日本地球惑星科学連合2018年大会

講演情報

[JJ] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ40] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2018年5月20日(日) 10:45 〜 12:15 202 (幕張メッセ国際会議場 2F)

コンビーナ:矢島 道子(日本大学文理学部)、青木 滋之(会津大学コンピュータ理工学部)、山田 俊弘(東京大学大学院教育学研究科研究員、共同)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)、座長:矢島 道子山田 俊弘

11:15 〜 11:30

[MZZ40-03] 九州大学層序学講座における四万十帯付加体論形成の最初期段階

*眞島 英壽1 (1.明治大学黒耀石研究センター)

キーワード:プレートテクトニクス、四万十帯、付加体、パラダイム、アプリオリ理論、アポステリオリ

九州大学地質学科層序学講座は,1970年代後半からの四万十帯付加体論の形成を通じて,日本における地質学分野でのプレートテクトニクスの受容に先駆的かつ多大な貢献を行った.九大層序講座における四万十帯付加体論形成の最初期段階を知ることは,日本地質学史だけでなく科学哲学・方法論にとって重要である.本講演では関連文献の分析並びに当事者である坂井卓の証言に基づき,九大層序講座における四万十帯付加体論形成の最初期段階について考察する.
 九大層序における四万十帯付加体論は,勘米良・坂井(1975)に始まり,当時助教授だった勘米良亀齢によって主導されたと一般に理解されている.しかし,1975年以前に勘米良は四万十帯に関する本格的研究を行っていない.1970年代後半,四万十帯付加体論は構造地質の側面からのみ議論されていた.しかし,勘米良の後年の著作を読む限り,彼のテクトニクス・構造地質に関する洞察力は特筆すべきものではない.
 1975年当時の講座担当教授は松本達郎であった.松本は,対馬における現地調査と日韓の地質対比から,日本海区と大陸・東シナ海区の造構境界である「対馬-五島(海底)断層」を提唱し,横ずれ断層であることを見抜くなど,テクトニクス・構造地質の高い洞察力を持つ.また,現在では日南層群のオリストストロームとして理解されている「日南の綾状擾乱構造」を認定し,前期中新世前弧圧縮テクトニクスとして理解されている「高千穂変動」を提唱している(黒田・松本, 1942).いずれも四万十帯付加体論に通じる観察・概念である.
 海洋拡大説提案直後の1962年に出版された「九州地方」で,松本は九州の地史を考察する上で海洋を考慮することの重要性を説いた.この時期,門弟である橋本が四万十帯研究の総括を出版し(橋本, 1962),首藤(1963)が日南層群の研究を行った.1965年には科研各個研究「地向斜帯堆積物の研究」を行い,総研「地向斜堆積物の総合研究」を1967~1969年に行った.1972年に岩波「科学」巻頭言をプレートテクトニクスに好意的立場から記している.
 このような,テクトニクス・構造地質に関する深い洞察力,国際的で幅広く豊かな教養,先人に対する敬意を伴った批判的態度など,松本の持つ卓越性から,九大層序講座における四万十帯付加体論形成の最初期段階は,松本が指導したのではないかという推測が得られる.勘米良・坂井(1975)の著者の一人である坂井卓によれば,この推測は妥当なものである.坂井は当時,修士課程の院生であり,指導教授は松本である.坂井の研究を主に松本が指導したことは,彼の最初期の四万十帯研究がまとめられた坂井(1978)の謝辞にも表されている.坂井(1978)までの四万十帯付加体論は松本の指導によるものである.従って,四万十帯付加体論は,1940年代以来の松本と門弟達にる四万十帯研究の結果もたらされたと見なされるべきである.