[J1-P-9] Reconstructing the weather of the Edo period using weather descriptions in the "natsuka family Diary"
研究者氏名:末滿李紗・池田誠克・辻 健・伊東由莉奈・林首成・井料優良・東ひかる・川野仁子・小田平佑理・富川慎也・及川紗彩・及川 紗紬・小倉心美・加藤ほのか・中尾文乃
1 江戸時代の気象を古文書の天候記述で復元してきた。今年は「稲束家日記(大阪・1758-1912)」を分析した。
2 研究の目的
「日記の天気の出現率」をもとに気象を考察し、日記記録の精度を測る「詳細率」(庄ほか,2017)と「日記の降水(雨雪)出現率」を説明変数、「大阪気象台の降水出現率」を目的変数として回帰分析を用い、1882年以前の「大阪気象台の降水出現率」を復元する。
3 研究の方法
天気は気象庁の「出現率」の分類に近づけて、雪→雨→曇→晴と判別した。また、「晴」と「曇」が併記されている日は、1日のうち、8.5割以上曇っていれば「曇」、8.5割未満であれば「晴」と、空間分布を時間分布に換算して判断した。
4 データ処理及び「詳細率」
データは155年間で53,210日であった。
詳細率とは名古屋工業大学の庄らによる独自の関数で、①複数種類の天気が併記されていたり、②時間変化に関する記述や③降水規模の記述がある日数の年比率である。
5 考察
⑴データ①:晴の出現率で日照時間の復元
7月の日記の晴の出現率と、1890年に気象台で観測が始まった日照時間の1日の平均値(h)をプロットすると、直線性がよい。単回帰分析で復元すると、7月の日照時間の最高は1853年で、最低は1807年であった。
⑵データ②と考察:曇の出現率と太陽黒点数
「宇宙空間から飛来する銀河宇宙線が地球の雲の形成を誘起する」というスべンスマルクの仮説を知り、曇の出現率と比べた。太陽活動が低かったダルトン極小期に曇の出現率が高くなっている。
⑶データ③と考察:降水出現率の復元
「日記の降水出現率」x₁と「詳細率」x₂を説明変数、「気象台の降水出現率」yを目的変数として重回帰分析を用いて分析を⾏った。
1758年から1882年の間の「降水出現率」を復元すると、傾向は右肩上がりになっており、徐々に気温が上昇していたことを示唆する。
⑷データ④と考察:降雪日数比の周期性と気温
先⾏研究によると、降雪日数比は11月-3月の「雪日数」を「降水日数」で除して求める。大阪で気象観測が始まった1883年以降の11-3月の降雪日数比と気象台の日平均気温(℃) は相関係数が-0.526である。江戸時代も同じ相関があるとすると、復元期間(1758-1882)で最も気温が低かったのは、天保の飢饉の1838-1839年の冬期だと考えられる。
6 まとめ
⑴ダルトン極小期に曇の出現率があがり、スべンスマルクの仮説を支持する結果となった。
⑵「降水出現率」を回帰分析で復元すると、1758年から1912年にかけて右肩上がりで、気温の上昇が続いたことを示唆する。
⑶1883年以降の11-3月の降雪日数比と気象台の日平均気温の相関係数は-0.526で、一番気温が低下したのは天保の飢饉の1838-39年の冬期だった可能性がある。
7 今後の展望
復元データを正とし、同じ池田市で書かれた「伊居太神社日記(1714-1850)」で、時期を遡り復元する。
8 参考文献
1)庄建治朗, 鎌谷かおる, 冨永晃宏:日記天気記録と気象観測データの照合による梅雨期長期変動の検討, 水文・水資源学会誌, Vol 30, No 5, pp 294 –306, Sep 2017
2)田上善夫:11-16世紀の日本の気候変動, 富山大学人間発達科学部紀要 第10巻第2号 205-219, 2016
9 キーワード
稲束家日記、詳細率、重回帰分析、降雪日数比
1 江戸時代の気象を古文書の天候記述で復元してきた。今年は「稲束家日記(大阪・1758-1912)」を分析した。
2 研究の目的
「日記の天気の出現率」をもとに気象を考察し、日記記録の精度を測る「詳細率」(庄ほか,2017)と「日記の降水(雨雪)出現率」を説明変数、「大阪気象台の降水出現率」を目的変数として回帰分析を用い、1882年以前の「大阪気象台の降水出現率」を復元する。
3 研究の方法
天気は気象庁の「出現率」の分類に近づけて、雪→雨→曇→晴と判別した。また、「晴」と「曇」が併記されている日は、1日のうち、8.5割以上曇っていれば「曇」、8.5割未満であれば「晴」と、空間分布を時間分布に換算して判断した。
4 データ処理及び「詳細率」
データは155年間で53,210日であった。
詳細率とは名古屋工業大学の庄らによる独自の関数で、①複数種類の天気が併記されていたり、②時間変化に関する記述や③降水規模の記述がある日数の年比率である。
5 考察
⑴データ①:晴の出現率で日照時間の復元
7月の日記の晴の出現率と、1890年に気象台で観測が始まった日照時間の1日の平均値(h)をプロットすると、直線性がよい。単回帰分析で復元すると、7月の日照時間の最高は1853年で、最低は1807年であった。
⑵データ②と考察:曇の出現率と太陽黒点数
「宇宙空間から飛来する銀河宇宙線が地球の雲の形成を誘起する」というスべンスマルクの仮説を知り、曇の出現率と比べた。太陽活動が低かったダルトン極小期に曇の出現率が高くなっている。
⑶データ③と考察:降水出現率の復元
「日記の降水出現率」x₁と「詳細率」x₂を説明変数、「気象台の降水出現率」yを目的変数として重回帰分析を用いて分析を⾏った。
1758年から1882年の間の「降水出現率」を復元すると、傾向は右肩上がりになっており、徐々に気温が上昇していたことを示唆する。
⑷データ④と考察:降雪日数比の周期性と気温
先⾏研究によると、降雪日数比は11月-3月の「雪日数」を「降水日数」で除して求める。大阪で気象観測が始まった1883年以降の11-3月の降雪日数比と気象台の日平均気温(℃) は相関係数が-0.526である。江戸時代も同じ相関があるとすると、復元期間(1758-1882)で最も気温が低かったのは、天保の飢饉の1838-1839年の冬期だと考えられる。
6 まとめ
⑴ダルトン極小期に曇の出現率があがり、スべンスマルクの仮説を支持する結果となった。
⑵「降水出現率」を回帰分析で復元すると、1758年から1912年にかけて右肩上がりで、気温の上昇が続いたことを示唆する。
⑶1883年以降の11-3月の降雪日数比と気象台の日平均気温の相関係数は-0.526で、一番気温が低下したのは天保の飢饉の1838-39年の冬期だった可能性がある。
7 今後の展望
復元データを正とし、同じ池田市で書かれた「伊居太神社日記(1714-1850)」で、時期を遡り復元する。
8 参考文献
1)庄建治朗, 鎌谷かおる, 冨永晃宏:日記天気記録と気象観測データの照合による梅雨期長期変動の検討, 水文・水資源学会誌, Vol 30, No 5, pp 294 –306, Sep 2017
2)田上善夫:11-16世紀の日本の気候変動, 富山大学人間発達科学部紀要 第10巻第2号 205-219, 2016
9 キーワード
稲束家日記、詳細率、重回帰分析、降雪日数比