15:30 〜 16:45
[MIS11-P07] 宮城県南三陸町大沼における津波堆積物とその保存ポテンシャル
キーワード:津波堆積物、三陸海岸、保存ポテンシャル、古環境復元
津波堆積物の保存ポテンシャル(Szczucinski, 2012; Spiske et al., 2013)は,調査地の選定から津波堆積物の認定・解釈と津波堆積物研究を行う上で考慮すべき重要な事項である.しばしば津波堆積物の保存ポテンシャルは,対象地域の地形や堆積環境から議論される(藤原,2015).多くは現在の環境(地形や想定される津波の流れ)を考慮し,保存ポテンシャルが高い地点を調査する.しかし,現在の環境における保存ポテンシャルが高い場合でも,その環境が過去も同様であったとは限らない.そのためには過去に遡って,保存ポテンシャルを検討する,もしくは現在の環境がいつ頃まで遡ることが可能か検討する必要がある.そこで本研究では,沖積層基底まで達するボーリングコアを使用し,津波堆積物調査地点(宮城県南三陸町大沼)の堆積環境や地形がどのように変化し,現在に至ったのかを推定した.その上で,津波堆積物の認定および推定される津波の規模に関する考察を行った.
調査地点について,地形判読から近年は閉塞された湿地環境であったことが予想され,さらに前にはラグーンもしくは内湾的な環境であったと推定された.2011年東北地方太平洋沖地震津波では海陸を隔てる浜堤及び砂丘が破壊・侵食され,沿岸部では一部潮汐チャネルが形成された.また,住民への聞き取りに基づくと,津波の第一波は丘陵を超えて北岸から大沼に浸入したらしい.一方,最近約100年の歴史津波による大沼への浸水については,遡上高から1896年の明治三陸津波の際に浸水したと想定されるが,それ以降に大沼に浸水した津波は記録されていない(東大地震研究所,1934;渡辺,1998).
本研究では,トレンチ調査,ハンディジオスライサー調査,ボーリング調査を行った.トレンチ調査とハンディジオスライサー調査は海岸から約550 m離れたかつての湿地の最奧で実施し,ボーリング調査はトレンチ地点を含む3地点で実施した.試料の分析には,年代を決定するために放射性炭素年代測定とテフラ分析を,古環境を推定するために珪藻分析と貝分析を実施した.
結果,ボーリングコア中には,下位から基盤岩,河川性堆積物,海成堆積物,湿地性堆積物,人工改変土が認められた.海成堆積物からは8-6 ka,湿地堆積物からは6-1 kaという年代が得られた.最近1000年間の堆積物は人工的な撹乱により失われていた.ただし,6-1 kaの湿地堆積物中には津波堆積物と考えられるイベント堆積物が複数狭在しており,津波堆積物の認定やその保存ポテンシャルを検討する上で当時の地形を推定する必要がある.そこで,ボーリングコア・ハンディジオスライサー試料を用いて,過去の堆積環境を復元した結果,海進による内湾化(8-7 ka),礫州および砂州の発達(7-6 ka),砂州による大沼の閉塞(6 ka),湿地環境の成立および継続(6-1 ka)となった.特にTo-Cuテフラ(6 ka:町田・新井,2003)直後の湿地環境の成立については,貝殻片を含む青灰色シルトから植物遺体を多く含む有機質シルトへの層相境界が明瞭に認められ,珪藻分析の結果からも海生種から淡水生種への変化が認められた.地形および地下地質情報から,その閉塞の要因は現在沿岸部に認められる砂州の成立に求められる.これらの情報から6 ka以降現在とほぼ同様の位置に砂州が発達し,それによって陸側には安定な湿地環境が維持されてきたと考えられる.また周辺に大きな流入河川もないことから,津波堆積物の保存ポテンシャルは高い地域だと考えられる.
湿地堆積物中に認められるイベント堆積物には,砂層と礫層の2種類が認められた.砂層は貝殻片を含み,大沼を閉塞する砂浜,浜堤,砂丘起源と考えられる.一方,礫層は円磨された粘板岩であり,現在そのような礫が認められるのは大沼の北岸にある礫浜である.いずれも河川性の堆積物ではなく,沿岸部から運搬されたと推定される.また,6 ka以降の地形を考慮すると沿岸部からの距離は遠く,高頻度のイベント(高潮や暴浪)でそのようなイベント堆積物が運搬されるとは考えられず,それらは津波によると考えられる.本発表では,それら津波の年代と規模に関する考察も合わせて報告する.
調査地点について,地形判読から近年は閉塞された湿地環境であったことが予想され,さらに前にはラグーンもしくは内湾的な環境であったと推定された.2011年東北地方太平洋沖地震津波では海陸を隔てる浜堤及び砂丘が破壊・侵食され,沿岸部では一部潮汐チャネルが形成された.また,住民への聞き取りに基づくと,津波の第一波は丘陵を超えて北岸から大沼に浸入したらしい.一方,最近約100年の歴史津波による大沼への浸水については,遡上高から1896年の明治三陸津波の際に浸水したと想定されるが,それ以降に大沼に浸水した津波は記録されていない(東大地震研究所,1934;渡辺,1998).
本研究では,トレンチ調査,ハンディジオスライサー調査,ボーリング調査を行った.トレンチ調査とハンディジオスライサー調査は海岸から約550 m離れたかつての湿地の最奧で実施し,ボーリング調査はトレンチ地点を含む3地点で実施した.試料の分析には,年代を決定するために放射性炭素年代測定とテフラ分析を,古環境を推定するために珪藻分析と貝分析を実施した.
結果,ボーリングコア中には,下位から基盤岩,河川性堆積物,海成堆積物,湿地性堆積物,人工改変土が認められた.海成堆積物からは8-6 ka,湿地堆積物からは6-1 kaという年代が得られた.最近1000年間の堆積物は人工的な撹乱により失われていた.ただし,6-1 kaの湿地堆積物中には津波堆積物と考えられるイベント堆積物が複数狭在しており,津波堆積物の認定やその保存ポテンシャルを検討する上で当時の地形を推定する必要がある.そこで,ボーリングコア・ハンディジオスライサー試料を用いて,過去の堆積環境を復元した結果,海進による内湾化(8-7 ka),礫州および砂州の発達(7-6 ka),砂州による大沼の閉塞(6 ka),湿地環境の成立および継続(6-1 ka)となった.特にTo-Cuテフラ(6 ka:町田・新井,2003)直後の湿地環境の成立については,貝殻片を含む青灰色シルトから植物遺体を多く含む有機質シルトへの層相境界が明瞭に認められ,珪藻分析の結果からも海生種から淡水生種への変化が認められた.地形および地下地質情報から,その閉塞の要因は現在沿岸部に認められる砂州の成立に求められる.これらの情報から6 ka以降現在とほぼ同様の位置に砂州が発達し,それによって陸側には安定な湿地環境が維持されてきたと考えられる.また周辺に大きな流入河川もないことから,津波堆積物の保存ポテンシャルは高い地域だと考えられる.
湿地堆積物中に認められるイベント堆積物には,砂層と礫層の2種類が認められた.砂層は貝殻片を含み,大沼を閉塞する砂浜,浜堤,砂丘起源と考えられる.一方,礫層は円磨された粘板岩であり,現在そのような礫が認められるのは大沼の北岸にある礫浜である.いずれも河川性の堆積物ではなく,沿岸部から運搬されたと推定される.また,6 ka以降の地形を考慮すると沿岸部からの距離は遠く,高頻度のイベント(高潮や暴浪)でそのようなイベント堆積物が運搬されるとは考えられず,それらは津波によると考えられる.本発表では,それら津波の年代と規模に関する考察も合わせて報告する.