10:00 AM - 10:15 AM
[T13-O-6] Relationship between Chikuma-gawa floods and land utilization, based on the sedimentological studies of the Ninna flood sand beds in A.D. 888
Keywords:flood deposits, Chikuma-gawa River, Heian period, flood plain
はじめに
千曲川は,長野,山梨,埼玉の三県境界の甲武信ヶ岳に源を発し,長野県内の佐久平(佐久盆地),塩田平(上田盆地),善光寺平(長野盆地)などの盆地を通り,新潟県境で信濃川と呼称を変えて日本海に達する全長367 kmの日本最長の河川である.2019年10月関東地方西部を通過した台風による豪雨によって,長野盆地で複数の堤防が決壊し,大きな被害をもたらした.千曲川の洪水は,数多く歴史記録に残されているが,最も古い記録は西暦888年の洪水である.河内(1983)は,『日本三代実録』『類聚三代格』『日本紀略』『扶桑略記』の記述に基づき西暦888年(仁和4年)に,千曲川上流の八ヶ岳山麓に形成された天然ダムが決壊して洪水が発生し,長野盆地まで達していたことを示した.このことから,上田盆地,長野盆地の平安期の遺跡や水田跡を覆う砂層は.その際の洪水によりもたらされたものであると解釈され,その発生前の状況についても考古学的に検討された(川崎,2000). この発表では,この洪水砂層とその上位と下位の堆積物を堆積学的に検討して,洪水前の千曲川流域の土地利用と環境,仁和洪水の特徴,洪水後の環境と人間活動についてその概要を示す.
研究手法
長野県埋蔵文化財センターによって,発掘が進められている長野市南部の塩崎遺跡,石川条里遺跡,上田盆地北端に位置する坂城町の上五明遺跡,加えて千曲市によって発掘された屋代遺跡,本誓寺遺跡における平安期水田を埋積する砂層とその上下の泥層を数cmから10 cmの上下間隔で採取した.砂層については,レーザー回析法による粒度分析をおこない,岩相記載と合わせてその運搬・堆積機構を考察した.一方,泥層については,全有機炭素量(TOC),全窒素量(TN),全イオウ量(TS),安定炭素同位体比分析(δ13C),珪藻分析によって堆積環境もしくは人為的影響を考察した.
洪水前の土地利用
仁和洪水の砂層下は,多くの遺跡において水田跡である.千曲川の氾濫原は,弥生時代以降現在まで水田として耕作されきた.洪水砂層直下の泥層はいずれの場所でも炭質物に富んでおり有機炭素量が1%程度とやや高い.一方,砂を含など淘汰が悪く,珪藻遺骸はほとんど産出しない.洪水砂層の下位20cm前後の炭質泥から求めた放射性炭素年代は4から5世紀の年代を示し,洪水以前は人為的に掘り返しながら,沢などから水を引くことによって水田を長く維持してきたことを示していると考えられる.
洪水の特徴
屋代遺跡の2 mに及ぶ砂層は,逆級化構造を基底に伴い,逆級化−正級化のサイクルが2回認められる.しかし,西側の山際に近い石川条里遺跡の洪水砂層は,20 cmの程度の厚さで正級化構造は認められが偽礫や逆級化構造は認められない.前者の例はこの洪水が2回のピークを持っていたことを示し,一方,後者は千曲川から離れた氾濫原に達した洪水はピーク以降にこの地点に達し水域を形成して正級化構造のみを形成したことを示す.さらに,洪水砂の直上の泥層には停滞水域を示す珪藻の遺骸が比較的保存良く産出することがあり,洪水後も長野盆地南部にはしばらく水域が残されたと考えられる.
洪水後の環境と人間活動
長野盆地南部の水域消失後,その上位の泥層のTOC値などから水田としての利用が再開されたと考えられる.珪藻化石の保存は極めて悪く,水田を耕作するような人的な撹乱があったと考えられる.また,考古学情報からも多くの遺跡で水田の復興を示す人的撹乱が認められている.ただ,2 mの砂層が堆積した千曲市屋代では,砂層の堆積により相対的な高地が出来上がり,水田としての利用は難しくなったようで,最上部の人的撹乱はかなり新しいものと思われる. 2019年の台風豪雨の洪水と仁和洪水ではその発生要因が全く異なるが,千曲川上流域に発生原因があることでは一致している.このように,過去の事例は河川の近隣に住む人々に重要な情報をもたらしてくれる.
文献
河内晋平,1983,八ヶ岳大月川岩屑流,地質学雑誌,89,173-182.
川崎 保,2000,「仁和の洪水」砂層と大月川岩屑なだれ,長野県埋蔵文化財センター紀要,8,39-48.
研究協力:(財)長野県埋蔵文化財センター
千曲川は,長野,山梨,埼玉の三県境界の甲武信ヶ岳に源を発し,長野県内の佐久平(佐久盆地),塩田平(上田盆地),善光寺平(長野盆地)などの盆地を通り,新潟県境で信濃川と呼称を変えて日本海に達する全長367 kmの日本最長の河川である.2019年10月関東地方西部を通過した台風による豪雨によって,長野盆地で複数の堤防が決壊し,大きな被害をもたらした.千曲川の洪水は,数多く歴史記録に残されているが,最も古い記録は西暦888年の洪水である.河内(1983)は,『日本三代実録』『類聚三代格』『日本紀略』『扶桑略記』の記述に基づき西暦888年(仁和4年)に,千曲川上流の八ヶ岳山麓に形成された天然ダムが決壊して洪水が発生し,長野盆地まで達していたことを示した.このことから,上田盆地,長野盆地の平安期の遺跡や水田跡を覆う砂層は.その際の洪水によりもたらされたものであると解釈され,その発生前の状況についても考古学的に検討された(川崎,2000). この発表では,この洪水砂層とその上位と下位の堆積物を堆積学的に検討して,洪水前の千曲川流域の土地利用と環境,仁和洪水の特徴,洪水後の環境と人間活動についてその概要を示す.
研究手法
長野県埋蔵文化財センターによって,発掘が進められている長野市南部の塩崎遺跡,石川条里遺跡,上田盆地北端に位置する坂城町の上五明遺跡,加えて千曲市によって発掘された屋代遺跡,本誓寺遺跡における平安期水田を埋積する砂層とその上下の泥層を数cmから10 cmの上下間隔で採取した.砂層については,レーザー回析法による粒度分析をおこない,岩相記載と合わせてその運搬・堆積機構を考察した.一方,泥層については,全有機炭素量(TOC),全窒素量(TN),全イオウ量(TS),安定炭素同位体比分析(δ13C),珪藻分析によって堆積環境もしくは人為的影響を考察した.
洪水前の土地利用
仁和洪水の砂層下は,多くの遺跡において水田跡である.千曲川の氾濫原は,弥生時代以降現在まで水田として耕作されきた.洪水砂層直下の泥層はいずれの場所でも炭質物に富んでおり有機炭素量が1%程度とやや高い.一方,砂を含など淘汰が悪く,珪藻遺骸はほとんど産出しない.洪水砂層の下位20cm前後の炭質泥から求めた放射性炭素年代は4から5世紀の年代を示し,洪水以前は人為的に掘り返しながら,沢などから水を引くことによって水田を長く維持してきたことを示していると考えられる.
洪水の特徴
屋代遺跡の2 mに及ぶ砂層は,逆級化構造を基底に伴い,逆級化−正級化のサイクルが2回認められる.しかし,西側の山際に近い石川条里遺跡の洪水砂層は,20 cmの程度の厚さで正級化構造は認められが偽礫や逆級化構造は認められない.前者の例はこの洪水が2回のピークを持っていたことを示し,一方,後者は千曲川から離れた氾濫原に達した洪水はピーク以降にこの地点に達し水域を形成して正級化構造のみを形成したことを示す.さらに,洪水砂の直上の泥層には停滞水域を示す珪藻の遺骸が比較的保存良く産出することがあり,洪水後も長野盆地南部にはしばらく水域が残されたと考えられる.
洪水後の環境と人間活動
長野盆地南部の水域消失後,その上位の泥層のTOC値などから水田としての利用が再開されたと考えられる.珪藻化石の保存は極めて悪く,水田を耕作するような人的な撹乱があったと考えられる.また,考古学情報からも多くの遺跡で水田の復興を示す人的撹乱が認められている.ただ,2 mの砂層が堆積した千曲市屋代では,砂層の堆積により相対的な高地が出来上がり,水田としての利用は難しくなったようで,最上部の人的撹乱はかなり新しいものと思われる. 2019年の台風豪雨の洪水と仁和洪水ではその発生要因が全く異なるが,千曲川上流域に発生原因があることでは一致している.このように,過去の事例は河川の近隣に住む人々に重要な情報をもたらしてくれる.
文献
河内晋平,1983,八ヶ岳大月川岩屑流,地質学雑誌,89,173-182.
川崎 保,2000,「仁和の洪水」砂層と大月川岩屑なだれ,長野県埋蔵文化財センター紀要,8,39-48.
研究協力:(財)長野県埋蔵文化財センター