日本地球惑星科学連合2021年大会

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[J] ポスター発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-CG 地球人間圏科学複合領域・一般

[H-CG28] 堆積・侵食・地形発達プロセスから読み取る地球表層環境変動

2021年6月3日(木) 17:15 〜 18:30 Ch.09

コンビーナ:清家 弘治(産業技術総合研究所・地質調査総合センター)、池田 昌之(東京大学)、成瀬 元(京都大学大学院理学研究科)、高柳 栄子(東北大学大学院理学研究科地学専攻)

17:15 〜 18:30

[HCG28-P06] 岩種組成と形状的特徴の変化から考える神奈川県西湘海岸における中礫の運搬過程

*白井 正明1、秋山 朋美1、河尻 清和2、宇津川 喬子3、高橋 尚志4 (1.東京都立大学(首都大学東京)、2.相模原市立博物館、3.立正大学、4.東北大学)

キーワード:中礫、運搬過程、扁平率、養浜、西湘海岸

神奈川県西部に位置する西湘海岸では海岸侵食が社会問題となっている.例えば2007年,2017年には西湘海岸の海岸侵食に伴い,台風時に暴浪が西湘バイパスを直撃し,バイパスの一部が崩壊した.このような海岸侵食への対策として,西湘海岸では1995年以降養浜事業が行われている.養浜事業が開始されて以降に,西湘海岸の堆積粒子に着目をしてその運搬過程を評価した研究は行われていない.西湘海岸への主な土砂供給源は酒匂川であり,長期的には東向きの沿岸流が卓越しているため,西湘海岸の中央部〜東部は酒匂川由来の礫に富む.酒匂川由来の礫は主に,丹沢山地起源である閃緑岩, 凝灰岩である(例えば,荒巻・鈴木,1962).また酒匂川流域には,約2900年前には御殿場泥流が,1707年には富士山の宝永噴火による降下スコリアが,また1923年に発生した大正関東地震による丹沢山地からの多量の崩壊土砂が,それぞれ流れ込んでおり,礫種組成の変化からこれらのイベントを検出できる可能性がある.
地形図からの汀線位置の読み取り,礫種組成や礫の形状の変化をもとに,西湘海岸での礫の移動や養浜事業の影響を以下のように見積もった.
(1) 地形図の比較から,大正関東地震時に丹沢山地で発生した大規模な斜面崩壊により大量の土砂が酒匂川を流下した影響で,1916〜1933の間に酒匂川河口で汀線が100 m弱海側に張り出していたことが確認された.潮位差や大正関東地震による隆起を考慮してもこの張り出しは大きく,酒匂川を流下した大正関東地震による崩壊土砂が堆積したものと推定される.
(2) 西湘海岸のうち酒匂川河口より東の区域の8ヶ所で,長径16〜32 mmの中礫の礫種組成(各地点約60個)を測定した結果,全ての地点で丹沢山地起源と考えられる凝灰岩と閃緑岩の中礫が卓越することがわかった.特に酒匂川河口から約5~9km東に位置する3地点(C4~C6)では,丹沢山地起源の礫の含有率が酒匂川河口(河口洲の陸側)と同程度に高い.
(3) 全地点で中礫の半数以上を占める凝灰岩礫について追加採取を行い,扁平率を[1- (短径)2/(長径×中間径)]と設定し,これを測定した(各地点約130個).丹沢山地起源の礫の含有率が高い3地点の中でも,より酒匂川河口に近い西側のC4,C5では扁平な礫が多く,海岸の礫の特徴を示すのに対し(例えば,中山,1965),最も河口から遠いC6では扁平な礫が比較的少なく,酒匂川河口と同程度である.つまりC6の礫は河川の礫に似た傾向があるが,これは養浜事業によってC6のすぐ西側に運び込まれた酒匂川下流の中礫であると推定された.
(4) 一方C5では丹沢山地起源の礫の割合が酒匂川河口よりも大きく,また海岸を運搬されたと考えられる扁平な礫が多いことから,大正関東地震の際に丹沢山地で崩壊しその後河口に堆積した土砂が沿岸を運搬されてきた可能性がある.これら中礫が西湘海岸を運搬される間,サイズが大きく変わらず,運搬速度が大きく変化しなかったと仮定すると,酒匂川河口からC5までの約7 kmを97〜87年間で運搬されたこととなり,平均移動速度は70〜80 m/年と見積もられる.
(5) 西湘海岸の養浜事業は1995年に開始されており,中礫の現在までの移動距離は1.8〜2.0 km と推定される.C6の東隣のC7では,C6と対照的に丹沢山地起源の礫が占める割合が小さく,また礫の扁平率が高い.大規模な養浜区域の東端からC6までは0.6 km,C7まではちょうど2.0 kmの距離があり,養浜によって運び込まれた西湘海岸の中礫がまだC7にはほとんど到達していないと考えられる.以上から,長径16〜32 mm程度の中礫の平均移動速度 70〜80 m/年 は妥当な見積もりであると判断された.

なお本発表は,第2発表者の秋山の2020年度卒業研究の一部を発展させたものである

参考文献
荒巻孚・鈴木隆介(1962)地理学評論,35,17-34.
中山正民(1965)地理学評論,38,103-120.