[SY2-01] あいりん地域(釜ヶ崎)の歴史的背景と生活問題から医療を考える
Keywords:生活困窮者、日雇労働者、無料低額診療事業
大阪社会医療センター付属病院は、1970 年(S45)に開設された無料低額診療事業施設で、受診患者層は日本経済の縮図でもあります(図)。前身は大阪府済生会今宮診療所であり、恩賜財団済生会が地域の細民生活対応のために大阪府で最初に開設された診療所で、1914 年(T2)4月に南区に開院し、その後病床を持つ今宮病院となりましたが、1945 年(S20)の大阪空襲で全焼してしまいました。その後、1947年(S22)に西成区で診療所として再開し、1960 年(S45)まで診療をしている。
釜ヶ崎には、全国から仕事を求め労働者が多く集まってきました。資本主義社会の中で、労働経済の安全弁的役割を担う日雇労働者は必然的に誕生して、釜ヶ崎は日本の資本主義の高度成長を底辺からささえてきた地域でした。しかし、日雇い労働者のように天候や景気に左右される不安定労働者には社会保障の基本である保険の原理が作用せず、生活に困窮して健康を害することもあり、野宿生活を余儀なくされることも多くある。
『にっぽん釜ヶ崎診療所』という本田良寛の著書には、「釜ヶ崎や全国から釜ヶ崎へ救いを求めてくる患者を対象とした病院を作る」、「特別な事情のため社会福祉の権利を奪われている人々に保障を与える病院」、 「病める人が静かに金の心配なく心ゆたかに身体をやすめられる釜ヶ崎にしたい」、「西成の釜ヶ崎ではなく日本の釜ヶ崎へ」 と書かれています。本田良寛は、済生会今宮診療所の最後の所長であり、大阪社会医療センター付属病院の初代院長で、ホームレス状態にある労働者も同じ人間であり、仕事がない、身体を悪くして働くことができないので治療費を払えないのは仕方がない・・・どのような人間であってもプライドがあり、治療費をただ(無料)にするという施しをうけることよりも仕事ができるようになり働いたお金で治療費を支払うことのほうが大切であるため、「ある時払いの催促なし」という貸付制度を考え出しました。このことが後の無料低額診療事業につながり、前述の著書には、「医療費に困って尋ねてくる患者をどう扱ったものか。患者にとって医療費は重大な問題である.病気を持ちながらやむを得ず働きに行っているのが現実である。医療費が無ければ診察出来ないということは、金の無い者は死ねというのと同じだ。かといって只で物事を施すほどバカにした話しはない。しかし、物事には費用がいる。医療にもはっきりとした価格がある。そこで私は考えた。医療費に困っている患者には、あなたを信用してお貸ししますということにしたのである。」と書いている。
593 年、聖徳太子が四天王寺を建立し、4箇院を設けました。そのひとつに、「療病院」という、無縁の病人を収容治療することを目的とした、いまでいう無料低額診療施設に相当するものがあったと言われています。西成はサントリーの創業者である鳥井信治郎が最初の社会貢献活動を行った場所でもありました。鳥井信冶郎は1921 年(T10)に邦寿会今宮診療所を設立し、そこで無料低額診療事業を1976 年(S51)まで行っていました。1947年(S22)に済生会西成病院、1950年(S25)のジェーン台風被害者救済のためキリスト教社会館診療所などが開設されている。低所得者階層が集まるあいりん地域では医療のニーズが高く、生活科優先となり医療が後回しになることが多く社会的な仕組みが必要である。
西成区(H30)における要保護傷病者の救急搬送件数は354件であり、大阪市24区の3割程度を占めており、大半があいりん地域の搬送である。基本的人権の最たるものである生命権を守る最前線が救急医療である。特に貧困者は医療費の保障がある救急医療があるからこそ助かる命が少なくない。
釜ヶ崎には、全国から仕事を求め労働者が多く集まってきました。資本主義社会の中で、労働経済の安全弁的役割を担う日雇労働者は必然的に誕生して、釜ヶ崎は日本の資本主義の高度成長を底辺からささえてきた地域でした。しかし、日雇い労働者のように天候や景気に左右される不安定労働者には社会保障の基本である保険の原理が作用せず、生活に困窮して健康を害することもあり、野宿生活を余儀なくされることも多くある。
『にっぽん釜ヶ崎診療所』という本田良寛の著書には、「釜ヶ崎や全国から釜ヶ崎へ救いを求めてくる患者を対象とした病院を作る」、「特別な事情のため社会福祉の権利を奪われている人々に保障を与える病院」、 「病める人が静かに金の心配なく心ゆたかに身体をやすめられる釜ヶ崎にしたい」、「西成の釜ヶ崎ではなく日本の釜ヶ崎へ」 と書かれています。本田良寛は、済生会今宮診療所の最後の所長であり、大阪社会医療センター付属病院の初代院長で、ホームレス状態にある労働者も同じ人間であり、仕事がない、身体を悪くして働くことができないので治療費を払えないのは仕方がない・・・どのような人間であってもプライドがあり、治療費をただ(無料)にするという施しをうけることよりも仕事ができるようになり働いたお金で治療費を支払うことのほうが大切であるため、「ある時払いの催促なし」という貸付制度を考え出しました。このことが後の無料低額診療事業につながり、前述の著書には、「医療費に困って尋ねてくる患者をどう扱ったものか。患者にとって医療費は重大な問題である.病気を持ちながらやむを得ず働きに行っているのが現実である。医療費が無ければ診察出来ないということは、金の無い者は死ねというのと同じだ。かといって只で物事を施すほどバカにした話しはない。しかし、物事には費用がいる。医療にもはっきりとした価格がある。そこで私は考えた。医療費に困っている患者には、あなたを信用してお貸ししますということにしたのである。」と書いている。
593 年、聖徳太子が四天王寺を建立し、4箇院を設けました。そのひとつに、「療病院」という、無縁の病人を収容治療することを目的とした、いまでいう無料低額診療施設に相当するものがあったと言われています。西成はサントリーの創業者である鳥井信治郎が最初の社会貢献活動を行った場所でもありました。鳥井信冶郎は1921 年(T10)に邦寿会今宮診療所を設立し、そこで無料低額診療事業を1976 年(S51)まで行っていました。1947年(S22)に済生会西成病院、1950年(S25)のジェーン台風被害者救済のためキリスト教社会館診療所などが開設されている。低所得者階層が集まるあいりん地域では医療のニーズが高く、生活科優先となり医療が後回しになることが多く社会的な仕組みが必要である。
西成区(H30)における要保護傷病者の救急搬送件数は354件であり、大阪市24区の3割程度を占めており、大半があいりん地域の搬送である。基本的人権の最たるものである生命権を守る最前線が救急医療である。特に貧困者は医療費の保障がある救急医療があるからこそ助かる命が少なくない。