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[SSS30-37] 宝永地震の津波の再現-東日本大震災を参考に広い海底面隆起域が時間的に変動した場合
キーワード:1707年宝永地震, 2011年東北太平洋沖地震, 矩形断層モデル, 超巨大地震の津波計算, 歴史地震
1.宝永地震について1707年宝永地震は、伊豆半島以西の太平洋岸で広域に津波被害を与えた江戸時代で最大の地震であった。これまで宝永地震には、安政東海地震と安政南海地震とで破壊した領域が、非常に短時間の間に引き続いて発生したという説[e.g.宇佐美(2003)]や、安政の二地震の領域が一度に破壊した、謂わば“アスペリティ連動地震”という説[e.g. Ishibashi(2004)]があったが、安政の二地震から類推できる地震という扱いを受けてきたようである。最近詳細な史料の検討によって明らかになった震度と地殻変動、津波到達時間とからは、宝永地震がその震源域の東端と西端とでは安政の二地震とは重ならず、従来言われてきたような駿河湾内や足摺岬の下は震源域に含まれず、江戸時代の“西日本太平洋沖地震”とも言うべき、別格の超巨大地震であったことが判ってきた[e.g.松浦(2012)]。一方、津波波高から宝永地震を検討すると、相田(1981)は足摺沖に他より二倍のすべり量を設定し、Furumura et al.(2011)は日向灘まで震源域を拡大して、西日本各地の高い津波を説明するのに苦労している。宝永地震の津波を再現できる波源を追求する際に重要なのは「震源域の設定範囲」や、「すべり量」では無さそうである。これまでのM8クラス以下の地震の解析と同様に、半無限弾性体中の矩形断層による地表面の地殻変動の理論計算プログラム[e.g. Sato and Matsu’ura(1973)]を用いて、瞬時に波源全域の海底が永久変位の値に変形して津波が発生する、という前提で計算する従来手法を、M9に近い超巨大地震に適用するために生じる「手法の限界」が影響しているのではないだろうか。矩形の逆断層による理論地殻変動は、震源域の縁が特異点となるので、M9地震では震源域の端が陸に近くなって計算手法由来のモデル化誤差が当然大きくなる。海溝近くの浅い部分も震源域になれば、弾性定数が大きく異なる深部と物性を変えずに地殻変動を計算することによる「設定モデルの乖離」も加わる。2.用いた方法そこで、我々はまず断層面でのすべりから海底変形を出すことを棚上げして、宝永地震の津波を説明可能な海底の時間変化する変動量分布の例を求めることにした。そのために、宝永地震と同じように広範囲に大津波をもたらした東日本大震災の場合で、手法の妥当性を吟味した。参考として、Saito et al.(2011)が求めた東日本大震災の海底面変動量を、最終変動値として、既知の震源から破壊が伝播し、GPS観測で捉えられた20秒の変動停滞の後に、再び破壊が広がるモデルを計算した。「地震発生の物理」を考慮して、変動は破壊フロントが到達した時点から、変形域の縁に破壊が到達するまで、全ての点が動き続ける設定とした。このような計算によっても、大きい隆起域と岩手沖に角のように飛び出た部分に隆起をおけば、GPSブイなど沿岸から離れた津波観測波形を再現できることが確認できた。3.宝永地震の津波計算結果そこで、松浦ら(2011)の宝永地震の震源域モデルの範囲を隆起域として、同様に破壊に要する時間を考慮した津波計算を行った。計算には、現在の海底地形から、例えば大阪付近の計算には、関西空港や天保山のような明らかに宝永以降の埋め立て地や、大和川が運んだ堺沖の堆積物の埋積部分等を取り除く、など当時の地形に近づける工夫をした。破壊開始点を、銭洲近くと、熊野灘付近とに変えてみたが、津波の傾向に大きい変化は見られず、歴史地震の津波高という、大まかなデータから破壊開始点を特定することは、少なくとも宝永地震に関しては無理なようである。今回のような概略モデルによっても、十分大阪市中の堀川への浸水や、大分県間越への浸水などが再現できた。巨大津波をシミュレーションする際には、現在津波計算に標準で利用されている40年も前の「半無限弾性体中の矩形断層による地殻変動の理論式」ではなく、現在手軽に高機能な計算機が使える状況を活かした方式に、そろそろ切り替えるべきではないだろうか。