第16回日本クリティカルケア看護学会学術集会

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シンポジウム

[SY3] ICUサバイバーの声を聴く

企画:寺口 佐與子(大阪医科大学)

[SY3-2] 患者と家族が支えられる環境についてあらためて考える

○八尾 みどり1 (1. 大阪府三島救命救急センター)

Keywords:家族看護

 看護師になって数年、救急初療で予期せぬ死を迎えた患者さんのご家族がその場で立ちすくむ姿を前にして、「看護師としてどう支えるべきなのか、何か支えになりたい」と思いながらも行動が起こせずジレンマを感じ続けていた。それ以降、家族をテーマとする研究や実践に力を注いできた。そのような中で起こった長男の部活中の突然の受傷、自分自身が家族の立場を経験することになった。
 幸運なことに長男は後遺症なく社会生活を送ることができているが、受傷の連絡内容から死を意識せざるを得ない瞬間があり、もしかしてオプション提示される?よくても重度の後遺症?それなら在宅で一緒に過ごしたいと様々なことが頭をよぎった。病院から新たな情報を得ると、思い描く最悪なシナリオから、少しでも良い方向に捉えられる情報を探り、だからといって良い情報にすがらないようにと冷静に受け止めるよう努力し、そしてまた悪い事態を予測して怯えるといった日々が過ぎていた。
 気持ちが大きく揺れ動きすぎて、動悸、息苦しさ、眠れないといった身体症状に加え自分が関わりたいと思える相手としか関わりたくないといった気持ちが続き閉鎖傾向になっていた。しかし、その中で私たちの支えとなっていたものは、医療者だけでなく、自分達に関わる全ての方々の配慮だった。親、友人、職場関連、大学・部活関係者の方々、長男の友人、その保護者の方など、その人だからこそできる配慮や支援が、私たちの支えに繋がっていた。
 この経験であらためて認識した事は、入院中だからといって医療者だけが患者の支えになるのではないということ。こんなにも医療者の支援というのは一部分なのかと感じたことであった。医療の中心は確かに医療者であり、医療者なくしては患者の回復はないのだが、「生活人としての患者とその家族」を支えるのは、やはり日常生活で関わっている人々である。ゆえに、面会時間というのは患者にとって唯一社会との接点であり、自分の存在意義を確かめる場でもあり、意欲を向上させる機会とする時間でもある。ただ単なる気分転換の時間ではない。家族もまた、社会性を保てる患者の姿をみることで力を得ることができる。
 よって、看護師は患者の社会的側面を理解するために、もっと面会時間に敏感になる必要性があるのではないか、患者をよく知る家族ともっとコミュニケーションをとり、双方が協力しながら患者を支えるように努力しなければならないのではないかと感じている。
 長男が抜管後、まだもうろうとした中で家族を見て初めて口にした言葉は、「いつから練習に復帰できる?」だった。後に、あの時の心境はどうだったのかと本人に問うと、スポーツ推薦で大学に入り、200人近い選手の中で生き残っていくために尋常ではない決意と努力をし続けて勝ち取ってきたポジションを保つために、「自分に起こった事態をよく理解しておらず、こんなことしている場合ではないという焦りからくる苛立ちしかなかった」と語った。家族としては、抜管後の発言を聞き、すぐには返す言葉が見つからず、しばらく曖昧な返事で逃げていた。そして、そこから患者の身体的な回復過程に対する不安と選手生命が断たれた現実をどのように伝え、乗り越えさせるべきかという難題に向き合っていかなければならなかった。

 受傷してもう3年、いやまだ3年というところで、どこまで整理してお伝えすることができるのか不安ではあるが、日ごろの自らの看護実践と関わった患者さん、ご家族の声を交えながら体験をお伝えすることで、「患者・家族を理解したよりよいケアの提供」について考える一助となれればと思う。