[HCG30-P10] ルミネッセンス法を用いた考古学試料や遺跡堆積物の分析
キーワード:考古科学、年代測定、被熱温度推定、熱ルミネッセンス、光ルミネッセンス
ルミネッセンスは、鉱物を加熱もしくは露光することによって冷光が発する現象である。この現象を用いて、年代測定や被熱温度推定により考古学研究に寄与している。ルミネッセンス法には加熱によってゼロリセットした試料に用いる熱ルミネッセンス(TL)法と、露光によってゼロリセットした試料に用いる光ルミネッセンス(OSL)法がある。TL法では土器片や焼土・焼石のほか、遺跡で検出される火山灰試料などが測定できる。OSL法では遺跡堆積物のほか、TL法で測定可能な試料も適用できる。ルミネッセンス年代は、ゼロリセットから現在までに被ばくした放射線量(蓄積線量)を1年間に吸収する放射線量(年間線量)で除することで求めることができる。また、ルミネッセンスは温度の関数としてルミネッセンス計測をすることから、石英や長石など測定対象鉱物の被熱履歴を推定する方法としても用いられる。
本発表では、古代の焼土試料から求めたTL年代について報告する。多胡郡正倉跡は、群馬県高崎市吉井町に位置する。近隣には多胡碑があり、古代の碑文としてユネスコ「記憶の遺産」に登録された。多胡碑により上野国多胡郡があったことが裏付けられ、多胡郡正倉跡は発掘調査によって多胡郡衙跡と推定された。そして、正倉として瓦葺きの大型礎石建物が検出され、被熱粘土塊とともに、炭化米が検出された。この被熱粘土塊を年代測定することで、正倉が焼失した可能性のある年代を推定することができることから、TL年代測定を行った。TL年代測定は、被熱粘土塊から抽出した粗粒の石英を用いてTL測定を行った。その結果、蓄積線量は2.01±0.34 Gyとなった。また年間線量は、1.56±0.14 mGy/年と求まり、これらの結果より被熱粘土塊のTL年代は1,290±250年前となった。被熱粘土塊は浅間Bテフラ(天仁元年、西暦1108年)が検出された地層よりも下層であることから、層序的に整合性があった。炭化種実の暦年校正された放射性炭素年代は1,185-1,055 cal yBP(Beta-483385)であることら、これら数値年代に矛盾はない。瓦の編年などを考慮すると、9世紀以降に正倉が罹災して廃絶される契機になった可能性を裏付ける結果となった。
本発表では、古代の焼土試料から求めたTL年代について報告する。多胡郡正倉跡は、群馬県高崎市吉井町に位置する。近隣には多胡碑があり、古代の碑文としてユネスコ「記憶の遺産」に登録された。多胡碑により上野国多胡郡があったことが裏付けられ、多胡郡正倉跡は発掘調査によって多胡郡衙跡と推定された。そして、正倉として瓦葺きの大型礎石建物が検出され、被熱粘土塊とともに、炭化米が検出された。この被熱粘土塊を年代測定することで、正倉が焼失した可能性のある年代を推定することができることから、TL年代測定を行った。TL年代測定は、被熱粘土塊から抽出した粗粒の石英を用いてTL測定を行った。その結果、蓄積線量は2.01±0.34 Gyとなった。また年間線量は、1.56±0.14 mGy/年と求まり、これらの結果より被熱粘土塊のTL年代は1,290±250年前となった。被熱粘土塊は浅間Bテフラ(天仁元年、西暦1108年)が検出された地層よりも下層であることから、層序的に整合性があった。炭化種実の暦年校正された放射性炭素年代は1,185-1,055 cal yBP(Beta-483385)であることら、これら数値年代に矛盾はない。瓦の編年などを考慮すると、9世紀以降に正倉が罹災して廃絶される契機になった可能性を裏付ける結果となった。