JpGU-AGU Joint Meeting 2020

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 G (教育・アウトリーチ) » 教育・アウトリーチ

[G-02] 災害を乗り越えるための「総合的防災教育」

コンビーナ:中井 仁(小淵沢総合研究施設)、小森 次郎(帝京平成大学)、林 信太郎(秋田大学大学院教育学研究科)

[G02-P03] 石巻市立大川小学校津波訴訟確定判決をいかすために—再浮上する検証課題

*林 衛1 (1.富山大学人間発達科学部)

キーワード:科学者の責任、大川小学校事故検証委員会、学校防災、地方自治における補完性原則、巨大歴史津波(869貞観,1611慶長)、宮城県の責任

2018年4月26日の仙台高裁判決が,最高裁による被告側上告の棄却によって2019年10月11日に確定した。遺族ら原告団らが集めた証拠,裁判での関係者の重要な証言などによって,2011年3月11日にいたる被災原因が明らかになったのは裁判の大きな成果である。被告である石巻市・宮城県が宮城県沖地震対策に努めていれば,児童の命は「守られる」ものであったと認定されたのだ。
 とはいえ,損害賠償責任の有無の判断を目的とする民事裁判では,それ以上に深い背景原因にまでさかのぼった事実認定はなされない。基礎自治体である石巻市,それを補完すべき宮城県,日本政府の施策のなにが,現場の動きを不完全なものにしてしまい,守られべき児童,教員の命が失われてしまったのかは,まだ確かめられているとはいえない。今後の学校,地域防災のためにも,被災原因の究明と共有は重要だと考えられる。
 しかし,判決確定後の石巻市政,宮城県政の動きをみていると,背景原因にさかのぼった責任の確認を求める少数の議員の議会での発言があるものの,残念ながら「判決を重く受けとめる」とする市長も県知事も原因究明と再発防止に消極的にみえる。宮城県に対し応分の負担を求める石巻市長の提案を宮城県知事は拒否,賠償責任はすべて石巻市にあるとした。その提案をのんだ石巻市長は,裁判での大川小被災は天災だとする主張はいまもまちがっていないと議会答弁で述べている。その結果,石巻市の被災住民間での分断が続いてしまっている。
 2010年夏に第4次地震被害想定調査を始めた宮城県は,二度の巨大歴史津波(869 貞観,1611 慶長)を対策から外す決定をした。明治・昭和の三陸リアス式海岸の浸水被害にくわえ,石巻平野,仙台平野が海岸線から3から4kmも浸水した歴史事実が自治体の想定として住民に伝わっていれば,多くの犠牲者の命は守られたであろう。決して,宮城県に被災の責任がないとはいえない(時系列表参照)。
 宮城県が歴史巨大津波を対策からはずす過程にかかわる文書が開示請求によって得られた。当時の担当者や専門会員からの聞き取りや関連情報とあわせ,被災の大きな原因に迫る。県市連携で進めるべき防災教育・防災施策のため,住民間の分断解消のためにも,背景原因究明は欠かせないはずだ。

 2020年1月31日には,兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科 大教室にて講演会「大川小学校・3.11を考え未来を拓く」が開催された。講師に招かれたのが,大川小学校の児童遺族で,(公財)3.11みらいサポート代表理事,大川伝承の会共同代表でもある鈴木典行氏だった。
 「大川小裁判の判決をどう読むか(その2)」(https://www.shiminkagaku.org/30201020180320/)でも詳報したとおり,2018年3月9日に石巻専修大学で開催された,3.11メモリアルネットワーク第1回伝承シンポジウム「伝える力 地域を超えて 世代を超えて」では,ゲストの兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科教授で研究科長であり,大川小学校事故検証委員会委員長でもあった室﨑益輝氏とシンポ開催側にいた鈴木氏とのあいだで緊張感をもったやりとりがなされていた。
 室崎氏が「日本の検証システムの問題」が検証を阻んだ旨述べたものの,「日本の検証システム」とは何か,その内容を具体的に問うた鈴木氏の再質問に答える場面がないまま討論が打ち切られてから2年近くが経過していた。その間,2018年4月に大川小学校国家賠償請求訴訟仙台高裁判決,2019年に上告が棄却されて同判決が確定するなど,大きな動きがあったのである(参照「大川小訴訟判決確定—被災原因はどこまで明らかになったのか」https://www.shiminkagaku.org/csijnewslletter_055_hayashi/)。
 室崎氏とは別の教授が企画したという講演会で,重要な議論の続きが2年ぶりに実現することとなった。
 ・検証委員会報告・24提言
 ・仙台高裁判決
 ・遺族らによる調査結果
 上から下にいくほど内容が豊富になるというちがいがあるのだが,判決確定後の石巻市議会で市長らは,大川小被災が天災であったという主張は(最高裁で認められなかったものの)まちがっていたとは考えていない,「検証委員会の24提言」の実現をめざすなどとの見解をいまだに表明し続けている。遺族や関係者の証言,数々の開示文書が明らかにした事実の共有すら,とても十分とはいえない。
 鈴木氏からの再検証の提起を受け,室崎氏が重要な検証事項として明言した「東北大学の研究者の責任」を含む,被災原因の再検証によって,豊かな事実を共有していくために何がいま求められるのか。

 なお,本発表は,2019年11月の日本災害復興学会鳥取大会のポスター発表(なぜ宮城県は二度の巨大歴史津波(869 貞観,1611慶長)を対策から外してしまったのか−情報開示された2010年夏「第4次地震被害想定調査」打合せ記録簿から浮かび上がる被害拡大要因,http://hdl.handle.net/10110/00019753)に新たな調査結果と考察を加えたものである。