10:45 〜 11:30
[O01-01] 東日本大震災から10年間の地震・津波に関する研究の進展
★招待講演
キーワード:東日本大震災、巨大地震、津波
2011年3月11日に発生した東日本大震災は約2万人の犠牲者を出したが,その大部分は津波によるものであった.また東京電力福島第1原子力発電所の事故も発生し,現在でも約4万人の方が避難生活を送っている.
東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震(M 9.0)は,超巨大地震と呼ばれる,日本の観測史上最大の規模で,余震域は岩手県から茨城県沖にかけての長さ500 km, 幅200 km程度であった.この地震は,世界で発生した巨大地震の中で最も詳しく観測され,研究された地震でもある.日本列島に整備されたGPS観測網によって,地震に伴う大きな変動が記録された.加えて 2011年以前から行われていた海底での測地・圧力・水深の観測データから,日本海溝付近の海底が数十mも動いたことが明らかになった.この地震によって発生した津波は,地震後約30分で三陸沿岸に,1時間で仙台平野に達したが,それよりも前に釜石沖に設置された海底水圧計によって記録され,その記録は海底ケーブルを通じて東大や気象庁に送られた.2011年を境に東北地方で発生する小さな地震の発生場所やタイプが変化し,東北地方の応力場が変化したことが明らかとなった.また,陸上や海底の変動は,10年経った現在でも余効変動として継続している.
東北地方では過去にも同じような津波が記録されている.三陸沿岸では1896年に明治三陸津波が発生し,東日本大震災より多い約2万2千人の犠牲者が出た.地震動はそれほど大きくないにも関わらず,三陸沿岸での津波の高さは2011年とほぼ同程度であった.このような地震は「津波地震」とよばれ,海溝付近で大きなすべりが発生することが原因とされている.仙台平野では,869(貞観十一)年に大地震が発生し家屋や住民に被害が出たこと,さらに津波が多賀城まで押し寄せ千人もの溺死者が出たことが,『日本三代実録』に記録されている.この貞観地震については,津波で運ばれた砂(津波堆積物)の分布は2011年の津波浸水域とよく似ていた.津波堆積物の調査によると,貞観地震と同じようなタイプの地震は450~800年程度の間隔で繰り返してきたことも明らかになっていた.
沖合や沿岸で記録された高精度の津波波形データの解析から,2011年東北地方太平洋沖地震の断層面上のすべり量の時空間分布が得られた.それによれば,東北地方太平洋沖地震は,貞観地震モデルのようなプレート間深部の地震(M 8.8)と1896年明治三陸地震のような津波地震(M 8.8)とがほぼ同時に発生した,あるいは前者が後者を誘発したと解釈されている.
2011年3月11日,気象庁は,地震発生の3分後に津波警報を発表した.ところがMが7.9と過小評価され,沿岸で予想される津波の高さも3~6 mと低かった.沖合の波浪計で記録された津波データなどに基づいて津波の高さ予測を修正したが,停電やすでに避難を開始していたことから,津波警報の更新情報は沿岸住民には完全に伝わらなかった.現在,東北地方の沖合には全150点の地震計・水圧計が設置され,海底ケーブルを通じてそのデータは気象庁などに送られている.これらのデータを用いて,より迅速で正確な緊急地震速報や津波警報を出すことができるようになった.また,これらの津波観測データと津波シミュレーションとを組み合わせた,データ同化と呼ばれる方法による津波予測手法も開発されている.
政府の地震調査委員会は,宮城県沖で2010年からの30年間にM7.5程度の地震が発生する確率が99%と予測していた.これは,大地震が平均37年程度の間隔で繰り返し発生したという歴史記録に基づいている.現在は,津波堆積物などの古地震データを取り入れ,繰り返し間隔の長い超巨大地震についても長期評価を行っている.
中央防災会議では,東日本大震災の教訓から,発生頻度が高いが津波高は低いL1津波と,発生頻度は低いが甚大な被害をもたらす最大クラスのL2津波の,二つのレベルの津波を想定することとした.L1津波については人命に加え財産や経済活動の保護のために防波堤などのハードの整備を,L2津波については住民の生命を守ることを最優先してソフト的な整備を行うこととしている.
原子力発電所における津波予測について,2011年までは,既往地震・津波に基づき,設計津波高を確定論的に推定していた.2011年以降は,偶然的ばらつきと認識論的な不確定性を考慮した,確率論的な津波高予測が取り入れられるようになった.
寺田寅彦は,1933年昭和三陸津波発生直後に発表した「津浪と人間」で,三陸地方は,明治三陸津波で大きな被害を受けたが,その経験が生かされず再び被害は発生したことを指摘し,被害の経験を末永く生かすためには,教育が重要であるとしている.
東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震(M 9.0)は,超巨大地震と呼ばれる,日本の観測史上最大の規模で,余震域は岩手県から茨城県沖にかけての長さ500 km, 幅200 km程度であった.この地震は,世界で発生した巨大地震の中で最も詳しく観測され,研究された地震でもある.日本列島に整備されたGPS観測網によって,地震に伴う大きな変動が記録された.加えて 2011年以前から行われていた海底での測地・圧力・水深の観測データから,日本海溝付近の海底が数十mも動いたことが明らかになった.この地震によって発生した津波は,地震後約30分で三陸沿岸に,1時間で仙台平野に達したが,それよりも前に釜石沖に設置された海底水圧計によって記録され,その記録は海底ケーブルを通じて東大や気象庁に送られた.2011年を境に東北地方で発生する小さな地震の発生場所やタイプが変化し,東北地方の応力場が変化したことが明らかとなった.また,陸上や海底の変動は,10年経った現在でも余効変動として継続している.
東北地方では過去にも同じような津波が記録されている.三陸沿岸では1896年に明治三陸津波が発生し,東日本大震災より多い約2万2千人の犠牲者が出た.地震動はそれほど大きくないにも関わらず,三陸沿岸での津波の高さは2011年とほぼ同程度であった.このような地震は「津波地震」とよばれ,海溝付近で大きなすべりが発生することが原因とされている.仙台平野では,869(貞観十一)年に大地震が発生し家屋や住民に被害が出たこと,さらに津波が多賀城まで押し寄せ千人もの溺死者が出たことが,『日本三代実録』に記録されている.この貞観地震については,津波で運ばれた砂(津波堆積物)の分布は2011年の津波浸水域とよく似ていた.津波堆積物の調査によると,貞観地震と同じようなタイプの地震は450~800年程度の間隔で繰り返してきたことも明らかになっていた.
沖合や沿岸で記録された高精度の津波波形データの解析から,2011年東北地方太平洋沖地震の断層面上のすべり量の時空間分布が得られた.それによれば,東北地方太平洋沖地震は,貞観地震モデルのようなプレート間深部の地震(M 8.8)と1896年明治三陸地震のような津波地震(M 8.8)とがほぼ同時に発生した,あるいは前者が後者を誘発したと解釈されている.
2011年3月11日,気象庁は,地震発生の3分後に津波警報を発表した.ところがMが7.9と過小評価され,沿岸で予想される津波の高さも3~6 mと低かった.沖合の波浪計で記録された津波データなどに基づいて津波の高さ予測を修正したが,停電やすでに避難を開始していたことから,津波警報の更新情報は沿岸住民には完全に伝わらなかった.現在,東北地方の沖合には全150点の地震計・水圧計が設置され,海底ケーブルを通じてそのデータは気象庁などに送られている.これらのデータを用いて,より迅速で正確な緊急地震速報や津波警報を出すことができるようになった.また,これらの津波観測データと津波シミュレーションとを組み合わせた,データ同化と呼ばれる方法による津波予測手法も開発されている.
政府の地震調査委員会は,宮城県沖で2010年からの30年間にM7.5程度の地震が発生する確率が99%と予測していた.これは,大地震が平均37年程度の間隔で繰り返し発生したという歴史記録に基づいている.現在は,津波堆積物などの古地震データを取り入れ,繰り返し間隔の長い超巨大地震についても長期評価を行っている.
中央防災会議では,東日本大震災の教訓から,発生頻度が高いが津波高は低いL1津波と,発生頻度は低いが甚大な被害をもたらす最大クラスのL2津波の,二つのレベルの津波を想定することとした.L1津波については人命に加え財産や経済活動の保護のために防波堤などのハードの整備を,L2津波については住民の生命を守ることを最優先してソフト的な整備を行うこととしている.
原子力発電所における津波予測について,2011年までは,既往地震・津波に基づき,設計津波高を確定論的に推定していた.2011年以降は,偶然的ばらつきと認識論的な不確定性を考慮した,確率論的な津波高予測が取り入れられるようになった.
寺田寅彦は,1933年昭和三陸津波発生直後に発表した「津浪と人間」で,三陸地方は,明治三陸津波で大きな被害を受けたが,その経験が生かされず再び被害は発生したことを指摘し,被害の経験を末永く生かすためには,教育が重要であるとしている.