日本地球惑星科学連合2021年大会

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[O-06] 「東日本大震災復興10年」を語ろう

2021年6月6日(日) 13:45 〜 15:15 Ch.02 (Zoom会場02)

コンビーナ:中井 仁(小淵沢総合研究施設)、林 衛(富山大学人間発達科学部)、淺野 哲彦(専修大学松戸中学校・高等学校)、座長:林 衛(富山大学人間発達科学部)、淺野 哲彦(千葉県立船橋啓明高等学校)、中井 仁(小淵沢総合研究施設)

14:45 〜 15:15

[O06-03] 震災10年、真の復興はこれから

★招待講演

*菊池 由貴子1 (1.一般社団法人大槌新聞社)

キーワード:地震、津波、大槌新聞、復興、復旧

東日本大震災から10年。マスコミの震災報道と言えば、「税金の無駄」や「まだつらい」がほとんどだ。そもそも「復興」とは何か。被災したインフラ整備や住宅再建は「復旧」だ。「復興」には「単なる災害復旧にとどまらない」という理念があることを皆さんはご存知だろうか。復旧には10年かかった。ならば真の復興はこれからだ。

岩手県大槌町で生まれ育った私は、自分の町について考えることも、好きだと思うこともなかった。震災で情報不足に陥った経験から、2012年に週刊の「大槌新聞」を創刊。翌年には町内全戸無料配布を始めた。新聞づくりは初めての経験だったが、取材から編集までを一人でこなした。新聞創刊後は町を知り、考えるようになった。当初は町民に復興情報を届けることが目的だったが、次第に問題提起型の内容に深化。意識は町内から町外へ、そして政治や報道などの分野にまで広がった。2016年には一般社団法人大槌新聞社を設立。広告受付や事務経理までも一人でこなした。震災復興や防災を学ぶ場として、2020年には「復興防災大学」の看板を掲げた。新聞発行の傍ら、講演やガイド、寄稿なども行う。

 大槌町は震災時、津波浸水想定区域にあった役場庁舎前に災害対策本部を設置。本部としての機能を果たさないまま津波に襲われ、職員38人が犠牲になり、被災自治体で唯一、首長が亡くなった。避難指示を出さなかったこともあり、多くの町民が犠牲になった。大槌町の人口は2010年の国勢調査で15276人だったが、震災で1286人(関連死を含む)が死亡。岩手・宮城・福島の被災3県の中でも高率だ。約7割の家屋が被災し、市街地は壊滅状態となった。ハード事業のほとんどは2019年度末で終了。防潮堤や水門、橋などが新たに整備された。被災者の住宅再建に関しては、土地区画整理区域事業で967区画、防災集団移転事業で422宅地、災害公営住宅は876戸が整備された。現在の主な課題は、人材不足にあえぐ役場組織の立て直しや空き地活用、そして震災検証だ。震災当時は防災担当職員で、現在は町長を務める平野公三氏は、震災遺構となり得た旧役場庁舎や、津波で観光船が乗り上げて世界的に知られた民宿の解体をごり押し。震災検証も中断した。震災の教訓をどう残し、伝えていくかが課題だ。今後期待できることとしては、震災後新たに始まったギンザケ養殖やジビエ6次産業化の推進。また、震災後に当選した志のある議員やU・Iターン者などにも期待したい。

 マスコミの「レッテル貼り報道」は、震災の風化を加速させるのではないかと危惧している。復興予算が「税金の無駄」と思われがちなのは、「復興=ハード事業」と考える人が多いからで、実際これまでの復興はハード事業が中心だった。今回の震災では、被災者の心のケアといったソフト事業にも予算が付いたが、これで十分なのか。国の「東日本大震災復興基本法」には復興の理念が書かれてある。「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策」、「二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべきこと」。今から30年後の日本のため、創造的な復興を成し遂げねばならない。これまで行われたハード事業の検証や改善、被災者の心のケアの継続などは必要だ。だが、今、最も必要なことは、理念を見つめ直すことではないか。大槌町では「震災前よりいい町にしよう」と頑張る人がいる。ただ、肝心の役場は人材不足で、理念の実現どころではない。震災後は第三セクターのまちづくり会社ができたが、人材不足で解散したのが残念だった。「復興の理念は非現実的だった」というような報道もあるが、本当にそうなのか。理念を実現させる仕組みや施策がなかっただけではないか。「縮む町」を推奨するような報道もある。ある程度コンパクトなまちづくりにすることは必要だと思うが、理念なき縮小では町の安楽死そのものだ。重要なのはサイズよりその中身だ。理念の実現に必要なのは、お金よりもアイディアと人材だが、それが不足している。例えば、大槌町では震災後、漁師の担い手を育てる「漁業学校」が開校した。こうした新たな取り組みは、他の被災自治体でも見られる。

復興期間とされた震災10年を節目として、「復興は失敗だった」と結論付けるのは時期尚早だ。震災で生まれた小さな芽を育て、さらには新たな芽も生み出すような施策を被災地内外で考えたい。2万人以上もの犠牲者を出した被災地が震災前よりいい町になり、それを全国に還元できなければ、地方創生などあり得ない。講演ではこうした内容について具体的に述べる。