10:45 〜 11:00
[G02-05] 地球温暖化に対する理解の経緯 -我々はいつから認識し得たのか-
★招待講演
キーワード:気候変動、市民理解、認知史、新聞データーベース、負の遺産、温暖化懐疑論
地球温暖化の抑制に対して我々が行動をとる上で,その問題がいつから顕在化したのか,およびいつから知り得たのか,を理解することが重要である.本発表では,研究者,行政機関,マスメディア,および一般市民の理解の歴史について,文献(例えば, Weart (2019) The Discovery of Global Warming https://history.aip.org/climate/index.htm)のコンパイル,および新聞データベースから明らかになった特徴について報告する.
研究者の理解としては,1824年のJ. フーリエによる地球大気の温室効果の報告にさかのぼるが,1938年のG.S. カレンダーによる報告が具体的な温暖化のデータ提示と予測の最初と見られる(Hawkins and Jones, 2013. RMetS, 139, 1961-1963).日本では山本(1957,気象研究ノート,55,113-117.)が初期の報告とされている(泊,2018.JpGU予稿MZZ40-02).行政機関としては,気象庁は1970年代後半から1980年代前半にかけて,長期予測を寒冷化から温暖化に修正している.一般向けの図書としては,1976年の「氷河期が来る」が8万部の販売を見せたことと,1983,84年に温暖化に関する訳本が国内で出版されたことの間に認識の境界が引けるかもしれない.マスメディアとしては,海外紙においては1960年代から”global warming”の語が散見されるが,本格的に増えるのはIPCCの設立年である1988年以降である.その後,何度かのピークが見られるがそのうちの1997年,2007年のピークは京都議定書とA. Goreの「不都合な真実」の影響がそれぞれ考えられる.日本の新聞では「温暖化」の語は1975年頃から微増,1988年から海外紙と同じく急増の傾向を示す.一方,「寒冷化」の語が1960年代から1983年まで認められる.
以下に,1938年以降の気候変動に関する主な動きを示す.(GW:地球温暖化.GHG:温室効果ガス. SP:太陽光発電. GFSC:ゴダード宇宙飛行センター.COP:国連気候変動枠組み条約締結国会議.IPCC:気候変動に関する政府間パネル.SD:持続可能な開発)
---------------
1938 G.S.カレンダーが1890-1935年のGW, CO2二倍で2℃上昇を論文で報告
1939 光起電力効果が発見される
1947 世界気候条約が採択
1951 WMOが設立
1954 ピアソンらがベル研究所でSPを発明
1956 プラスが電子計算機で百年で1.1℃の気温上昇を予測.
1957 山本義一がH2Oを含んだGHGとGW警鐘と日本での観測を提案(気象研究ノート,55,113-117.朝日新聞にも投稿).
1958 キーリングがハワイでCO2の観測を開始.2年後には増加を確認.
1958 ベルの科学教育番組でCO2,温暖化,海面上昇,SPに言及.
1959 米の初の気象衛星ヴァンガード1号を打ち上げ.データは電送.給電は太陽光パネル.
1962 レイチェル・カーソン「沈黙の春」.環境・公害問題顕在化.
1965 ジョンソン大統領の科学諮問委員会がGHGとGWを警告する報告書を提出.
1969 GLで1387mの氷床の氷コアを使って過去12万年間の古気候を復元.
1969 ManabeとBryanが大気・海洋結合モデルで気候変動シミュレーション.
1972 国連人間環境会議(ストックホルム会議).人間環境宣言.国連環境計画(UNEP)発足.
1972 メドウズ「成長の限界」.50年で地球は限界と警告.
1974 JMA「異常気象レポート No.1」を発行.寒冷化続くと指摘.
1976 WMO.CO2の増加によるGWの懸念を公表.
1976 根本順吉「氷河期が来る」(光文社カッパブックス)が8万部の販売.
1978 カーター大統領の命により環境問題委員会と国務省が報告書.寒冷・温暖化の両論とGHG問題も記述.
1979 JMA 異常気象レポートで寒冷化が今後数十年続くと報告.
1979 世界気候会議.WMOにて国連の世界気候計画が採択.
1979 Charney Report発行.日本でのCO2の観測始まる.
1980 カーターの1978年の報告書が日本語訳(GW関連では恐らく最初の一般和書)
1982 ストックホルム会議10周年としてUNEP特別会合開催.ナイロビ宣言.GWの語は0.炭酸ガスの語が1のみ.
1983 M.I.ブディコ「気候と環境」内嶋訳. (GWに関する日本語訳されたの初期の本)
1984 JMAが「今後5年間の長期予測」を寒冷化から温暖化に訂正.
1984 「炭酸ガスで地球が温暖化する」出版(日本語訳されたGWに関する内容の初期の本)
1985 プラハ会議開催.国際会議の中ではじめて温暖化問題が議論された.
1985 南極上空にオゾンホールが発見される.
1987 ブルントラント委員会Our Common Futureを発行.SDの概念が北欧諸国の主動で提唱.現在のSDGsにつながる.
1988 NASA GSFCのハンセンが上院議会で猛暑の原因を温暖化と証言.
1988 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)設立.トロント目標.
1989 地球大気に関する首脳会議でハーグ宣言.OECD内の24か国参加.
1989 田中正之「温暖化する地球」(GWに関する日本語で書きおろされた初期の一般書)
1990 根本順吉氏.温暖化に関する訳本を出版.
1990 IPCCの第一次報告書発行.
1992 リオで国連環境開発会議(地球サミット)開催.アジェンダ21採択
1992 国連気候変動枠組条約が採択.155か国が署名.
1992 セヴァン・カリス・スズキのスピーチ.(ただし温暖化のワードは出てこない)
1993 日本.環境基本法制定.公害対策基本法は廃止.
1995 COPの第一回会議(COP1)がベルリンで開催
1995 IPCC 第二次報告書 温暖化の証拠が具体的に記述される.
1997 京都でのCOP3で京都議定書 採択
1998 マイケル・マンが最近600年のホッケースティック曲線を報告.懐疑論派から嫌がらせを受ける.
1998 日本で地球温暖化対策推進に関する法律が制定.
1998 SPパネル世界シェアで日本がアメリカを抜いて1位
2001 IPCC第三次報告書.温暖化のほとんどが人類起源と示す一層強力な証拠が新に明記.
2002 SPパネル世界シェアで中国が日本を抜いて1位
2005 EU内で排出量取引(ETS)開始.
2005 京都議定書 発効.
2006 スターン氏.経済学的に考えてCO2削減はより早いほど全世界で費用の軽減できると報告.
2007 IPCC第四次報告書 ヒートアイランドと地球規模の温暖化が異なる事を数値で示す.
2007 IPCCがアル・ゴアとともにノーベル平和賞受賞.
2009 ラクイラサミット.2050 年までに世界全体で-50%,先進国全体で-80%.産業革命以降の上昇2℃以下を目標.
2009 GWとヒマラヤ氷河についてIPCC報告書に疑義.いわゆるクライメートゲート事件とグレーシャーゲート事件.その後,IPCC側は温暖化の進行とGHGの影響の事実は変わらない事&疑義は言いがかりであることを明確に説明.データの引用ミスや誤用があったことは認める.
2011 福島第一原発事故.90年代から増加していた日本での石炭火力発電の利用が更に加速.
2011 カナダが京都議定書から離脱.
2012 リオ+20(国連持続可能な開発会議)開催.参加国で削減量に関する具体的なすり合わせはできず特に成果なし.
2013 IPCC第五次報告書 1880-2012年に0.85度上昇.海洋の温暖化も明示.
2013 CO2濃度,400ppmを超える.ホモ属としては人類未経験の濃さ.産業革命以前は約280ppm.
2014 ウォルマートがSP発電を主とした店舗の電力自給100%計画を発表.2019で28%.
2014 RE100(Renewable Energy 100%.事業での全エネルギーを再エネで賄うことを狙った国際的イニシアチブ)が欧州を中心に開始.
2015 COP21にてパリ協定採択.
2015 保険大手アクサ(仏)が石炭関連企業・事業の保険引き受け停止.この後他社で同様の事例が続く.
2015 世界銀行グループが日本の石炭火力発電所新設への融資撤退を表明.この後他社で同様の事例が続く.
2016 4月.パリ協定に175の国・地域が署名.11月には全世界の55%が批准したことで発効.その4日後に日本は批准.
2016 日本の電力会社から融資撤退をする銀行や保険会社が増える.
2017 資産では世界有数規模のノルウェー公的年金基金が日本の電力会社から融資撤退.
2017 パリ協定からアメリが離脱することをトランプ大統領が宣言.
2018 グレタ・トゥーンベリ. 8月のスウェーデン議会前の気候変動への登校ストライキを経てCOP23で演説.
・グリーン・ニューディール(もとは07年に提唱)の実施を唱えるオカシオ・コルテス(アメリカ最年少の下院議員)が,化石燃料生産大手のエクソン社を追求.現在のGHG増加の値を1982年に既に正確に予測していたことを隠ぺいしていたと.
・日本の大手銀行も化石燃料関連の企業・事業への融資撤退を表明.
2020 ステラ社,トヨタを抜いて時価総額世界一位になる.
研究者の理解としては,1824年のJ. フーリエによる地球大気の温室効果の報告にさかのぼるが,1938年のG.S. カレンダーによる報告が具体的な温暖化のデータ提示と予測の最初と見られる(Hawkins and Jones, 2013. RMetS, 139, 1961-1963).日本では山本(1957,気象研究ノート,55,113-117.)が初期の報告とされている(泊,2018.JpGU予稿MZZ40-02).行政機関としては,気象庁は1970年代後半から1980年代前半にかけて,長期予測を寒冷化から温暖化に修正している.一般向けの図書としては,1976年の「氷河期が来る」が8万部の販売を見せたことと,1983,84年に温暖化に関する訳本が国内で出版されたことの間に認識の境界が引けるかもしれない.マスメディアとしては,海外紙においては1960年代から”global warming”の語が散見されるが,本格的に増えるのはIPCCの設立年である1988年以降である.その後,何度かのピークが見られるがそのうちの1997年,2007年のピークは京都議定書とA. Goreの「不都合な真実」の影響がそれぞれ考えられる.日本の新聞では「温暖化」の語は1975年頃から微増,1988年から海外紙と同じく急増の傾向を示す.一方,「寒冷化」の語が1960年代から1983年まで認められる.
以下に,1938年以降の気候変動に関する主な動きを示す.(GW:地球温暖化.GHG:温室効果ガス. SP:太陽光発電. GFSC:ゴダード宇宙飛行センター.COP:国連気候変動枠組み条約締結国会議.IPCC:気候変動に関する政府間パネル.SD:持続可能な開発)
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1938 G.S.カレンダーが1890-1935年のGW, CO2二倍で2℃上昇を論文で報告
1939 光起電力効果が発見される
1947 世界気候条約が採択
1951 WMOが設立
1954 ピアソンらがベル研究所でSPを発明
1956 プラスが電子計算機で百年で1.1℃の気温上昇を予測.
1957 山本義一がH2Oを含んだGHGとGW警鐘と日本での観測を提案(気象研究ノート,55,113-117.朝日新聞にも投稿).
1958 キーリングがハワイでCO2の観測を開始.2年後には増加を確認.
1958 ベルの科学教育番組でCO2,温暖化,海面上昇,SPに言及.
1959 米の初の気象衛星ヴァンガード1号を打ち上げ.データは電送.給電は太陽光パネル.
1962 レイチェル・カーソン「沈黙の春」.環境・公害問題顕在化.
1965 ジョンソン大統領の科学諮問委員会がGHGとGWを警告する報告書を提出.
1969 GLで1387mの氷床の氷コアを使って過去12万年間の古気候を復元.
1969 ManabeとBryanが大気・海洋結合モデルで気候変動シミュレーション.
1972 国連人間環境会議(ストックホルム会議).人間環境宣言.国連環境計画(UNEP)発足.
1972 メドウズ「成長の限界」.50年で地球は限界と警告.
1974 JMA「異常気象レポート No.1」を発行.寒冷化続くと指摘.
1976 WMO.CO2の増加によるGWの懸念を公表.
1976 根本順吉「氷河期が来る」(光文社カッパブックス)が8万部の販売.
1978 カーター大統領の命により環境問題委員会と国務省が報告書.寒冷・温暖化の両論とGHG問題も記述.
1979 JMA 異常気象レポートで寒冷化が今後数十年続くと報告.
1979 世界気候会議.WMOにて国連の世界気候計画が採択.
1979 Charney Report発行.日本でのCO2の観測始まる.
1980 カーターの1978年の報告書が日本語訳(GW関連では恐らく最初の一般和書)
1982 ストックホルム会議10周年としてUNEP特別会合開催.ナイロビ宣言.GWの語は0.炭酸ガスの語が1のみ.
1983 M.I.ブディコ「気候と環境」内嶋訳. (GWに関する日本語訳されたの初期の本)
1984 JMAが「今後5年間の長期予測」を寒冷化から温暖化に訂正.
1984 「炭酸ガスで地球が温暖化する」出版(日本語訳されたGWに関する内容の初期の本)
1985 プラハ会議開催.国際会議の中ではじめて温暖化問題が議論された.
1985 南極上空にオゾンホールが発見される.
1987 ブルントラント委員会Our Common Futureを発行.SDの概念が北欧諸国の主動で提唱.現在のSDGsにつながる.
1988 NASA GSFCのハンセンが上院議会で猛暑の原因を温暖化と証言.
1988 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)設立.トロント目標.
1989 地球大気に関する首脳会議でハーグ宣言.OECD内の24か国参加.
1989 田中正之「温暖化する地球」(GWに関する日本語で書きおろされた初期の一般書)
1990 根本順吉氏.温暖化に関する訳本を出版.
1990 IPCCの第一次報告書発行.
1992 リオで国連環境開発会議(地球サミット)開催.アジェンダ21採択
1992 国連気候変動枠組条約が採択.155か国が署名.
1992 セヴァン・カリス・スズキのスピーチ.(ただし温暖化のワードは出てこない)
1993 日本.環境基本法制定.公害対策基本法は廃止.
1995 COPの第一回会議(COP1)がベルリンで開催
1995 IPCC 第二次報告書 温暖化の証拠が具体的に記述される.
1997 京都でのCOP3で京都議定書 採択
1998 マイケル・マンが最近600年のホッケースティック曲線を報告.懐疑論派から嫌がらせを受ける.
1998 日本で地球温暖化対策推進に関する法律が制定.
1998 SPパネル世界シェアで日本がアメリカを抜いて1位
2001 IPCC第三次報告書.温暖化のほとんどが人類起源と示す一層強力な証拠が新に明記.
2002 SPパネル世界シェアで中国が日本を抜いて1位
2005 EU内で排出量取引(ETS)開始.
2005 京都議定書 発効.
2006 スターン氏.経済学的に考えてCO2削減はより早いほど全世界で費用の軽減できると報告.
2007 IPCC第四次報告書 ヒートアイランドと地球規模の温暖化が異なる事を数値で示す.
2007 IPCCがアル・ゴアとともにノーベル平和賞受賞.
2009 ラクイラサミット.2050 年までに世界全体で-50%,先進国全体で-80%.産業革命以降の上昇2℃以下を目標.
2009 GWとヒマラヤ氷河についてIPCC報告書に疑義.いわゆるクライメートゲート事件とグレーシャーゲート事件.その後,IPCC側は温暖化の進行とGHGの影響の事実は変わらない事&疑義は言いがかりであることを明確に説明.データの引用ミスや誤用があったことは認める.
2011 福島第一原発事故.90年代から増加していた日本での石炭火力発電の利用が更に加速.
2011 カナダが京都議定書から離脱.
2012 リオ+20(国連持続可能な開発会議)開催.参加国で削減量に関する具体的なすり合わせはできず特に成果なし.
2013 IPCC第五次報告書 1880-2012年に0.85度上昇.海洋の温暖化も明示.
2013 CO2濃度,400ppmを超える.ホモ属としては人類未経験の濃さ.産業革命以前は約280ppm.
2014 ウォルマートがSP発電を主とした店舗の電力自給100%計画を発表.2019で28%.
2014 RE100(Renewable Energy 100%.事業での全エネルギーを再エネで賄うことを狙った国際的イニシアチブ)が欧州を中心に開始.
2015 COP21にてパリ協定採択.
2015 保険大手アクサ(仏)が石炭関連企業・事業の保険引き受け停止.この後他社で同様の事例が続く.
2015 世界銀行グループが日本の石炭火力発電所新設への融資撤退を表明.この後他社で同様の事例が続く.
2016 4月.パリ協定に175の国・地域が署名.11月には全世界の55%が批准したことで発効.その4日後に日本は批准.
2016 日本の電力会社から融資撤退をする銀行や保険会社が増える.
2017 資産では世界有数規模のノルウェー公的年金基金が日本の電力会社から融資撤退.
2017 パリ協定からアメリが離脱することをトランプ大統領が宣言.
2018 グレタ・トゥーンベリ. 8月のスウェーデン議会前の気候変動への登校ストライキを経てCOP23で演説.
・グリーン・ニューディール(もとは07年に提唱)の実施を唱えるオカシオ・コルテス(アメリカ最年少の下院議員)が,化石燃料生産大手のエクソン社を追求.現在のGHG増加の値を1982年に既に正確に予測していたことを隠ぺいしていたと.
・日本の大手銀行も化石燃料関連の企業・事業への融資撤退を表明.
2020 ステラ社,トヨタを抜いて時価総額世界一位になる.