第69回日本病院学会

講演情報

特別講演

特別講演4

2019年8月2日(金) 09:30 〜 10:30 第3会場 (特別会議場)

座長:成田 吉明(第69回日本病院学会 実行委員長/医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院 院長)

[特別講演4] 力士生活と健康

芝田山 康 (日本相撲協会 理事)

第62代横綱 大乃国 康 《1962年10月9日生まれ》

中学3年の時柔道の北海道大会で個人優勝を飾り多数の高校から柔道進学でスカウトされるが振り切って大関・魁傑の内弟子として花籠部屋に入門。3年後の昭和56年2月に元・魁傑の興した放駒部屋に移る。昭和57年3月に十両昇進、一度幕下に落ちるが、同年11月には再十両に上がり体重も125キロから145キロに増えた。58年1月十両優勝、翌3月場所には20歳で新入幕。同年11月場所では千代の富士・隆の里・北の湖の3横綱を破って初の殊勲賞受賞。59年3月、3横綱・3大関を総なめにする驚異の記録を残した。60年9月大関に昇進、右差し左上手を取っての寄りには圧力があった。62年5月幕の内最高優勝を全勝で飾り、横綱昇進への足がかりを作った。同年9月場所後に待望の横綱に推挙され昇進した。横綱3場所目の昭和63年大阪場所では北勝海を本割・決定戦と勝利し、みごと逆転優勝を飾り当時の春日野理事長が常々言っていた「大横綱常陸山の様な横綱になれる」と言う言葉が現実となるかと期待されたが、睡眠時の無呼吸症・右足首骨折等により、ついに大器を惜しまれつつ平成3年7月場所、中日を終えて引退を決意した。引退後は年寄り大乃国襲名、平成4年3月監察委員に任命、平成5年3月年寄大乃国から芝田山に改名し審判部委員に任命、平成8年3月より巡業部委員に任命され平成11年6月放駒部屋より独立、芝田山部屋を設立した。現在は弟子のスカウト・育成はもとより、NHKの解説、・バラエティ番組の出演、共同通信・時事通信・玉川大学の特別講師、18年9月「第62代横綱大乃国の全国スイーツ巡業」 芝田山 康 著を出版し5版の増刷・20年3月「負けるも勝ち」自叙伝を出版、現在に至る。

  昭和53年2月 花籠部屋に入門
  昭和53年3月 初土俵 (大阪場所)
  昭和56年2月 花籠部屋 放駒部屋
  昭和57年3月 新十両
  昭和58年1月 十両優勝
  昭和58年3月 新入幕
  昭和58年9月 新小結 (新入幕から4場所目)
  昭和58年11月 初の殊勲賞受賞 史上初、平幕で3横綱総ナメ
          (千代の富士・隆の里・北の湖)
  昭和59年1月 新関脇 (新入幕から6場所目) 2度目の殊勲賞受賞
  昭和59年3月 3横綱3大関を倒す 3度目の殊勲賞と並びに敢闘賞を受賞
  昭和59年7月 4度目の殊勲賞受賞
  昭和60年5月 5度目の殊勲賞受賞
  昭和60年7月 2度目の敢闘賞受賞
  昭和60年9月 新大関昇進
  昭和62年5月 初優勝 全勝 大関在位13場所
  昭和62年9月 新横綱 (場所後に横綱に昇進)史上最重量横綱、
          体重203キロ
  昭和63年11月 千代の富士の連勝記録を53でストップさせる
  平成3年7月 引退 (名古屋場所)8日目取り組み後 年寄 大乃国襲名
  平成4年3月 監察委員に任命される
  平成5年3月 審判部委員に任命される 年寄 大乃国から芝田山に改名
  平成8年3月 巡業部委員に任命される
  平成11年6月 芝田山部屋設立
  平成18年9月 第62代横綱大乃国の全国スイーツ巡業出版     
          芝田山 康 著 (日本経済新聞出版社)
  平成20年3月 負けるも勝ち「相撲とは・人生とは」出版
          芝田山 康 著 (ダイヤモンド社)
  平成21年9月 (第2弾) 第63代横綱大乃国の全国スイーツ巡業Ⅱ出版
          芝田山 康 著 (日本経済新聞出版社)
   平成26年4月 公益財団法人日本相撲協会 副理事就任 
          巡業部副部長任命 以上現在に至る
  平成28年4月 公益財団法人日本相撲協会 副理事再任 
          広報部・巡業部 兼任 副部長 任命
  平成30年4月 公益財団法人日本相撲協会 理事就任 
          広報部長・総合企画部長・博物館運営委員 任命
  平成30年6月 「スイーツ親方」として商標登録認定
《全通算成績》  560勝319敗 勝率・6割3分7厘
☆優勝2回・殊勲賞5回・敢闘賞2回  ☆得意手・右差し、寄り