日本地球惑星科学連合2021年大会

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[J] 口頭発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-GG 地理学

[H-GG01] 自然資源・環境の利用と管理:地球科学と社会科学の対話

2021年6月4日(金) 15:30 〜 17:00 Ch.16 (Zoom会場16)

コンビーナ:上田 元(一橋大学・大学院社会学研究科)、大月 義徳(東北大学大学院理学研究科地学専攻環境地理学講座)、古市 剛久(森林総合研究所)、佐々木 達(宮城教育大学)、座長:上田 元(一橋大学・大学院社会学研究科)、大月 義徳(東北大学大学院理学研究科地学専攻環境地理学講座)、佐々木 達(宮城教育大学)

16:00 〜 16:15

[HGG01-03] 兵庫県美方郡香美町小代区における「但馬牛システム」の変化―「ここならではの牛」をどう育み続けるか―

*河本 大地1 (1.奈良教育大学)

キーワード:畜産、中山間地域、小規模農業、持続可能性、地のもの、消費者教育

小規模な農業経営は、長年にわたって地域の細やかな自然条件に適合した形を構築し、地域多様性を織りなす重要な要素の一部となっている。それが生み出した景観がツーリズム等で活かされたり、食が「地のもの」として珍重されたりすることも多い。
 しかし現在、世界各地において、小規模・家族経営の農業のゆくえは危惧される状況にある。日本の畜産業、とりわけ中山間地域の和牛繁殖経営はその典型である。多頭飼育化による経営基盤確立は日本の畜産政策において焦眉の課題とされており、全国的にこの方向性がとられている。しかし、小規模経営の繁殖農家が多数を占めてきた山間地域では、それが遅れて進行しており、経営には持続可能性に乏しい状況も見られる。全国すべての地域で、「大きいことはいいことだ」の価値観で一律の施策や同様の方向性をとると、中山間地域は条件不利地域化するし、先述のような景観や食などの地域資源の持続は困難となることが予想される。
 そこで本研究では、山間地域の小規模な和牛繁殖経営と、そこにみられる大地に根ざした暮らし、およびそれらが育んできた景観に着目する。そして、少数の経営体が多数の和牛を飼養する多頭飼育化が進む中にあって、小規模経営や大地に根差した暮らしがどう継承されつつあるかを明らかにしたい。
 研究対象地域は、中国山地の矢田川源流域である、兵庫県北西部の美方郡香美町小代(おじろ)区(旧美方町)とした。同区は、和牛の大半を占める黒毛和種の99.9%にその血の入っている(2012年2月、全国和牛登録協会調べ)「田尻」号という名牛を育むなどした、和牛のふるさととも言える地域である。この小代区を含む兵庫県美方地域では、全国に先駆けて牛藉簿を整備し、閉鎖育種にこだわった和牛改良を行うことで、独自の遺伝資源が保全されてきた。この地域の但馬牛の飼養は、地域の草原や棚田の維持、農村文化の継承にも貢献してきたことが認められ、2019年2月に「兵庫美方地域の但馬牛システム」として、日本農業遺産に認定された。その後、国連食糧農業機関(FAO)に対して世界農業遺産の認定申請も行われている。
 研究方法は以下のとおりである。2010年8月に、和牛飼養を行っている畜産経営体(すべて和牛繁殖経営の農家)全22戸のうち18戸、農協の畜産事務所、元畜産農家、元獣医等を訪ね、綿密な聞き取り調査および文献収集をおこなった。また、その10年後にあたる2020年にも11月と12月の2回に分けて、和牛飼養を行っている全16(1経営体は和牛の繁殖から販売までを一貫して行う企業、他は和牛の繁殖農家。うち2戸は共同経営、1戸は他の農家への飼育委託の形態をとっている)の畜産経営体で聞き取り調査を行った。調査内容は、経営者の経歴や経営形態、飼料の入手方法、放牧の有無とその理由、牛飼いとして苦労したこと・楽しかったこと、将来の見通しなどである。2010年には、1990年頃および1970年頃の経営についても概要を把握した。2020年には、学校教育に対する期待、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する考え等も項目に含めた。そして、多頭飼育農家と少頭飼育農家との間の共通点や違いなどを見いだした。聞き取りに際しては、過去に農協の授精師であった、地域の全畜産経営体を知る人の協力を得た。このほか、2010年以降、河本は観光・地域づくりのアドバイザー等の形で地域に関わりながら、地域資源の価値づけや継承の可能性を探ってきた。
 結果として、香美町小代区には「よい牛を育む」という質的こだわりが強固に存在していることが明らかになった。2010年時点では全畜産農家における和牛の飼養頭数が30頭以下であり、飼料の自給もあり、また集落の中に牛がいる光景もかろうじて垣間見られた。しかし、2020年までの10年間には多頭飼育化が進み、少頭飼育農家の引退が相次いだ。飼料も大半が購入されたものとなり、「但馬牛システム」として評価されている伝統的な飼養形態の一部は失われつつある。一方で、多頭飼育経営が若者の新規参入のインキュベーターになっている。また、「和牛のふるさと」としての価値を伝えようとする住民主体のツーリズムの動きが生まれている。今後は、消費者にこうした地域の育んできた価値をどう伝えるかを検討する必要がある。