[SY11-3] 人生の最終段階まで寄り添う歯科の可能性と課題
【略歴】
1988年 日本歯科大学歯学部卒業
1988年 日本歯科大学高齢者歯科診療科入局
2001年 口腔介護・リハビリテーションセンター センター長
2005年 同 助教授
2010年 同 教授
2012年10月 口腔リハビリテーション多摩クリニック 院長
1988年 日本歯科大学歯学部卒業
1988年 日本歯科大学高齢者歯科診療科入局
2001年 口腔介護・リハビリテーションセンター センター長
2005年 同 助教授
2010年 同 教授
2012年10月 口腔リハビリテーション多摩クリニック 院長
【抄録(Abstract)】
本シンポジウムに演者として登壇させていただくことに大変光栄にさらに嬉しく思う。12年前に日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニックを開設したきっかけの一つは、本シンポジウムの演題でもある「地域で最期まで支える」ことが目的であったからである。三十数年前に他の大学より先駆けて高齢者を対象とする診療科を大学病院内に開設した。一方で、高齢者を専門としていると謳いながら、患者が通院不可能となった時点で、診療の継続が困難となることに対して違和感を拭いきれず、大学病院での対応の限界を感じていた。少なくとも高齢者は他の年代層に比較して死が身近にあることは明らかで、患者の最期までかかわることができなければ、高齢者を診療科名として名乗るには十分ではないのではないかと感じていた。そこで、私たちは、地域に診療所を作ることにより、地域の中で診療を行うことで、患者の最期までかかわることが可能となり、教員自らがそれを学び、そして、学生や研修医などの後進に伝えていこうとしている。
歯科は、外来診療を中心に発展してきた。一方で、不健康期間を呼ばれる期間は通院不可能となり、訪問診療で対応する必要がある。不健康期間は男性で8年、女性で12年と言われている。この期間は訪問診療で対応することになるが、不健康期間の終わり、訪問診療の終わりは、「最期」ということになる。すなわち、訪問診療を行うということは、「最期」までかかわることになる。
訪問診療においてもその訪問先が在宅であった場合、私たちが、「地域で最期まで支える」よう覚悟をもって対応するものの、思いは空振りに終わることも多く、演者もこれまで、多くの失敗を重ねてきた。その理由に、入院患者や施設入居者へ訪問した場合と異なり、在宅診療においては一人の患者に多くの職種、多くの事業所がかかわるために、医療者、介護者間での情報の共有が困難であることが挙げられる。そして、終末期に対する私たちの知識不足もあったと考える。
思い返せば、嚥下の評価を依頼された患者宅に再診で出向いた際に、葬儀が行われていたこともあった。また、訪問の際に出合わせた訪問看護師に次回義歯を作りため再診することを告げたところ、「もういないと思いますよ」と告げられたこともあった。今から思えば、なんとも恥ずかしいことをしていたと感じる。患者が終末期に近づくと、「歯科はそろそろよいのでは?」といったことを主治医やケアマネから宣告されることもあった。
私たち歯科が、「地域で最期まで支える」を実現するためには、最近急速に利用が開始されたICT連携を利用しつつ、地域活動や会議などにも積極的に関与していくことが求められ、その先に、最期まで寄り添う地域の資源として歯科は当たり前のように存在しうるのではないかと考える。
本シンポジウムに演者として登壇させていただくことに大変光栄にさらに嬉しく思う。12年前に日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニックを開設したきっかけの一つは、本シンポジウムの演題でもある「地域で最期まで支える」ことが目的であったからである。三十数年前に他の大学より先駆けて高齢者を対象とする診療科を大学病院内に開設した。一方で、高齢者を専門としていると謳いながら、患者が通院不可能となった時点で、診療の継続が困難となることに対して違和感を拭いきれず、大学病院での対応の限界を感じていた。少なくとも高齢者は他の年代層に比較して死が身近にあることは明らかで、患者の最期までかかわることができなければ、高齢者を診療科名として名乗るには十分ではないのではないかと感じていた。そこで、私たちは、地域に診療所を作ることにより、地域の中で診療を行うことで、患者の最期までかかわることが可能となり、教員自らがそれを学び、そして、学生や研修医などの後進に伝えていこうとしている。
歯科は、外来診療を中心に発展してきた。一方で、不健康期間を呼ばれる期間は通院不可能となり、訪問診療で対応する必要がある。不健康期間は男性で8年、女性で12年と言われている。この期間は訪問診療で対応することになるが、不健康期間の終わり、訪問診療の終わりは、「最期」ということになる。すなわち、訪問診療を行うということは、「最期」までかかわることになる。
訪問診療においてもその訪問先が在宅であった場合、私たちが、「地域で最期まで支える」よう覚悟をもって対応するものの、思いは空振りに終わることも多く、演者もこれまで、多くの失敗を重ねてきた。その理由に、入院患者や施設入居者へ訪問した場合と異なり、在宅診療においては一人の患者に多くの職種、多くの事業所がかかわるために、医療者、介護者間での情報の共有が困難であることが挙げられる。そして、終末期に対する私たちの知識不足もあったと考える。
思い返せば、嚥下の評価を依頼された患者宅に再診で出向いた際に、葬儀が行われていたこともあった。また、訪問の際に出合わせた訪問看護師に次回義歯を作りため再診することを告げたところ、「もういないと思いますよ」と告げられたこともあった。今から思えば、なんとも恥ずかしいことをしていたと感じる。患者が終末期に近づくと、「歯科はそろそろよいのでは?」といったことを主治医やケアマネから宣告されることもあった。
私たち歯科が、「地域で最期まで支える」を実現するためには、最近急速に利用が開始されたICT連携を利用しつつ、地域活動や会議などにも積極的に関与していくことが求められ、その先に、最期まで寄り添う地域の資源として歯科は当たり前のように存在しうるのではないかと考える。