日本地球惑星科学連合2014年大会

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[O-06_30PO1] 日本のジオパーク

2014年4月30日(水) 18:15 〜 19:30 3階ポスター会場 (3F)

コンビーナ:*渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)、住田 達哉(産業技術総合研究所)

18:15 〜 19:30

[O06-P38] 縄文土器における東西(考古学におけるジオ多様性の一事例として)

*山岸 洋一1 (1.糸魚川ジオパーク協議会(糸魚川市ジオパーク推進室))

考古学は約2万年前にさかのぼる石器時代にも、石器製作技法に東西差があることを明らかにしてきているが(芹沢ほか1981)、第四紀沖積世の縄文時代の列島各地域は、いくつかの土器分布圏にまとまることが知られる。近畿地方から中国・東海地方にも広く分布し、縄文時代前期に編年される北白川下層Ⅱ式(京都市北白川小倉町遺跡出土土器を標識とし、爪形文を特徴とする。)および大歳山式土器(神戸市大歳山遺跡出土土器を標識とし、凸帯文を特徴とする。)は、東日本へも分布を広げ、関東地方や遠隔地の遺跡でも出土している。これらは薄く仕上げられた器壁(厚さ5mm程度)など、東日本在地の諸磯式土器(神奈川県諸磯貝塚を標識遺跡とし、爪形文が特徴で、厚さは10mm前後を測る。)との区別が明瞭であることから、太平洋側では東京都八丈町倉輪遺跡で出土するなど、東京都内や神奈川県内でも多くの出土が確認され、しばしば注目される土器でもある。なお、北白川下層Ⅱ式土器出土のもっとも遠隔地は福島県となっている。糸魚川市長者ヶ原遺跡では、この北白川下層Ⅱ式土器と同時期の諸磯式土器の両者が出土しているが明らかとなった。富山県下や新潟県内でも、数遺跡において同じ出土状況を示し、北陸地方では東西日本の特色を有する二者が共存することがわかる。広域での動きから見ると、山形県吹浦遺跡出土の大歳山式土器は、近畿地方出土のものと比較すれば、やや異なる特徴を指摘でき、類似したものとしては北陸地方福井県・石川県下に分布する。さらに北陸地方の在地土器は青森県三内丸山遺跡で出土し、玉突き状に遠方へ及んでいる状況も判明した(今村2006a・2006b)。このような土器の動きは、人の移動によるものと考えられ、既に長野県・岐阜県など中部地方では、東日本と西日本の土器の占める割合が半々となり、フォッサ・マグナの地域をその境界地帯とする指摘がなされている。これまで北陸地方では、西日本の影響下で、文様や器壁の薄さなど同じ特徴を有する在地の土器が製作されたとの理解が広まっていた。東西日本の境界ともいうべき文化的事例も多く話題に挙げられる当糸魚川地域で、長者ヶ原遺跡から西日本の薄手土器と、東日本の厚手土器の両者が出土し、東西日本の境界・接点であることが縄文時代にさかのぼることとなった。近年人骨出土で話題となっている富山県小竹貝塚は、北陸地方で貝塚形成のピークとなる時期に営まれ、汽水域に面した立地から、海洋を通じた他地域との交流も盛んで、京都府浦入遺跡出土の丸木舟は外洋向けであるとの指摘もあり、盛んな人の移動により遠隔地までモノが流通する「時代」として、決状耳飾・「“の”字形石製品」をはじめとする装身具類が広く分布する背景とも考えられている。これらの石材は、当糸魚川地域のものも多く含まれる。「“の”字状石製品」が北陸地方を中心とした分布をみせ、新潟県南赤坂・重稲場遺跡はその製作地と目されていることから(前山1994)、土器の動きとの関連性が指摘されている(藤田1989)。
 フォッサ・マグナは多くの文化事象の境界となる場合があり、特に東西陸上交通の障害となっていた飛騨山脈の存在が大きい。糸魚川地域の西には「“天下の険”親不知」があり、海岸まで山地が迫っていることから、陸上交通を妨げる大きな支障となっていた。
 縄文時代中期には、西日本に少ない傾向があるヒスイ製玉類の分布に対し、東日本には大珠を複数以上保有した集落遺跡が多く発見される「ヒスイの偏在」が知られ、縄文文化の東西格差とも評価される。中期の前段においても、列島中央部に位置する装身具類の石材産地である糸魚川地域が、流通上重要であったことを物語る可能性がある。これはもとより、糸魚川ジオパークにおけるジオ多様性のあらたな一面として、豊富な岩石相を有する大地で繰り広げられてきた人類活動の一つに加えることができる。