいは意識するともなく,それに応えようとする。また,私たちは何らかの期待を心に留め,それを基準としてパフォーマンスを評価しようとする。
このように,パフォーマンスとは期待に応えるということである。パフォーマンスが高いということは,期待以上の成果が得られているということであり,自己評価の向上や他者からの受容にもつながる。しかし,パフォーマンスを高めるために多大なコストを払っているのだとしたら,その状態を維持することは難しい。
一般に,パフォーマンスを高めるためには,意志の力を発揮して弛まぬ努力を続けることが重要であると考えられている。私たちの社会は,何をやるべきか,あるいは何をやるべきでないかを規定する有形無形の規範で溢れている。やりたくないことをやる,または,やりたいことをやらない,すなわちセルフコントロールを発揮するためには,意志の力が試される。セルフコントロールの高さは,現代社会において要求されるあらゆる課題のパフォーマンスを向上させる。また,セルフコントロールの失敗は,自己評価や社会的信頼を落とすことにもつながる。しかし,意志の力には限界がある。このような現代社会の要求に対応するためには,どうすればよいだろうか。
教育・社会心理学は,このような個人と社会のつながりに注目しながら,意志の力の限界や,無意識の心の働きについて明らかにしてきた。セルフコントロールは,個人のなかだけで完結するものではなく,対人関係や社会とも密接に関わっている。また,かつて無意識は不適応な行動と関連する特殊な機構であると考えられていたが,現在では,意識の限界を越えた適応的な行動を支える,一般的な機構としてとらえ直されてきている。
本日の話題提供では,社会や他者からの期待,それを意識する自己,そして無意識の心の働きという3つのシステムを想定する,3システムモデルの観点から,現実の社会文脈における複雑な要求に対応する力,コンピテンシーの本質について考える。
パフォーマンスとしての教室談話
松尾 剛
授業中の相互作用においては,個人的な達成と協同的な達成の両方を通じて様々なパフォーマンスが現れる。例えば,他児の発言に応じるといった行為は,しばしば教師の足場づくりに支えられながら子どもたちが相互作用を展開させていくダイナミズムの中で実現する。教室でのパフォーマンスを,子どもたちにすでに成立している学習の結果が表現されたものとして理解する場合,どちらかと言えば,個人的な達成が重視されることになるだろう。それに対して,発達の最近接領域(Vygotsky,1956)の概念を踏まえると,協同的に達成されるパフォーマンスには生成されつつある発達の過程と可能性が表現されているとみなすことができる。したがって,双方のパフォーマンスに目を向けていくことで,過去と未来を志向しながら授業実践を改善していくための豊かな情報を得ることが可能になるのではないだろうか。
授業における相互作用の特徴としては,個々の教室に特有な社会・文化・歴史的実践への参加を通じて,様々なパフォーマンスが生じているという点も指摘できる。自分たちの学級における「授業」とはいかなる活動なのか,その活動において自分たちはどのような責任や権利を持った存在であるのか,といった認識が日々の授業を通じて社会的に構成され,変化している。教室では,このような認識の変化とパフォーマンスの変化が同時に展開しているのではないだろうか。例えば,教師は授業の内容について語りながら,同時に授業という営みそのものについて語っている。このような関わりが,授業中の相互作用において生じる偶発的で創発的なパフォーマンスを,次の授業を支える認識の学習へと架橋する機能を果たしていると考えられる。
主体的・対話的で深い学びの実現が求められる今日において,授業におけるパフォーマンスを協同的な達成,そして,社会・文化・歴史的な実践への参加として理解する視点は,より重要性を増していると言えよう。しかし,そのような視点を授業の中で実現していくことは容易ではない。そこで本話題提供では,上記の視点から授業中の相互作用プロセスを紐解くことを通じて,教育現場への提案を模索していきたい。
新学習指導要領を読み解くために重要視されているキーワードの一つとして「コンピテンシー」が挙げられる。この語は必ずしも学問的に明確な概念ではないということもあり、イメージだけが先行して理解が不十分であったり、それが象徴する新しい学校教育の方向性に現場が戸惑っていたりする現状がある。一方、汎用的な能力やその形成については、学習適性や学習プロセスに関する教育心理学的な知見がこれまでに積み重ねられてきており、理論的な解明も進んでいる。「コンピテンシー」の構造や形成プロセスについてはその学術的な蓄積にこそ着目すべきであろう。
そこで本シンポジウムでは、ともすると観念的な学力論に陥りがちな「コンピテンシー」をめぐる議論を教育実践の具体的な問題として検討するために「パフォーマンス」という語に着眼したい。「パフォーマンス」とは当人の「コンピテンシー」に規定される観察可能な心理現象であり、「可視化された達成行動のプロセスや成果の総称」(鹿毛,2017)を意味する。授業における子どもたちの学習活動は、内的活動(感覚、思考など)と外化された表現(発言、表情、行為など)のダイナミックな総体であり、それらが学習プロセスや成果として顕れる。このような学習者のパフォーマンスについて「認知能力」、「非認知能力」、「社会的環境」という三つの観点から検討し、その学力形成に対する働きを明らかにすることを通して、コンピテンシーの育成について考えを深めていきたい。
認知的方略の観点から
コンピテンシー育成を考える
犬塚美輪
OECDは「コンピテンシー」を,変化する社会に対応し,様々なリソースを活用して自分の目的を達成していく力として定義している。変化する環境を捉え,そこから新たな知識や技能を獲得していく,「学び続ける力」が重視されていると言えるだろう。そこで本発表では,学習者のパフォーマンスを,「コンピテンシーを実際に発揮すること」として位置づけ,その認知的側面に注目する。新たな知識や技能を獲得するパフォーマンスとして認知的方略に焦点を当て,その獲得と転移,学習プロセス全体の中での位置づけの3つの観点から研究をレビューする。そこから,学習者のコンピテンシーを高めるための授業について考えたい。
まず,認知的方略の獲得については,様々なレベルの信念の関連と影響に注目する。領域固有・一般の認知的方略が数多く示され,その指導効果が示されてきた。一方,方略使用が,学習観に代表される「(その領域の)学習をどう捉えているか」という信念に影響されることも示されている。ただ方略を示すだけでは十分な指導にはなりにくく,信念への働きかけが必要だと考えられる。方略の獲得や使用に影響する信念とその信念への働きかけを検討する。
次に,方略の転移可能性について検討したい。一般に方略は転移しにくいことが知られているが,指導者は教えた方略が他の問題や文脈でも用いられることを期待しているだろう。方略の転移に注目した研究例を通して,方略指導と授業のあり方について検討する。
最後に,認知的方略を学習プロセス全体の中にいかに位置づけていくか,信念や転移の観点も考慮しながら検討する。自己調整学習理論では,「予見」「遂行」「自己内省」の3段階を循環する学習のプロセスを想定し,学習者が自立してそのプロセスを適応的に実行していくことを目指している。認知的観点からは,このプロセスの中で方略を適切に用いていくことが重要であるが,どのような授業がプロセスの中で認知的方略を用いることを促進できるだろうか。研究例を紹介するとともに,フロアとも議論しながら授業の中で学習プロセス全体を捉える方法を考えたい。
社会,自己意識,無意識の協働
及川昌典
私たちのパフォーマンスは,他者や社会からの期待と密接にむすびついている。私たちは社会や他者からの期待をつねに意識し,あるいは意識するともなく,それに応えようとする。また,私たちは何らかの期待を心に留め,それを基準としてパフォーマンスを評価しようとする。
このように,パフォーマンスとは期待に応えるということである。パフォーマンスが高いということは,期待以上の成果が得られているということであり,自己評価の向上や他者からの受容にもつながる。しかし,パフォーマンスを高めるために多大なコストを払っているのだとしたら,その状態を維持することは難しい。
一般に,パフォーマンスを高めるためには,意志の力を発揮して弛まぬ努力を続けることが重要であると考えられている。私たちの社会は,何をやるべきか,あるいは何をやるべきでないかを規定する有形無形の規範で溢れている。やりたくないことをやる,または,やりたいことをやらない,すなわちセルフコントロールを発揮するためには,意志の力が試される。セルフコントロールの高さは,現代社会において要求されるあらゆる課題のパフォーマンスを向上させる。また,セルフコントロールの失敗は,自己評価や社会的信頼を落とすことにもつながる。しかし,意志の力には限界がある。このような現代社会の要求に対応するためには,どうすればよいだろうか。
教育・社会心理学は,このような個人と社会のつながりに注目しながら,意志の力の限界や,無意識の心の働きについて明らかにしてきた。セルフコントロールは,個人のなかだけで完結するものではなく,対人関係や社会とも密接に関わっている。また,かつて無意識は不適応な行動と関連する特殊な機構であると考えられていたが,現在では,意識の限界を越えた適応的な行動を支える,一般的な機構としてとらえ直されてきている。
本日の話題提供では,社会や他者からの期待,それを意識する自己,そして無意識の心の働きという3つのシステムを想定する,3システムモデルの観点から,現実の社会文脈における複雑な要求に対応する力,コンピテンシーの本質について考える。
パフォーマンスとしての教室談話
松尾 剛
授業中の相互作用においては,個人的な達成と協同的な達成の両方を通じて様々なパフォーマンスが現れる。例えば,他児の発言に応じるといった行為は,しばしば教師の足場づくりに支えられながら子どもたちが相互作用を展開させていくダイナミズムの中で実現する。教室でのパフォーマンスを,子どもたちにすでに成立している学習の結果が表現されたものとして理解する場合,どちらかと言えば,個人的な達成が重視されることになるだろう。それに対して,発達の最近接領域(Vygotsky,1956)の概念を踏まえると,協同的に達成されるパフォーマンスには生成されつつある発達の過程と可能性が表現されているとみなすことができる。したがって,双方のパフォーマンスに目を向けていくことで,過去と未来を志向しながら授業実践を改善していくための豊かな情報を得ることが可能になるのではないだろうか。
授業における相互作用の特徴としては,個々の教室に特有な社会・文化・歴史的実践への参加を通じて,様々なパフォーマンスが生じているという点も指摘できる。自分たちの学級における「授業」とはいかなる活動なのか,その活動において自分たちはどのような責任や権利を持った存在であるのか,といった認識が日々の授業を通じて社会的に構成され,変化している。教室では,このような認識の変化とパフォーマンスの変化が同時に展開しているのではないだろうか。例えば,教師は授業の内容について語りながら,同時に授業という営みそのものについて語っている。このような関わりが,授業中の相互作用において生じる偶発的で創発的なパフォーマンスを,次の授業を支える認識の学習へと架橋する機能を果たしていると考えられる。
主体的・対話的で深い学びの実現が求められる今日において,授業におけるパフォーマンスを協同的な達成,そして,社会・文化・歴史的な実践への参加として理解する視点は,より重要性を増していると言えよう。しかし,そのような視点を授業の中で実現していくことは容易ではない。そこで本話題提供では,上記の視点から授業中の相互作用プロセスを紐解くことを通じて,教育現場への提案を模索していきたい。