[PD50] 就学における障害のある子どもへの付き添いの多義性
母親のナラティブ
キーワード:障害児、差別、合理的配慮
問題と目的
日本の公教育は,基本的に平均的な身体や発達の子どもを前提としており,その規範に当てはまらない子どもの就学においては様々な不適合が生じる場合がある。障害のある子どもの就学における不適合を補完するために,戦前から保護者等の付き添いが求められてきた(松本, 1998)。
障害のある子どもにのみ保護者等の付き添いが求められることは重大な人権課題であるが,報告もほとんどなく未だ解消されていない。そこには制度的欠陥のみでなく付き添いを合理化する心理が働いていると考えられる。本研究は,付き添いに関する母親のナラティブから,付き添いの発生・維持に生じる相互行為からその心理を検討する。
方 法
本発表では小学校における終日の付き添い経験のある2名の語りを報告する。語りは斜体とし,筆者による補足は()とした。
結果と考察
Aさんは,肢体不自由の男性の母親である。障害のある子も地域で育つのが当たり前であるとして,地域の普通学級への就学を決意した。しかしながら,就学指導委員および学校の態度は堅く閉ざされており,何度も交渉を行う。入学直前となっても話がまとまらず,介助員が見つかるまでという前提で「協力」を承諾した。
A:入学式の前々日ぐらいまで。話し合いが続くわけです。話し合いじゃないですよ。これは話し合いと書いてあるけど話し合いじゃないです。説得・・・何しろ養護学校へ行けっていう説得がずうっと続くわけですね。入学式の2日ぐらい前になって こっちはほら切羽詰るわけじゃない。入学できないんじゃないかって。なので2,3ヶ月かかるからお母さんやってくれないかって言われて,仕方なくじゃあそれだったらっていうわけですよ。でそれがもうね6年付くってなっちゃってました。
実際に介助員は数年後に配置されたがそれ以降もAさんの付き添いは6年間外れることはなかった。このことを踏まえると,学校側は付き添い解消のためにやむを得ず「協力」を要請したのではなく,介助の担い手を親に維持させるために「協力」という多義的な表現を用いたと考えられる。
A:母親だったら(付いていくべき)って言われましたけど。
A:ここに来る子じゃないって根底がこの中に含まれてるんですよ。
A:この子は言葉が喋れないからっていう理由です。何が起きるかわからないって言うんだからね。
Aさんが教員や保護者から受けたこれらの発言より,愛情規範(岡原, 1990),学級集団からの排除,不可解なものとしての障害観によって,障害のある子どもへの親の付き添いが正当化されていることが伺える。
Bさんは,自閉症の男性の母親である。判定は普通学級ではなかったが,特別支援学級がなく普通学級に入ることとなった。終日の付き添い期間はおよそ1年間である。以下は付き添いの話題が生じた時の語りである。
B:小学校1年生入るときに,その時はまあ軽度かなと言われていて普通学級に入ることになったんです。特別学級じゃなくて普通学級に入って,入れてもらったんですけども,その時にやっぱりあのー何を急にするかわからない。やっぱしね,人の邪魔をするのは分かってるので,なので,お母さん1日いてくださいと言われてお昼を持って廊下に椅子を置いてもらって朝から6限の終わるまでずーっといて。
判定の結果が普通学級に入ることへの負い目をもたらす可能性が示唆された。またこの語りからは,Bさん自身の視点と教師の視点が交錯しており,障害のある子どもへの周囲のまなざしが内面化されていることが伺える。
Bさんは付き添いが「ほんっとにしんどかった」という一方で,次のように語った。
B:でも今思うと,子供の他の子達のこともいっぱい見れたし。こういう時おばちゃんどうしたらいいの?って,私の子どもと接する時に,おばちゃん,これどうしたらええの?わからん教えてって言われたら,こういう時はこうしてこうしてくれる?って言ったら分かったって。そういう感じで。(中略)先生も付き添いしとる私がえらそうな顔見てもらってるので。お母さんえらいやろなあってわかってもらえるし。そこでこう休み時間に先生と色々話ししたりとか。密にできるっていう面ではいいのかなと。
Bさんは付き添う中で教師や子供と関係を深め,付き添いの経験を再構成していた。
日本の公教育は,基本的に平均的な身体や発達の子どもを前提としており,その規範に当てはまらない子どもの就学においては様々な不適合が生じる場合がある。障害のある子どもの就学における不適合を補完するために,戦前から保護者等の付き添いが求められてきた(松本, 1998)。
障害のある子どもにのみ保護者等の付き添いが求められることは重大な人権課題であるが,報告もほとんどなく未だ解消されていない。そこには制度的欠陥のみでなく付き添いを合理化する心理が働いていると考えられる。本研究は,付き添いに関する母親のナラティブから,付き添いの発生・維持に生じる相互行為からその心理を検討する。
方 法
本発表では小学校における終日の付き添い経験のある2名の語りを報告する。語りは斜体とし,筆者による補足は()とした。
結果と考察
Aさんは,肢体不自由の男性の母親である。障害のある子も地域で育つのが当たり前であるとして,地域の普通学級への就学を決意した。しかしながら,就学指導委員および学校の態度は堅く閉ざされており,何度も交渉を行う。入学直前となっても話がまとまらず,介助員が見つかるまでという前提で「協力」を承諾した。
A:入学式の前々日ぐらいまで。話し合いが続くわけです。話し合いじゃないですよ。これは話し合いと書いてあるけど話し合いじゃないです。説得・・・何しろ養護学校へ行けっていう説得がずうっと続くわけですね。入学式の2日ぐらい前になって こっちはほら切羽詰るわけじゃない。入学できないんじゃないかって。なので2,3ヶ月かかるからお母さんやってくれないかって言われて,仕方なくじゃあそれだったらっていうわけですよ。でそれがもうね6年付くってなっちゃってました。
実際に介助員は数年後に配置されたがそれ以降もAさんの付き添いは6年間外れることはなかった。このことを踏まえると,学校側は付き添い解消のためにやむを得ず「協力」を要請したのではなく,介助の担い手を親に維持させるために「協力」という多義的な表現を用いたと考えられる。
A:母親だったら(付いていくべき)って言われましたけど。
A:ここに来る子じゃないって根底がこの中に含まれてるんですよ。
A:この子は言葉が喋れないからっていう理由です。何が起きるかわからないって言うんだからね。
Aさんが教員や保護者から受けたこれらの発言より,愛情規範(岡原, 1990),学級集団からの排除,不可解なものとしての障害観によって,障害のある子どもへの親の付き添いが正当化されていることが伺える。
Bさんは,自閉症の男性の母親である。判定は普通学級ではなかったが,特別支援学級がなく普通学級に入ることとなった。終日の付き添い期間はおよそ1年間である。以下は付き添いの話題が生じた時の語りである。
B:小学校1年生入るときに,その時はまあ軽度かなと言われていて普通学級に入ることになったんです。特別学級じゃなくて普通学級に入って,入れてもらったんですけども,その時にやっぱりあのー何を急にするかわからない。やっぱしね,人の邪魔をするのは分かってるので,なので,お母さん1日いてくださいと言われてお昼を持って廊下に椅子を置いてもらって朝から6限の終わるまでずーっといて。
判定の結果が普通学級に入ることへの負い目をもたらす可能性が示唆された。またこの語りからは,Bさん自身の視点と教師の視点が交錯しており,障害のある子どもへの周囲のまなざしが内面化されていることが伺える。
Bさんは付き添いが「ほんっとにしんどかった」という一方で,次のように語った。
B:でも今思うと,子供の他の子達のこともいっぱい見れたし。こういう時おばちゃんどうしたらいいの?って,私の子どもと接する時に,おばちゃん,これどうしたらええの?わからん教えてって言われたら,こういう時はこうしてこうしてくれる?って言ったら分かったって。そういう感じで。(中略)先生も付き添いしとる私がえらそうな顔見てもらってるので。お母さんえらいやろなあってわかってもらえるし。そこでこう休み時間に先生と色々話ししたりとか。密にできるっていう面ではいいのかなと。
Bさんは付き添う中で教師や子供と関係を深め,付き添いの経験を再構成していた。