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[HDS19-P06] 「津波痕跡データベース」およびその他の津波痕跡データにもとづく岩手県沿岸における歴史津波の津波高
キーワード:津波高、津波痕跡データベース、歴史津波、貞観津波、慶長奥州(三陸)津波、岩手県
はじめに
岩手県では、津波新法に基づく今後の津波浸水想定にむけて、過去に岩手県沿岸を襲った津波の履歴や来襲状況を把握するための津波痕跡調査を平成25年~平成27年にかけて実施した。この中で「津波痕跡データベース」収録データおよび論文等で報告されている歴史津波の痕跡データを整理し、岩手県沿岸における既往津波の津波高の比較を行った。
まず、沿岸を148地区に区分し、岩手県沿岸で近代以降に発生した5つの主な津波(2011年東北地方太平洋沖津波、1896年明治三陸津波、1933年昭和三陸津波、1968年十勝沖地震津波、1960年チリ津波)について、「津波痕跡データベース」のデータを地区別に集計した。次に、各津波の地区別の津波高最大値を抽出し、横軸を地区名、縦軸を津波高とした津波高分布図を津波毎に作成した。この津波高分布図に歴史津波の痕跡高を重ねることで、その分布傾向を比較した。
岩手県沿岸における近代以降に発生した主な津波
2011年東北地方太平洋沖地震津波が最大の津波高を記録している。しかし、岩泉海岸より北では1896年明治三陸津波もほぼ同等の津波高を記録しており、一部の地区では2011年津波を上回る津波高も見られる。また、麦生(侍浜南部)や太田名部(岩泉海岸)では、1933年昭和三陸津波も2011年津波に匹敵する津波高を記録している。2011年東北地方太平洋沖地震津波が1896年明治三陸津波および1933年昭和三陸津波の倍以上の津波高を記録している。ただし、唐丹湾~大船渡湾外洋にかけては、1896年明治三陸津波と1933年昭和三陸津波の津波高がやや高い。年明治三陸津波と1933年昭和三陸津波は、吉浜湾や綾里湾の奥部、広田半島の先端など、特定の場所で非常に大きな津波高を記録している。記録が誇張されている可能性もあるが、これらの場所では津波高が増幅されやすい条件が存在する可能性がある。30mを越える津波高については、被害状況から判断した誇張が含まれている可能性が高い。年十勝沖地震津波および1960年チリ津波は、外洋と内湾で津波高の差は小さく、岩手県沿岸では一様に5m程度以下の津波高が記録されている。また、大きく湾入する宮古湾や大船渡湾、広田湾では、わずかであるが湾口部より湾奥で津波高が高くなっている。これは、長周期の波が卓越する津波の特徴を示しているものと考えられる。年慶長奥州(三陸)津波は、田野畑海岸、岩泉海岸、田老海岸、船越湾、吉浜湾、越喜来湾で非常に高い津波高が記録されている。沿岸北部だけでなく、船越湾や越喜来湾でも高い津波高が見られることから、その分布傾向は2011年東北地方太平洋沖地震津波に類似する。この津波に対比される津波堆積物は、岩手県沿岸の各所に認められ、沿岸全域で浸水を生じたことを示唆する。年貞観津波の岩手県沿岸における具体的な被害状況を記録した古文書等は残されていない。したがって、その津波高を推定することはできないが、津波堆積物が沿岸各所で認められることは、岩手県の沖合にまで波源が広がるような連動型の巨大地震津波であったことを示唆する。年安政八戸沖津波の津波高およびその分布傾向は、1968年十勝沖地震津波の津波高と類似している。また、データは少ないが、1763年宝暦八戸沖津波、1677年延宝八戸沖津波も同程度あるいはそれ以下の津波高であり、八戸沖を波源とする津波が岩手県沿岸に与える影響は比較的小さいことを示す。ただし、1677年延宝八戸沖津波は、摂待で13mの津波高が推定されており、地形条件等によっては10mクラスの津波となる可能性があることを示唆する。
1793年寛政三陸津波は、三陸沖南部海溝寄りと宮城県沖の領域が連動した地震津波と考えられているが、岩手県沿岸における津波高は多くの場所で1968年十勝沖地震津波と同程度である。沿岸南部では1968年十勝沖地震津波より若干高い津波高を示すが、岩手県沿岸に与える影響は比較的小さいと考えられる。ただし、両石では9mの津波高が推定されており、地形条件等によっては10mクラスの津波となる可能性があることを示唆する。
岩手県では、津波新法に基づく今後の津波浸水想定にむけて、過去に岩手県沿岸を襲った津波の履歴や来襲状況を把握するための津波痕跡調査を平成25年~平成27年にかけて実施した。この中で「津波痕跡データベース」収録データおよび論文等で報告されている歴史津波の痕跡データを整理し、岩手県沿岸における既往津波の津波高の比較を行った。
まず、沿岸を148地区に区分し、岩手県沿岸で近代以降に発生した5つの主な津波(2011年東北地方太平洋沖津波、1896年明治三陸津波、1933年昭和三陸津波、1968年十勝沖地震津波、1960年チリ津波)について、「津波痕跡データベース」のデータを地区別に集計した。次に、各津波の地区別の津波高最大値を抽出し、横軸を地区名、縦軸を津波高とした津波高分布図を津波毎に作成した。この津波高分布図に歴史津波の痕跡高を重ねることで、その分布傾向を比較した。
岩手県沿岸における近代以降に発生した主な津波
2011年東北地方太平洋沖地震津波が最大の津波高を記録している。しかし、岩泉海岸より北では1896年明治三陸津波もほぼ同等の津波高を記録しており、一部の地区では2011年津波を上回る津波高も見られる。また、麦生(侍浜南部)や太田名部(岩泉海岸)では、1933年昭和三陸津波も2011年津波に匹敵する津波高を記録している。2011年東北地方太平洋沖地震津波が1896年明治三陸津波および1933年昭和三陸津波の倍以上の津波高を記録している。ただし、唐丹湾~大船渡湾外洋にかけては、1896年明治三陸津波と1933年昭和三陸津波の津波高がやや高い。年明治三陸津波と1933年昭和三陸津波は、吉浜湾や綾里湾の奥部、広田半島の先端など、特定の場所で非常に大きな津波高を記録している。記録が誇張されている可能性もあるが、これらの場所では津波高が増幅されやすい条件が存在する可能性がある。30mを越える津波高については、被害状況から判断した誇張が含まれている可能性が高い。年十勝沖地震津波および1960年チリ津波は、外洋と内湾で津波高の差は小さく、岩手県沿岸では一様に5m程度以下の津波高が記録されている。また、大きく湾入する宮古湾や大船渡湾、広田湾では、わずかであるが湾口部より湾奥で津波高が高くなっている。これは、長周期の波が卓越する津波の特徴を示しているものと考えられる。年慶長奥州(三陸)津波は、田野畑海岸、岩泉海岸、田老海岸、船越湾、吉浜湾、越喜来湾で非常に高い津波高が記録されている。沿岸北部だけでなく、船越湾や越喜来湾でも高い津波高が見られることから、その分布傾向は2011年東北地方太平洋沖地震津波に類似する。この津波に対比される津波堆積物は、岩手県沿岸の各所に認められ、沿岸全域で浸水を生じたことを示唆する。年貞観津波の岩手県沿岸における具体的な被害状況を記録した古文書等は残されていない。したがって、その津波高を推定することはできないが、津波堆積物が沿岸各所で認められることは、岩手県の沖合にまで波源が広がるような連動型の巨大地震津波であったことを示唆する。年安政八戸沖津波の津波高およびその分布傾向は、1968年十勝沖地震津波の津波高と類似している。また、データは少ないが、1763年宝暦八戸沖津波、1677年延宝八戸沖津波も同程度あるいはそれ以下の津波高であり、八戸沖を波源とする津波が岩手県沿岸に与える影響は比較的小さいことを示す。ただし、1677年延宝八戸沖津波は、摂待で13mの津波高が推定されており、地形条件等によっては10mクラスの津波となる可能性があることを示唆する。
1793年寛政三陸津波は、三陸沖南部海溝寄りと宮城県沖の領域が連動した地震津波と考えられているが、岩手県沿岸における津波高は多くの場所で1968年十勝沖地震津波と同程度である。沿岸南部では1968年十勝沖地震津波より若干高い津波高を示すが、岩手県沿岸に与える影響は比較的小さいと考えられる。ただし、両石では9mの津波高が推定されており、地形条件等によっては10mクラスの津波となる可能性があることを示唆する。