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[MIS27-07] 明治3年4月13日(1870年5月13日)の小田原の被害地震及び前後の頻発地震を記した横浜の有感地震記録
キーワード:歴史地震、1870年小田原地震、伊豆半島東方沖群発地震
明治3年4月13日(1870年5月13日)の暁七ッ頃(午前2時頃),神奈川県西部を震央(震源域の中心)とするM6〜6.5の地震が発生し,小田原市域に被害をもたらした[宇佐美・他(2013)].松浦・他(2006,2020)は震央を山梨県東部とし,深さ 20-30 kmの地震活動が活発なところに発生した地震としている.この地震から約2週間前の明治3年4月初め(1870年5月初め)より,静岡県などの周辺地域において有感地震が頻発しており[石橋(1993)],小田原の被害地震の前震であると解釈されていた[宇佐美(2020)].
頻発した有感地震の発生状況を調べるため,本発表では,同時期に横浜に居住していた外国人(James Gordon Kidd)が記した有感地震記録を検討し,他の日本記録と比較する. Kidd氏は,1870年5月1日〜5月26日(明治3年4月1日〜4月26日)に横浜で感じた計131回の地震を記録し,特に揺れの大きい9地震については揺れの大きさや持続期間も記していた.この記録を元に,横浜における有感地震数の日変化をFig. 1に示した.1日あたりの有感地震数は,小田原の被害地震のあった1870年5月13日(明治3年4月13日)に最大であった.この他,1870年5月9日(明治3年4月9日)にも1日あたりの有感地震数のピークが見られた.
また,Kidd氏によって記された頻発地震の発生域が伊豆半島東方沖であった可能性についても検討する.静岡県の伊豆半島東部沿岸域に位置する伊東市の沿岸・沖合においては,1978年以降,マグマ貫入に起因する群発地震(伊豆半島東方沖群発地震)が繰り返し発生している[地震調査研究推進本部地震調査委員会(2010)]. 1930年に伊東市の沖合を震源域として発生した伊東群発地震も,マグマ貫入によるものと考えられている[東北大学理学部地震予知・噴火予知観測センター(1990)]. 1930年より前の伊豆半島東方沖群発地震を調べた小山(1993, 1999)は,明治元年4月初め〜6月頃(1868年5月初め〜7月)または明治3年4月初め〜6月頃(1870年5月初め〜6月末)のどちらかに群発地震が発生したと推定していた.この群発地震の発生年が前者(1868年)ではなく後者(1870年)であった可能性が,本研究により高まった.
頻発した有感地震の発生状況を調べるため,本発表では,同時期に横浜に居住していた外国人(James Gordon Kidd)が記した有感地震記録を検討し,他の日本記録と比較する. Kidd氏は,1870年5月1日〜5月26日(明治3年4月1日〜4月26日)に横浜で感じた計131回の地震を記録し,特に揺れの大きい9地震については揺れの大きさや持続期間も記していた.この記録を元に,横浜における有感地震数の日変化をFig. 1に示した.1日あたりの有感地震数は,小田原の被害地震のあった1870年5月13日(明治3年4月13日)に最大であった.この他,1870年5月9日(明治3年4月9日)にも1日あたりの有感地震数のピークが見られた.
また,Kidd氏によって記された頻発地震の発生域が伊豆半島東方沖であった可能性についても検討する.静岡県の伊豆半島東部沿岸域に位置する伊東市の沿岸・沖合においては,1978年以降,マグマ貫入に起因する群発地震(伊豆半島東方沖群発地震)が繰り返し発生している[地震調査研究推進本部地震調査委員会(2010)]. 1930年に伊東市の沖合を震源域として発生した伊東群発地震も,マグマ貫入によるものと考えられている[東北大学理学部地震予知・噴火予知観測センター(1990)]. 1930年より前の伊豆半島東方沖群発地震を調べた小山(1993, 1999)は,明治元年4月初め〜6月頃(1868年5月初め〜7月)または明治3年4月初め〜6月頃(1870年5月初め〜6月末)のどちらかに群発地震が発生したと推定していた.この群発地震の発生年が前者(1868年)ではなく後者(1870年)であった可能性が,本研究により高まった.