日本地球惑星科学連合2019年大会

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[J] 口頭発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-QR 第四紀学

[H-QR05] 第四紀:ヒトと環境系の時系列ダイナミクス

2019年5月26日(日) 10:45 〜 12:15 102 (1F)

コンビーナ:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、池原 研(産業技術総合研究所地質情報研究部門)、兵頭 政幸(神戸大学 内海域環境教育研究センター)、座長:池原 研(産総研)、青木 かおり

12:00 〜 12:15

[HQR05-06] 久慈川上流部棚倉付近における第四紀後期の河成段丘と河川争奪について

*加藤 佑一1鈴木 毅彦1 (1.首都大学東京大学院都市環境科学研究科)

キーワード:久慈川、社川、河成段丘、河川争奪

日本列島のような湿潤変動帯においては氷期・間氷期の繰り返しによる降水量・流量変化や海面変動により,河川縦断形が変化する.また長期的な隆起を反映して河川沿いには河成段丘が発達する.このような過程において河川争奪が生じ,流域自体が変化する場合もある.例えば関東北部から東北南部にかけて広がる久慈川・阿武隈川流域では,お互いの上流部である福島県棚倉付近において接しており,この地域において,久慈川水系による阿武隈川水系の争奪を示唆する地形が存在する.このような指摘はこれまでも小池(1972)などでされてきたが,争奪の年代について詳しく明らかにされてはいなかった.この河川争奪部およびその周辺には河成段丘が広がっており,段丘編年の確立により,争奪の年代を知ることができると考えらえる.そこで,本研究では棚倉付近の河成段丘を編年し,河川争奪の年代を求め,争奪現象の発生を第四紀の環境変動との関連を検討することを目的とする.
本研究で取り上げる久慈川水系による阿武隈川水系の河川争奪地形は主に3つあり,その争奪の時期は,いずれも中村(1982)により2時期に分けられた.本研究では,先の時期のものを古上台川,後の時期のものを古向原川,古下羽原川と名付けた.
対象地域の河成段丘は,阿武隈川水系に形成時の侵食基準面を持つ,社川高位面(YH),同中位1面(YM1),同中位2面(YM2),久慈川水系側に形成時の侵食基準面を持つ,久慈川高位0面(KH0),同高位1面(KH1),同高位2面(KH2),同中位0面(KM0),同中位1面(KM1),同中位2面(KM2),同低位0面(KL0),同低位1面(KL1),同低位2面(KL2)に区分した.このうちYH面は古上台川によって,YM2面は古向原川,古下羽原川によってそれぞれ形成され,その後久慈川水系によって争奪された地形である.
KM1面は構成層層厚2 m,被覆層層厚3 m程度の段丘で姶良Tnテフラ(AT: 30 ka)に覆われている.被覆層はAT直下よりフラッドロームとなる.したがって離水年代は30 kaより少し前である.
KM2面は構成層層厚が4 m前後で顕著なロームによる被覆は認められない段丘である.本面は山地の谷筋出口付近に多く,構成層は礫径も大きく不淘汰なので,氷期に形成されその後侵食されて形成された段丘であると考えられる.AT降下後の氷期の段丘となると,その離水年代は20~15 kaであると考えられる.
KL1面は,被覆層は載らず,構成層は亜円礫で層厚が1~2 mである.段丘面上に縄文晩期の遺跡を載せ,KM面群より低い段丘であるからその離水は15 ka以降で,2 ka以前と考えられる.
YH面は被覆層層厚約8 m,構成層層厚約4 mの段丘であり,被覆層と構成層境界の1~2 m上に那須白河テフラ6~12(Ns-Sr 6~12: 150~200 ka)のいずれかの2枚が観察された.従って離水年代は150~200 kaかそれより少し前である.
YM2面は構成層層厚が2~3 mであり,被覆層は多くとも1 m以下である段丘である.KM2面と地形・地質的特徴が似ており,それと対比できる.よって形成年代はKM2面と同じ20~15 kaであり,形成中ないし形成後に久慈川水系により争奪され段丘化したと考えられる.
以上より河川争奪の年代を考察する.まず,古上台川について,その年代の上限は,YH面の離水年代でありMIS6末期である.ところで中村(1982)でも指摘されている通り,もし古上台川が間氷期も阿武隈川水系であったと考えると,間氷期にYH面には開析谷が形成されるはずであるが,YH面は明瞭なそれを持たない.よってMIS5eまでに古上台川は争奪されたものと考えられる.これらより,久慈川水系による古上台川の争奪は200~125 ka頃と推定される.
古向原川,古下羽原川について,YM2面は阿武隈川水系の方へ岩屑を供給しているような地形である.一方,争奪した側の久慈川水系の谷はKL1面へ連続する.すなわち古向原川,古下羽原川の争奪の年代はYM2面の谷地形形成後から,KL1面の形成期ないしその前までで20~2 ka頃と推定される.
これらの争奪はいずれも氷期ないし氷期から温暖期にかけての期間に発生しており,この争奪の要因として気候変動が関与していると考えられる.
以上より古上台川の争奪の過程について2つのケースを考えた.一つは,古上台川は氷期の岩屑供給増大により,それまでの久慈川水系との分水界を乗り越え久慈川水系側へ流入しそのまま久慈川水系となったケース,もう一つは,間氷期の下刻が久慈川で卓越し,そのため谷頭侵食で久慈川水系が争奪したケースである.古向原川,古下羽原川の争奪についても同様であると考える.