日本教育心理学会第59回総会

講演情報

ポスター発表 PD(01-83)

ポスター発表 PD(01-83)

2017年10月8日(日) 10:00 〜 12:00 白鳥ホールB (4号館1階)

10:00 〜 12:00

[PD71] メトニミーを利用した指示に関する探索的な教室談話分析

教師による児童へ配慮と児童による指示理解

川島哲 (東京大学大学院)

キーワード:教室談話, 指示発話, メトニミー

問題と目的
 教室談話における指示の重要性について, 1年から6年までの教室談話全体を量的に分析した岸・野嶋(2006)は,どのクラスにおいても,一番頻度が多かった発話が「指示・確認」であることを指摘している。このような指摘にも関わらず,「指示」を主に扱った研究は少なく,岸らでも「指示・確認」の定義が「指示・促し・確認・問いかけ」とされるなど,自明のものとして扱われるか,そもそも扱われなかいことが多い(藤井,2007;川口,2011;瀬尾・中野,2013など)。しかし,指示発話に着目した教室談話研究の中で,小学校教師は,婉曲的な表現も含め,多様な表現で指示を行うことが指摘されている(川島,2014)。
 求める行為に直接言及せずに行為を求める発話は,メトニミー(換喩)を利用した発話であると言える。メトニミーを利用した指示とは,「行為の隣接性あるいは近接性に基づいて拡張・延伸された行為を求める発話」である。一般的に婉曲的な依頼は相手のフェイスに配慮した依頼とされるが(c.f. Brown & Levinson, 1987),小学校授業においては,理解するための負担を考慮する必要があり,二律背反状況にあると言える。特に小学校1年生においては,学校で求められる行為や許される行為の意味ネットワーク(授業ルールあるいは教室のグラウンド・ルール)が形成される過程にあることが予想されるため,メトニミーを利用した指示が理解されるための,さらなる発話が行われるだろう(児玉・笹屋・川島, 2015; 松尾・丸野, 2007; 2008)。教師はそのような言葉かけを通して,教師の発話と求められる行為の結び付きを確立させようとするだろう。
 そこで本研究では,小学校の教室談話を質的に分析することで,教師のメトニミーを利用した指示がもたらす児童への配慮と,求める行為を理解するための児童の負担との間に生じる葛藤と教師による判断を探索的・解釈的に明らかにする。
方   法
 小学校1年生の1クラスを対象に,5月から翌年3月の間,校長・担任教諭・保護者に許可を得て,週に1回の頻度で授業を参観し,映像記録およびフィールドノーツを得た。そこから,トランスクリプトを作成した。
 本研究の対象は,5月の国語授業1授業の話し合い活動である。指示と応答が滞りなく行われる事例を除き,指示発話は13事例観察された。その中から,教師の指示発話で言及している行為と実際に求めている行為の間に齟齬があると推測される事例として,複数事例にわたる「挙手事例」と,他の4事例が抽出され,解釈的に分析を行った。
結果と考察
 ここでは,「挙手事例」を採り上げる。
 話し合い活動を始める指示として,この活動では,発言者が特定の児童から席の並んだ順番に指名されることが発話された(「ね。では,金沢さんから前へ行きます。どうぞ」)。その後,事例3では「あ,もう挙げなくていいよ」,事例4では「順番に宛てるから大丈夫だよ。手を挙げなくても大丈夫だよ」,事例12では「あげなくて大丈夫です」という指示発話が観察された。
 以上の3事例における指示表現は,挙手するかどうかが当事者に委ねられることを発話の本来の意味として伝達していた。しかし,挙手するかどうかが当事者に委ねられていれば,複数回の同様の指示は必要ないため,「挙手しない」ことを求めるメトニミーを利用した指示と捉えられる。つまり,「挙手をしない」でいる状態が達成されていなかったから,二度目の指示が行われたと言える。また,複数回指示があることから,一部の児童に教師の意図が伝わっていなかったことが示された。
 一方で,教師は「大丈夫」を本来の意味を重視して用いた可能性がある。すなわち,挙手することは,話したいという児童の欲求の表れであり,児童の発言を必要とする話し合い活動において望ましい行為であり,他児童の学習の妨げにならない。ゆえに,児童の挙手を頭から否定することは今後の活動の妨げにこそなれ,メリットは少ない。上記事例では挙手し「なくて大丈夫」と伝えることで,児童が現に行っている「挙手する」という行為を否定しなかった。「大丈夫」という言葉は,挙手しないことも挙手することも認めることから,児童が正しい行為をしていると認め,児童に肯定的なメッセージを伝える指示発話と捉えられる。
 以上,メトニミーを利用した指示が求める行為と,複数回指示を行わざるを得なかった状況と,発話の本来の意味の解釈を示した。これらを考察すると,教師は戦略的に,指示理解のための児童の負担に配慮するより,メトニミーにおける「本来の意味の『二次的活性化』」(籾山,2001)による児童の肯定を重視したことが推察された。