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[MZZ44-P05] 日本初の女性気象学者
キーワード:気象学史、女性科学者、ジェンダー
日本初の女性気象学者と考えられる松尾喜代子(1918頃~1997)について記述する。和歌山に生まれた松尾は、当時は数少なかった女性の理系高等教育機関のひとつであった大阪府女子専門学校家政理学科に1935年入学、大阪測候所長で同校講師であった前田末廣(1876~未詳)に気象学を学び1938年に卒業した。卒業論文『気象と人生』は女性の手になる気象学に関する初の卒業論文と見られる。卒業後ただちに中央氣象臺大阪支臺で、1936年から支臺長に就いていた和達清夫(1902~1995)の助手となる。当初は計算補助等の仕事が中心だったとみられるが、1939年に和達と共著の最初の論文を発表、1941年に海洋學會(1944年から海洋氣象學會。2016年活動終了。)月次会で行った講演「暖房裝置の室內の氣溫濕度に及ぼす影響(第1報)」は、女性による初の気象学単独講演、同年海洋學會『海と空』に掲載された「暖房裝置の室內の氣溫濕度に及ぼす影響」は、女性による初の単著の気象学論文とみられる。1941年にやはり気象技術者であった杵島磨(未詳~1944。当時・横浜測候所長)と結婚し、退職して関東に移り住んだが、夫の病死により地元に帰り、和歌山測候所に職を得た。以後、1978年に気象庁和歌山地方気象台を退職するまで34年間気象技術者として防災気象行政事務に従事する傍ら、多くの調査研究も行った。猿橋勝子(1920~2007)らが1958年に組織した「日本婦人科学者の会」(1996年から「日本女性科学者の会」)に発会当初から唯一の気象学分野の科学者として加わり、1976年に同会の「第1回関西地区の集い」にも参加するなど積極的に活動した。同年には気象庁初の女性課長に就任している。杵島との一粒種の息子・松尾武清(1943~1999・大阪大学教授)は、田中耕一(1959~)のノーベル化学賞受賞(2002年)への貢献が大とされた、日本の質量分析の代表的研究者である。