日本教育心理学会第59回総会

講演情報

ポスター発表 PE(01-80)

ポスター発表 PE(01-80)

2017年10月8日(日) 13:30 〜 15:30 白鳥ホールB (4号館1階)

13:30 〜 15:30

[PE40] 仮説実験授業のたのしさを決めるもの(4)教材論

学び手の素朴理論との対話に始まる科学の実現

守屋明佳 (仮説実験授業研究会)

キーワード:仮説実験授業, 授業のデザイン, 素朴理論との対話・克服

問   題
 今回は,仮説実験授業(以下「仮説」)のたのしさを決める要因として,板倉聖宣の「教材論」を取り上げる。板倉の問題提起は以下である(板倉,1966,1968,1983,2009)。知識は正しくさえあれば教育に値するのか,学び手の素朴理論の克服に役立たない教育は「科学教育」の名に値するのか,「科学の素晴らしさ・たのしさ」を学び手に伝えることに成功しているのか。本稿では,学び手の素朴理論の変革をそれとの「対話」を通じて実現しようとする板倉らの授業デザイン(以下下線,それ自体が科学となっている)がどのように認識の変革をもたらし,どれ程「科学のたのしさ」を学び手達に印象づけることに成功しているのか,授業書《花と実》を取り上げ分析する。
方   法
 分析したのは,西川(1988),出口(2006),小池(1986,1988),竹田(2012),田中(2013)らが公表している,計11クラス347名(小5が38名,小6が121名,中1が188名)の,《花と実》の授業記録及び授業通信である。《花と実》Ⅰ~Ⅳには,「花弁を核とした花の概念の修正・変革」と「植物の生殖原理の学習」ほかを目的に,生徒達が予想を立てて討論し現象を確かめる「問題」が注意深く配列されている。計20問あるそれら問題で正しく立てられた予想の割合(「正答率」)の推移を,記録のある4クラス(西川,出口,竹田の2クラス)についてグラフ化し,討論及び感想文に現れる素朴理論の克服過程と照合した。次に,生徒全員の授業後感想文が記録されていた3クラス(西川,竹田の2クラス)について感想を言及対象により文単位で分類し(「獲得した科学的知識」「発見の驚き」「たのしさ」「意欲」「その他」),生徒達が授業の何を評価していたのかを分析した。
結果と考察
授業書を通じての「正答率」の推移 授業書《花と実》の問題配列における「正答率」の推移をFig.1に示す。グラフには大きく4つの変動「正答率の低下とその回復」(a~d)が示されている。いずれも4クラス共通である。aは「チューリップには実がなり種ができるか」という問題への誤答で,素朴理論「チューリップは球根で増えるために種はつくらない」に起因する。この誤答の後チューリップの球根と種の違いについてのお話も読んで「花は咲けば実・種をつけるもの?」と考え直すことのできた生徒達は,次の油菜の問題で正答する。素朴理論に基づく間違いから学ぶこのパターンは「仮説」の大きな特徴だ。理解の修正の為には間違いと共に「間違いから学んだ後の予想が当たる経験」も重要である。bは雌花と雄花が同じ株にないとカボチャの実はならないと考える誤答で,カボチャが虫により受粉する植物であることを学ぶための準備となる。cは二十日大根の種はカブの中にできるという誤答で,二十日大根で食する部分を根でなく実だと考える生徒が多いために発生する。それまでの授業で種が実の中にできることを学んだが故の誤答でもある。生徒達はこの問題で「種を含む実は雌しべの受粉で子房が熟したものであり花の後にしかできない」ことをより正確に認識するようになる。よってこの後の問題「トマトには花が咲くか」の正答率は全クラスでほぼ100%に達する。dは雑草であるネコジャラシにも花が咲くかという問題への誤答である。「美しい花」「実を食べる花」で花が咲き実・種ができることは学習済みだが,「花系でない草系には花は咲かない」という素朴理論の表明に正答からの予想変更が続出した。普段花には気づきもしない草にも花が咲き実・種ができることをこの問題で学ぶと,次の問題「稲・麦には花は咲くか」にも正答できるようになる。「雌しべや雄しべがあれば花である」という科学概念に得心できるのは,「生殖に花弁が不要な風媒花とその実」に出会うこの最終局面においてだろう。上記以外にも花と実の科学的理解を阻む素朴理論は少なくなく(例,木には花は咲かない,葉物野菜には花は咲かない,植物には雌雄の別がない),これらを俎上にのせることなく花と実についての「科学教育」を行うことは困難である。が,学び手が既有の構えと対話できる仕掛けを作れば学習効果は確実に上がる。Fig.1の折れ線も,授業書の終盤に向けて上昇傾向を示している。花と実についての「法則とその適用範囲」に関する学習が深化していることが示唆される。また感想文からも生徒達の認識変容のプロセスは明らかだ。ある生徒はチューリップ,油菜,桜の問題の後「もしかしたらぜーんぶ種・実ができるのかも」と発言し,またある生徒はパイナップルの問題の後,どれ程「意外」であっても実がなる植物には「やはり」花が咲くことを学び,また別の生徒はネコジャラシの問題の後「(植物なら)何が何でも花は咲く」と確信した。「最後の方は絶対こうだと自信を持つようになった」と表現したのは他のクラスの一人でも,多くの生徒達が同様に感じていたことだろう。こうして一人一人は「ユニーク・パス」を辿りながら,クラス全体での科学的概念の獲得は進んでいった。素朴理論を試し終えた生徒達の最終テストにおける平均点は,出口のクラスで92点だった(他クラスでのテストの実施はない)。クラスでの復習4日後のテストとはいえ,素朴理論がまだ存在していた時には間違えていた問題群での点数である。科学的理解が深まり,学び手個々人の認識が変革されていたことの証だろう。「花は,雌しべや雄しべを備え実をならす働きがあれば花弁を欠いていても花であり,植物の多くは花を咲かせて実・種を作ることで繁殖する」とまとめれば短い命題の学習が実はどれほど困難であるか,また素朴理論の存在に「仮説」がいかに丁寧に向き合っているか,を示す折れ線がFig.1である。(花に依らず繁殖する植物の話が《花と実》第Ⅳ部の最後を飾る。「何が何でも花は咲き実・種はできる」と学んだ後の展開である。最後まで「予想外の発見」を伴い「思考をいざなう」授業書だ)。
授業最後の感想文で以下に言及した生徒の割合(N=80) 獲得した科学的知識が71%,発見の驚きが48%,楽しさが55%(以下も参照),知りたい事やわいた疑問,今後の希望など意欲と関わるものが26%であった(組み合わせでは知識,驚き,楽しさに同時に言及するものが20%で最多だった)。授業内容が理解できなければ更なる疑問は生じず,楽しくなければ意欲もわかない。素朴理論の克服のみならずその意味でも,この授業書は成功していたのかもしれない。《花と実》を5段階評価で「大変楽しかった」「楽しかった」と評価した生徒はクラスによって77%から100%,10クラス302名の総計では91%だったが,楽しかった理由には「素朴理論反証の驚き」や「新たにわかる喜び」と共に「納得」をもたらす「探求過程」そのものも含まれた。
 以上より,《花と実》は「素朴理論の克服を伴う,その名に相応しい科学教育」となっていたことが示唆される。そして科学は歓迎された。科学理論を相対化する素朴理論共存説には説明できない現象だろう。今は通念の「科学への不完全な移行」は,不足ある教え方が生み出す「人為構造」なのではなかろうか。
 最後に,データ使用を快諾して下さった西川(故人),出口,小池,竹田,田中の諸先生方に心から感謝申し上げたい。