11:30 〜 11:45
[MIS11-10] 水田の窒素収支を閉じるために
キーワード:水田、生物的窒素固定、脱窒、高CO2、気候変動、水田土壌
水田は,主にアジアの基幹作物であるイネを栽培する場であると共に,半湿地生態系の側面も有する(農業生態系とも称される).コメの生産には多くの場合に肥料として窒素が投入されるが,化学窒素肥料の多投入は水質汚染や富栄養化などの様々な環境問題の原因となる.加えて,進行中の大気CO2濃度の増加や気候変動は,コメの生産のみならず農業生態系としての水田の窒素循環に影響を及ぼしうる.例えば,CO2濃度の増加は,光合成の促進ひいてはコメの増収の効果を有するものの(CO2施肥効果),窒素をはじめとする他の栄養元素が相対的に不足することで効果が割り引かれ,コメのタンパク質含量の低下などの影響をもたらす.また,温暖化は,化学反応論的には窒素を含む物質循環の多くの過程を加速させうる.コメ生産の場および半湿地生態系である水田の持続可能性を保つには,水田の窒素循環の現状と環境変動への応答に関する正しい知見が欠かせない.土壌肥沃度の維持を持続可能性の一つの目標とすると,特に窒素収支(水田への総インプット-水田からの総アウトプット=水田のストック変化)を知ることが大切である.水田の窒素収支を閉じるとは,水田を出入りする全ての過程の窒素の流れ(窒素フロー)について確からしい情報を得ることである.
図に示すとおり,営農行為に伴う人為的な過程に加えて,水田には多様な窒素過程が存在する.図に示した窒素フローの値は,演者などによるこれまでの研究成果に基づき,関東地方の単作水田に相当する値である(単位水田面積あたりのフラックスとしてkg N ha–1 yr–1).一つの過程の窒素フローが不明な程度であれば,他の情報から類推可能である.また,量的に重要性の低い過程の窒素フローが不明な程度であれば,窒素収支の評価に大きな影響はない.ところが,水田については量的に大きいながらも窒素フローの情報が大きく不足している過程が複数ある.それらは,水田へのインプットとして生物的窒素固定(BNF),水田からのアウトプットとして脱窒およびアンモニア(NH3)揮散である.特に,分子窒素(N2)として大気-水田間を出入りするBNFおよび脱窒の情報が乏しい.どちらも嫌気条件で卓越する微生物過程であり,湛水水田は理想的な環境である.よって,量的に大きいはずであるが,78%がN2で構成される地球大気においてN2のフラックスを測定することは困難である.重窒素標識や膜導入質量分析などにより精度のよい定量が可能となるが,フィールド観測には不向きである.したがって,土壌肥料学分野でさえもこの2つの過程を無視した議論がしばしば行われている.これらは常に一定とは限らず,測定できないことを理由に議論から外すのは残念である.演者の研究では,実規模水田で測定した湛水土壌表層1 cmの単独生活型(=植物との共生・半共生的ではない)の正味BNFが,作季の3か月で約40 kg N ha–1に達した.イネとの半共生的なBNFも考慮すると,過去の文献で記載される100 kg N ha–1は大げさではないだろう.環境保全型農業に伴う減肥などにより,近年の水田への化学肥料の施肥量は50 kg N ha–1程度であり,BNFの相対的な寄与が増している.脱窒については実規模水田で測定した例が少ない.重窒素を用いた室内実験によれば,相当程度の窒素がN2として大気に失われる.NH3揮散は技術的には測定可能であるが,日本では演者の他には幾つかの測定例にとどまっている.施肥窒素の直接影響がない夏季の昼間にNH3揮散のスパイクが観測されるなど(Hayashi et al., 2017),いまだ謎が残っている.さらに,大気CO2濃度の増加や気候変動が水田の窒素循環と窒素収支に及ぼす影響はほとんど分かっていない.2010~2017年にかけて開放型CO2増加実験水田を用いた窒素循環研究を実施したが,個別過程の応答の解明が精一杯であった.CO2施肥効果は,短期的にはコメの増収をもたらしうるが,長期的にはイネの養分吸収を加速させて土壌肥沃度の低下をもたらすことが懸念される.施肥やかんがいが行われる日本では問題になりにくいかも知れないが,有機農業や天水田が基本の地域では将来的に土壌がやせていく可能性がある.よって,今後,窒素循環の各過程の実態と環境変動応答を解明し,これらを繋ぎ合わせ,人為管理の影響を含むモデル評価を可能とする体系的な研究に取り組むことが期待される.
図に示すとおり,営農行為に伴う人為的な過程に加えて,水田には多様な窒素過程が存在する.図に示した窒素フローの値は,演者などによるこれまでの研究成果に基づき,関東地方の単作水田に相当する値である(単位水田面積あたりのフラックスとしてkg N ha–1 yr–1).一つの過程の窒素フローが不明な程度であれば,他の情報から類推可能である.また,量的に重要性の低い過程の窒素フローが不明な程度であれば,窒素収支の評価に大きな影響はない.ところが,水田については量的に大きいながらも窒素フローの情報が大きく不足している過程が複数ある.それらは,水田へのインプットとして生物的窒素固定(BNF),水田からのアウトプットとして脱窒およびアンモニア(NH3)揮散である.特に,分子窒素(N2)として大気-水田間を出入りするBNFおよび脱窒の情報が乏しい.どちらも嫌気条件で卓越する微生物過程であり,湛水水田は理想的な環境である.よって,量的に大きいはずであるが,78%がN2で構成される地球大気においてN2のフラックスを測定することは困難である.重窒素標識や膜導入質量分析などにより精度のよい定量が可能となるが,フィールド観測には不向きである.したがって,土壌肥料学分野でさえもこの2つの過程を無視した議論がしばしば行われている.これらは常に一定とは限らず,測定できないことを理由に議論から外すのは残念である.演者の研究では,実規模水田で測定した湛水土壌表層1 cmの単独生活型(=植物との共生・半共生的ではない)の正味BNFが,作季の3か月で約40 kg N ha–1に達した.イネとの半共生的なBNFも考慮すると,過去の文献で記載される100 kg N ha–1は大げさではないだろう.環境保全型農業に伴う減肥などにより,近年の水田への化学肥料の施肥量は50 kg N ha–1程度であり,BNFの相対的な寄与が増している.脱窒については実規模水田で測定した例が少ない.重窒素を用いた室内実験によれば,相当程度の窒素がN2として大気に失われる.NH3揮散は技術的には測定可能であるが,日本では演者の他には幾つかの測定例にとどまっている.施肥窒素の直接影響がない夏季の昼間にNH3揮散のスパイクが観測されるなど(Hayashi et al., 2017),いまだ謎が残っている.さらに,大気CO2濃度の増加や気候変動が水田の窒素循環と窒素収支に及ぼす影響はほとんど分かっていない.2010~2017年にかけて開放型CO2増加実験水田を用いた窒素循環研究を実施したが,個別過程の応答の解明が精一杯であった.CO2施肥効果は,短期的にはコメの増収をもたらしうるが,長期的にはイネの養分吸収を加速させて土壌肥沃度の低下をもたらすことが懸念される.施肥やかんがいが行われる日本では問題になりにくいかも知れないが,有機農業や天水田が基本の地域では将来的に土壌がやせていく可能性がある.よって,今後,窒素循環の各過程の実態と環境変動応答を解明し,これらを繋ぎ合わせ,人為管理の影響を含むモデル評価を可能とする体系的な研究に取り組むことが期待される.