[JC08] 学習者の「問う力」を育成する教育実践と理論
主体的・対話的で深い学びの実現に向けて
キーワード:問い、質問、深い学び
学習者が主体的に考える際に大切になってくるのが「問う力」である.適切な問いを立てることができれば,「知りたい」という欲求が高まり,主体的な学びが促される.また,学習者が考えた「問い」をグループワークや全体でシェアして一緒に考えることで「問いの共有化」がなされ,対話的な学びが生まれる.
さらに,問いを立てることで,自分が知っていると思っていたことに,より深い意味があることに気づくことができる.このように,これからの教育において大切になってくるのが「問う力」である.しかし,これまでの学校教育において「問う」主体は教師であった.そのため,どのような教育実践を行えば,学習者の「問う力」を育成することができるのかに関する知見が未だ広く知られていない.
そこで,本シンポジウムでは,学習者の「問う力」を育成する教育実践に携わっている方々に,背景理論と共に,学習者の「問う力」の育成の仕方の詳細について語って頂く.本シンポジウムが教育現場で学習者の「問う力」の育成を行っている方々のヒントになれば幸いです.
留学生対象の授業で「問う力」をどう育成するか
小山 悟
本発表では,留学生対象の日本語の授業で学生たちの「問う力」を育成するために行なっている質問作成の実践について報告する。と言っても,日本語の文法や語彙について質問を考えさせるのではない。幕末・明治の歴史について日本語で学習した後にその日の学習内容について毎回質問を書くというもので,田中(1996)や道田(2011)の実践から着想を得ている。
実践を始めた当初は,深い学びが生じたことを裏付けるような質問がほとんど見られず,その原因について「母語以外の言語で講義を聞き,その直後に質問を書くのは,留学生にとって負担が大きすぎたため」と考えていた。しかし,日本人学生対象の集中講義でも同じように質問を書かせてみたところ,質問の質はやはり高いとは言えなかった。そのことから,留学生特有の問題(主として日本語力)が影響した可能性も否定できないが,それ以前に質問の書かせ方や授業設計の点で大きな問題があったことに気づかされた。そこで,それ以後「留学生対象の日本語の授業でどうすれば学生たちの講義を聞く態度を変え,質問の質を高めることができるのか」をテーマに,日本人学生との比較を通して問題点を明らかにし,学習方略研究の知見に基づいて改善策を考え,実践・検証するという作業を繰り返してきた。
本発表ではそうした試行錯誤を重ねる中で見出した授業デザインのポイントについて「学生たちが質問を考えられる環境をどう整えるか」と「質問の考え方・書き方を具体的にどう指導するか」の2点を中心に紹介したい。また,本実践において「学生たちの主体的で深い学びはいつ,どこで,どのように生じていたのか」について筆者の見解を述べるとともに,今後の課題についても述べたい。
授業実践の中で学習者の質問を引き出すことはできるのか
生田淳一
授業改善の結果生まれたすぐれた授業実践では,学習者の問いが「主体的・対話的で深い学び」を生み出すという場面とともに,「主体的・対話的で深い学び」が学習者の問いを生み出すという場面に出会うことがある。
学習者の質問力を向上させる,あるいは,質問を引き出す方法として,先行研究では,「質問のつくり方をトレーニングする」方法や,そういったトレーニングをせず,「繰り返し質問をする機会を提供する」方法(たとえば,授業のおわりの「ふりかえり」の時間にリアクションペーパーに質問を記述させるなど),あるいは,その両方をセットで行っていく方法が取り組まれている。いずれにしてもこれらの方法は,学習者が質問を思いつかない,思いつく力がないという前提のもと行われる取り組みといえる。
しかしながら,「主体的・対話的で深い学び」が問いを生み出すという視点に立てば,昨今のそういった学びを引き出そうとする授業改善の成果として,多くの授業において学習者の自発的な質問が引き出されているかもしれない。また,最近の授業改善では,授業の終わりに,いわゆる「ふりかえり」の時間を取り入れ学習過程の改善をはかっている取り組みが多くみられる。これまでの一方向的な教授型の授業では求められることが少なかったこのような学習者に委ねられた時間の中で,学習者は自発的に質問を生成し,自らの考えを深めている可能性があるのではないか。また,その結果として学習者の問いを立てる力や疑問を持つ力が高まる,といったことが起こっているのではないだろうか。
ここでは,小学校での授業実践を中心に,学習者の「ふりかえり」の時間での記述の分析を通して,授業の中で,どのくらい学習者は自発的な質問生成を行っているのか,また,そういった経験の中で質問力が高まるのか,について検討した結果を報告し,日常的な授業の中で質問を引き出せるか否かについて議論したい。
「児童生徒の問いに基づいた授業」の実践
小山義徳
本発表では,「児童生徒の問いに基づいた授業」を提案し,具体的な指導手順について解説する.「児童生徒の問いに基づいた授業」は4つのステップ(1.授業者による教材の解説 2.児童生徒の理解の確認 3.児童生徒が問いを生成 4.生成した問いに基づいた活動(話し合い,調べ学習)から成る.
実践する上で特に問題になるのが,「3.児童生徒が問いを生成」である.児童生徒の生成する問いの中には,考えても答えが出にくいもの(例:「なぜ,赤オニと青オニで,黄オニと紫オニでないのか」等が,含まれることである.この問題に対し,本発表では教師が「適切な問い」と「不適切な問い」のモデルを示し,「なぜ適切なのか」,「なぜ不適切なのか」理由づけをすることで,児童生徒が自分で問いを精選することができるように指導を行った.本発表では,この「質問精査トレーニング」の効果について報告する.
「『問う力』を育成する実践」を問う
白水 始
本シンポの問いは,「どのような教育実践を行えば,学習者の「問う力」を育成することができるのか」というものである.本報告では,この問いそのものを問い直すことで,他の報告者とは少し違った角度からの貢献を試みたい.
報告者は上記のリサーチクエスチョンを聞くと,二つの懸念を感じる.一つは,問う対象や状況抜きに,独立して働く「力」が想定されるのではないか(問えるかどうかは学習環境ではなく個人の力量次第だと考えられてしまう),ということ,二つは,児童生徒の「問う力」の強調がそのまま「教師ではなく児童生徒が問いを出せばよい」という実践を短絡的に推奨してしまうのではないか,ということである.
問いは,問う対象に対する知識や理解と独立には生まれてこない.むしろ,何が未知かをわかる既有知識や不理解を捉える理解があって初めて問いは生まれる (Miyake & Norman, 1979).だとすれば,実践においても,先生が全く問いを立てずに,子どもだけがそうする実践に比べ,先生が最初に一つだけ問いを出して,その問いに答えを出しながら自発的に問いの生成を促す実践の方が,子どもから出る問いの質・量とも上がる可能性が考えられる.加えて,めいめい自由な問いを探究する実践に比べ,同じ問いに答えを出す協調問題解決状況がそこから生まれる問いの比較吟味をしやすくさせる可能性も考えられる.
私たちCoREFの実践はその可能性を実証するものである.その成果に基づき,今後の「問う力」実践研究は,実践の前提となる「問いはどう生まれると考えるのか」という仮説の明確化,それに基づく対話データも含めた問いの収集,「問う力」の定義と評価という三つの柱が重要になる,という方法論について協議したい.
学習者が問う授業をつくるために
道田泰司
これからの教育においては,「問い」が生まれる授業(沖縄県教育委員会, 2018),「問い」を発する子ども(秋田県教育庁義務教育課, 2011),次の問いを見つける力としての思考力(国立教育政策研究所, 2013)などが求められている。ではどのように考えて授業づくりを行えばいいであろうか。本発表では,先行実践や筆者が見聞した授業実践に対して整理を行い,学習者が問う授業をつくる一助となることを目指したい。
まず考えるべきは,「習得サイクル」の学習なのか「探究サイクル」の学習(市川, 2002)なのかである。探究サイクルの学習で,研究活動の出発点にはリサーチクエスチョンがある。しかし,探究すべき問いが見いだせない学習者がいる。適切な問いが立てられない学習者もいる。そこで,質問語幹リスト法(King, 1995)などの補助手段を用いるやり方があるが,その際,形式的,機械的な問いにならないよう,教師の配慮が必要になる。
習得サイクルの学習においても,単に「知っている」だけでなく,「分かって」「使える」質の高い知識(国立教育政策研究所, 2015)を習得するためには,問いによって問題を意識化(篠ケ谷, 2011)し,そこから深める学びが有効であろう。大きく分けると,学びの入り口で学習者に問いを出させ,その問いを軸に学びを深めていくスタイルの実践と,ある程度学んだうえで,振り返りのなかで学習者に問いを出させる実践の2種類があるように思われる。授業を通して実現したい学びのあり方を見据えて,どちらのスタイルを採用するかを考える必要がある。これらの授業においても,教師の配慮が必要になることを論じる予定である。
さらに,問いを立てることで,自分が知っていると思っていたことに,より深い意味があることに気づくことができる.このように,これからの教育において大切になってくるのが「問う力」である.しかし,これまでの学校教育において「問う」主体は教師であった.そのため,どのような教育実践を行えば,学習者の「問う力」を育成することができるのかに関する知見が未だ広く知られていない.
そこで,本シンポジウムでは,学習者の「問う力」を育成する教育実践に携わっている方々に,背景理論と共に,学習者の「問う力」の育成の仕方の詳細について語って頂く.本シンポジウムが教育現場で学習者の「問う力」の育成を行っている方々のヒントになれば幸いです.
留学生対象の授業で「問う力」をどう育成するか
小山 悟
本発表では,留学生対象の日本語の授業で学生たちの「問う力」を育成するために行なっている質問作成の実践について報告する。と言っても,日本語の文法や語彙について質問を考えさせるのではない。幕末・明治の歴史について日本語で学習した後にその日の学習内容について毎回質問を書くというもので,田中(1996)や道田(2011)の実践から着想を得ている。
実践を始めた当初は,深い学びが生じたことを裏付けるような質問がほとんど見られず,その原因について「母語以外の言語で講義を聞き,その直後に質問を書くのは,留学生にとって負担が大きすぎたため」と考えていた。しかし,日本人学生対象の集中講義でも同じように質問を書かせてみたところ,質問の質はやはり高いとは言えなかった。そのことから,留学生特有の問題(主として日本語力)が影響した可能性も否定できないが,それ以前に質問の書かせ方や授業設計の点で大きな問題があったことに気づかされた。そこで,それ以後「留学生対象の日本語の授業でどうすれば学生たちの講義を聞く態度を変え,質問の質を高めることができるのか」をテーマに,日本人学生との比較を通して問題点を明らかにし,学習方略研究の知見に基づいて改善策を考え,実践・検証するという作業を繰り返してきた。
本発表ではそうした試行錯誤を重ねる中で見出した授業デザインのポイントについて「学生たちが質問を考えられる環境をどう整えるか」と「質問の考え方・書き方を具体的にどう指導するか」の2点を中心に紹介したい。また,本実践において「学生たちの主体的で深い学びはいつ,どこで,どのように生じていたのか」について筆者の見解を述べるとともに,今後の課題についても述べたい。
授業実践の中で学習者の質問を引き出すことはできるのか
生田淳一
授業改善の結果生まれたすぐれた授業実践では,学習者の問いが「主体的・対話的で深い学び」を生み出すという場面とともに,「主体的・対話的で深い学び」が学習者の問いを生み出すという場面に出会うことがある。
学習者の質問力を向上させる,あるいは,質問を引き出す方法として,先行研究では,「質問のつくり方をトレーニングする」方法や,そういったトレーニングをせず,「繰り返し質問をする機会を提供する」方法(たとえば,授業のおわりの「ふりかえり」の時間にリアクションペーパーに質問を記述させるなど),あるいは,その両方をセットで行っていく方法が取り組まれている。いずれにしてもこれらの方法は,学習者が質問を思いつかない,思いつく力がないという前提のもと行われる取り組みといえる。
しかしながら,「主体的・対話的で深い学び」が問いを生み出すという視点に立てば,昨今のそういった学びを引き出そうとする授業改善の成果として,多くの授業において学習者の自発的な質問が引き出されているかもしれない。また,最近の授業改善では,授業の終わりに,いわゆる「ふりかえり」の時間を取り入れ学習過程の改善をはかっている取り組みが多くみられる。これまでの一方向的な教授型の授業では求められることが少なかったこのような学習者に委ねられた時間の中で,学習者は自発的に質問を生成し,自らの考えを深めている可能性があるのではないか。また,その結果として学習者の問いを立てる力や疑問を持つ力が高まる,といったことが起こっているのではないだろうか。
ここでは,小学校での授業実践を中心に,学習者の「ふりかえり」の時間での記述の分析を通して,授業の中で,どのくらい学習者は自発的な質問生成を行っているのか,また,そういった経験の中で質問力が高まるのか,について検討した結果を報告し,日常的な授業の中で質問を引き出せるか否かについて議論したい。
「児童生徒の問いに基づいた授業」の実践
小山義徳
本発表では,「児童生徒の問いに基づいた授業」を提案し,具体的な指導手順について解説する.「児童生徒の問いに基づいた授業」は4つのステップ(1.授業者による教材の解説 2.児童生徒の理解の確認 3.児童生徒が問いを生成 4.生成した問いに基づいた活動(話し合い,調べ学習)から成る.
実践する上で特に問題になるのが,「3.児童生徒が問いを生成」である.児童生徒の生成する問いの中には,考えても答えが出にくいもの(例:「なぜ,赤オニと青オニで,黄オニと紫オニでないのか」等が,含まれることである.この問題に対し,本発表では教師が「適切な問い」と「不適切な問い」のモデルを示し,「なぜ適切なのか」,「なぜ不適切なのか」理由づけをすることで,児童生徒が自分で問いを精選することができるように指導を行った.本発表では,この「質問精査トレーニング」の効果について報告する.
「『問う力』を育成する実践」を問う
白水 始
本シンポの問いは,「どのような教育実践を行えば,学習者の「問う力」を育成することができるのか」というものである.本報告では,この問いそのものを問い直すことで,他の報告者とは少し違った角度からの貢献を試みたい.
報告者は上記のリサーチクエスチョンを聞くと,二つの懸念を感じる.一つは,問う対象や状況抜きに,独立して働く「力」が想定されるのではないか(問えるかどうかは学習環境ではなく個人の力量次第だと考えられてしまう),ということ,二つは,児童生徒の「問う力」の強調がそのまま「教師ではなく児童生徒が問いを出せばよい」という実践を短絡的に推奨してしまうのではないか,ということである.
問いは,問う対象に対する知識や理解と独立には生まれてこない.むしろ,何が未知かをわかる既有知識や不理解を捉える理解があって初めて問いは生まれる (Miyake & Norman, 1979).だとすれば,実践においても,先生が全く問いを立てずに,子どもだけがそうする実践に比べ,先生が最初に一つだけ問いを出して,その問いに答えを出しながら自発的に問いの生成を促す実践の方が,子どもから出る問いの質・量とも上がる可能性が考えられる.加えて,めいめい自由な問いを探究する実践に比べ,同じ問いに答えを出す協調問題解決状況がそこから生まれる問いの比較吟味をしやすくさせる可能性も考えられる.
私たちCoREFの実践はその可能性を実証するものである.その成果に基づき,今後の「問う力」実践研究は,実践の前提となる「問いはどう生まれると考えるのか」という仮説の明確化,それに基づく対話データも含めた問いの収集,「問う力」の定義と評価という三つの柱が重要になる,という方法論について協議したい.
学習者が問う授業をつくるために
道田泰司
これからの教育においては,「問い」が生まれる授業(沖縄県教育委員会, 2018),「問い」を発する子ども(秋田県教育庁義務教育課, 2011),次の問いを見つける力としての思考力(国立教育政策研究所, 2013)などが求められている。ではどのように考えて授業づくりを行えばいいであろうか。本発表では,先行実践や筆者が見聞した授業実践に対して整理を行い,学習者が問う授業をつくる一助となることを目指したい。
まず考えるべきは,「習得サイクル」の学習なのか「探究サイクル」の学習(市川, 2002)なのかである。探究サイクルの学習で,研究活動の出発点にはリサーチクエスチョンがある。しかし,探究すべき問いが見いだせない学習者がいる。適切な問いが立てられない学習者もいる。そこで,質問語幹リスト法(King, 1995)などの補助手段を用いるやり方があるが,その際,形式的,機械的な問いにならないよう,教師の配慮が必要になる。
習得サイクルの学習においても,単に「知っている」だけでなく,「分かって」「使える」質の高い知識(国立教育政策研究所, 2015)を習得するためには,問いによって問題を意識化(篠ケ谷, 2011)し,そこから深める学びが有効であろう。大きく分けると,学びの入り口で学習者に問いを出させ,その問いを軸に学びを深めていくスタイルの実践と,ある程度学んだうえで,振り返りのなかで学習者に問いを出させる実践の2種類があるように思われる。授業を通して実現したい学びのあり方を見据えて,どちらのスタイルを採用するかを考える必要がある。これらの授業においても,教師の配慮が必要になることを論じる予定である。