第6回日本在宅医療連合学会大会

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特別企画

01-1:ACP・意思決定

<特別企画2 患者が“命を終えたい”と言ったとき> 第二部

Sun. Jul 21, 2024 8:55 AM - 10:40 AM 第1会場 (コンベンションホールB)

座長:加部 一彦(埼玉医科大学総合医療センター)、長尾 式子(北里大学看護学部/北里大学大学院看護学研究科)

9:55 AM - 10:25 AM

[SP2-2-3] 「終わりにしたい」という発話の理解と対応の倫理

*清水 哲郎1,2 (1. 東北大学 名誉教授、2. 岩手保健医療大学 客員教授)

・東京大学理学部天文学科卒業(1969)後、東京都立大学学部および大学院にて哲学を専攻(1970-77)。
・北海道大学文学部講師(1980)、助教授(1982~93) 
・東北大学文学部助教授(1993)、同大学および大学院教授(哲学 1996~2007)
・東京大学大学院人文社会系研究科特任教授(死生学・応用倫理2007~17)
・岩手保健医療大学・学長(2017~21)、同大学臨床倫理研究センター長(2021-24年3月)
人が「死にたい」と訴える時、何かを訴えているには違いないが、文字通り死を求めているとは限らない。その訴えはしばしば「こんな状態になってしまったので、死にたい」といった条件文で表現される。「こんな状態になってしまった(∴もはや生きていても仕方がない)」という条件文の前件が示す状況把握が変れば、「死にたい」という後件も変わる余地がある。発言が端的に「死にたい」「終わりにしたい」であっても、前件が隠れている。「死にたい」理由が何かあるはずであり、それが前件に当たるからだ。

前件の変化は本人の理解・評価の変化によって起きる。例えば、死が近くなり、できることが少なくなっているという事態は変えられなくても、それを否定的に見ることから、「生きている限りはその現在を肯定しつつ前向きに生きよう」と肯定的に見ることへと、評価が変わることがある。

エンドオブライフケアの営みとして英国NHSが「尊厳をもって死に至るようにサポートする」と謳う時、「尊厳を持って死に至る(to die with dignity)」とは、自らの現在の生を肯定的に評価し、前向きに生きる姿勢で最期まで生きることを意味している。これはスピリチュアルな領域のテーマである。

ケアにあたる人は、本人が最期まで前向きに生きて欲しいと願う。しかし、私たちにできることには限りがある。本人には本人の人生把握があり、価値観がある。ケアする側はそこの変化を期待するとしても、押し付けるわけにはいかない。そこで、「もう終わりにしたい」として本人が求めている選択肢について、ぎりぎりまで話し合っても合意に達しなかった場合、「お互いに自分の価値観を相手に押し付けない」という考え方で収めることを提案したい。

シンポジウムでは、ALSの患者が人工呼吸器を着けるかどうかの選択、および着けた呼吸器を外すかどうかの選択に関しても、これらの事柄を適用して考えたい。