日本地球惑星科学連合2021年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-GM 地形学

[H-GM03] 地形

2021年6月4日(金) 09:00 〜 10:30 Ch.14 (Zoom会場14)

コンビーナ:八反地 剛(筑波大学生命環境系)、瀬戸 真之(福島大学うつくしま福島未来支援センター)、座長:八反地 剛(筑波大学生命環境系)

09:45 〜 10:00

[HGM03-04] 2018年7月西日本豪雨において鳥取県東部八東川で護岸損壊の集中箇所が見られた原因

*小玉 芳敬1、杉本 泰志 (1.鳥取大学農学部)

キーワード:短波長砂礫堆、護岸損壊箇所の集中、2018年7月西日本豪雨、低水路工事、砂礫堆の回復、空中写真判読

はじめに
鳥取県東部を流れる八東川は,氷ノ山(標高1,509 m)から発し,流路長39.1 km,流域面積417.3 km2の千代川水系最大の支川である.2018年7月の西日本豪雨により,千代川合流点より18~20 km付近において護岸の損壊が5箇所で発生した.本研究の目的は,八東川における河道形状,特に砂礫堆の変遷を明らかにして,2018年出水で護岸損壊箇所が集中した原因を考察することである.
調査方法
国土地理院の空中写真およびGoogle Earth Proの衛星写真を用いて,現地調査で砂礫堆が確認された区間(千代川合流点より24 kmまで)を対象に,八東川の河道形状を調べた.撮影年は,1947年,1964年, 1976年(一部に1975年含む),1995年,2013年,2018年で,水域,河原,植生,露岩の分布を図化した.モノクロ写真では,水域:黒色でキメが細かい,河原:白色でキメが細かい,植生:色が比較的濃く立体的に見える,露岩:岩の構造を反映した直線の組み合わせの輪郭でキメが粗い,とそれぞれ判読した.カラー写真での判読は容易であった.河原の分布から砂礫堆の前縁部を判定し,ケバ付きの赤線で表わした.また河道に占める河原と植生の面積率を0~8 km(下流),8~16 km(中流),16~24 km(上流)に分けて算出した.
調査結果および考察
河道形状の変遷と河原と植生の面積率の推移より,1947年,1964年で50%程を占めた河原が,1976年に減少し,1995年には低水路の掘削工事と高水敷の整備が進み高水敷の多くは植生域となった.その後も河原の面積率は減少し20%以下となった.代わりに植生は50%程に増加した.縦断変化に注目すると,上流ほど河原の面積率が高く,下流ほど植生の面積率が高いことが明らかになった.単位幅当たりにおける掃流砂礫量の下流方向への減少の表われと考えられる.
砂礫堆前縁部の位置の縦断分布と,砂礫堆前縁部の長さで階級分けした度数分布を上・中・下流別に解析し,それらの変遷を調べた.その結果,1947年には56箇所の砂礫堆がほぼ全域にわたり認定され,砂礫堆の半波長が約50~1,250 mで,特に50~350 mのものが多く認められた.高度経済成長期に入り1964年には砂礫堆の数が漸減し,1976年には31箇所まで減少した.1976年には,下流部の砂礫堆がほぼ認められず半波長が1,000 mを超えるものがなくなった.そして1995年には砂礫堆は5箇所しか見られなくなった.低水路工事が原因と考えられる.
ところが2013年には18箇所に,2018年には33箇所に増加し,半波長が100~300 mと短い砂礫堆が多く認められた.特に2018年の上流区間では,1947年とほぼ同じ状態にまで砂礫堆の個数が回復した.しかも半波長が50~350mの短い砂礫堆が卓越した.低水路掘削工事が少なくなり,上流側より砂礫が流されてきた反映と考えられる.18~20 km地点に見られた5箇所の護岸損壊箇所は,砂礫堆回復区間の下流端付近に当たり,短い波長の砂礫堆が数多く認められた区間である.一般的に砂礫堆は形成初期の段階では波長が短く,時間と共に波長を長くして定常状態に至る.短波長の砂礫堆では,水流の河岸への衝突角度が大きくなり,局所洗掘が起こり,これが護岸損壊集中の原因と考えられる.
結論
高度成長期以降の河川改修工事により八東川の砂礫堆は1995年頃,ほとんど見られなくなった.しかし2010年代に上流側から波長の短い砂礫堆が復元し, 水流の河岸への衝突角度を増して,護岸の損壊を誘発した.このことが2018年7月出水で八東川において認められた護岸損壊の集中の原因と考えられる.今後,砂礫堆の回復区間が下流に伝播するについて,短波長の砂礫堆が形成され,その付近で護岸損壊が発生する可能性が高いと予想される.注視していく必要がある.