17:15 〜 18:30
[HCG27-P03] 決めるのは科学なのか(2):科学的助言をめぐって
キーワード:科学的助言、新型コロナウイルス感染症、原子力のリスク、科学技術社会論
本セッションでは地球科学と原子力利用に係るリスクの関係、そこでの科学者、工学者の関与のあり方や示すべき態度が議論されてきた。筆者はこの問題を、理学と工学の相互作用やすれ違い、その背後にある安全観(あるいはリスク観)、さらには専門家としての使命についての認識の差異に特に着目して分析し、そのギャップを乗りこえる方途を探ってきた。今回は少し視角を変えて、いわゆる「科学的助言」の問題を、現在進行形の事態であるCOVID-19のパンデミックとの比較を交えて検討する。
3.11複合災害から10年の節目を前に、世界はコロナ禍に見舞われた。誰にとっても未曽有の事態を前に、科学的助言の役割が再び大きな注目を浴びることとなった。
そして、「専門家」が科学的知見にのみ基づくのではなく、自らの様々な政治的・社会的利害関心によって歪められた助言を政府や社会に対して行っているのではないかとか、あるいは、科学的助言そのものは妥当なものでも、政治家や行政官がそうした利害関心から取捨選択あるいは変質させているのではないかといった批判が飛び交った。これらはいずれも、3.11当時にも見られた批判である。そして、これも当時と同様、政府に対して助言をする専門家に対して「御用学者」という非難が向けられた。
しかし、原子力利用を推進するためには原子力事故のリスクを矮小化する動機があるとみれば、「御用学者」論は論理的に一定の整合性を持ったのに対し、むしろ疫学者、ウイルス学者、薬学者などはパンデミックがより深刻であると見る方がある種の「我田引水」につながるであろうにも関わらず、同じ「御用学者」という言葉で彼らが事態の矮小化に棹さしていると批判されたことにはいささかの疑問を差し挟む余地がある。
これは政府や関係業界の「御用」を聞くかどうか、それによって科学が、あるいは科学的助言が歪められるかどうかの問題なのだろうか。
この問いに答えることはおそらく、今後の地球科学者と原子力のリスクの関係を考える上でも普遍的な意味を持つと思われる。科学的助言をめぐる科学技術社会論分野の知見の一部を紹介し、答えの手がかりを得たい。
3.11複合災害から10年の節目を前に、世界はコロナ禍に見舞われた。誰にとっても未曽有の事態を前に、科学的助言の役割が再び大きな注目を浴びることとなった。
そして、「専門家」が科学的知見にのみ基づくのではなく、自らの様々な政治的・社会的利害関心によって歪められた助言を政府や社会に対して行っているのではないかとか、あるいは、科学的助言そのものは妥当なものでも、政治家や行政官がそうした利害関心から取捨選択あるいは変質させているのではないかといった批判が飛び交った。これらはいずれも、3.11当時にも見られた批判である。そして、これも当時と同様、政府に対して助言をする専門家に対して「御用学者」という非難が向けられた。
しかし、原子力利用を推進するためには原子力事故のリスクを矮小化する動機があるとみれば、「御用学者」論は論理的に一定の整合性を持ったのに対し、むしろ疫学者、ウイルス学者、薬学者などはパンデミックがより深刻であると見る方がある種の「我田引水」につながるであろうにも関わらず、同じ「御用学者」という言葉で彼らが事態の矮小化に棹さしていると批判されたことにはいささかの疑問を差し挟む余地がある。
これは政府や関係業界の「御用」を聞くかどうか、それによって科学が、あるいは科学的助言が歪められるかどうかの問題なのだろうか。
この問いに答えることはおそらく、今後の地球科学者と原子力のリスクの関係を考える上でも普遍的な意味を持つと思われる。科学的助言をめぐる科学技術社会論分野の知見の一部を紹介し、答えの手がかりを得たい。