日本地球惑星科学連合2021年大会

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[O-07] 高校生ポスター発表

2021年6月6日(日) 13:45 〜 15:15 Ch.27

コンビーナ:原 辰彦(建築研究所国際地震工学センター)、道林 克禎(名古屋大学 大学院環境学研究科 地球環境科学専攻 地質・地球生物学講座 岩石鉱物学研究室)、久利 美和(気象庁)、紺屋 恵子(海洋研究開発機構)

13:45 〜 15:15

[O07-P01] 「中村平左衛門日記」からみた江戸時代の福岡の天気―詳細率と天気出現率の関係の考察―

*安藤 琉偉1、*林田 吏央1、*荒瀬 ひかり1、*江口 美蘭1、*萩原 柊子1 (1.池田学園池田高等学校)

キーワード:中村平左衛門日記、詳細率

研究の動機
日本における公式な明治時代の気象観測開始以前の江戸時代の天候を古文書に記された日々の天気を使って分析している。
過去5年間で「関口日記」「二條家内々御番所日次記」「妙法院日次記」「守屋舎人日帳」「弘前藩庁日記」「鶴村日記」の順番に6つの古文書に記された天候をデータベースにして分析してきた。今回は北九州の古文書「中村平左衛門日記」を分析した。日記には文化九年(1812)から慶応二年(1866)までの55年間の日々の出来事や地元の行事など人々の生活の実態が記してある。
研究の目的
(1)過年度に調べた「関口日記」「二條家内々御番所日次記」「妙法院日次記」「守屋舎人日帳」「弘前藩庁日記」「鶴村日記」と合わせてデータベースを作る。
(2)先行研究(庄建治朗ら;2017)を参考に、記録の精度を測る「詳細率」と「天気の出現率」との関係を考察する。
研究の方法
天気は現在の気象庁の分類に近づけて、雪>雨>曇>晴れと判別した。また、「晴」と「曇」が併記されている日は、1日のうち、9割以上曇っていれば「曇り」、21.6時間未満であれば「晴れ」と、空間分布を時間分布に換算して判断しました。
データの処理
取得したデータは55年間で、15,715日であった。「詳細率」以外の「天気の出現率」の集計では、1年の1/3の欠測のある年と2月29日を集計から削除した。
データ①(グラフ1)
天気の出現率の年次推移を見ると1828年の晴れの出現率が64.1%で最高で、最低は1860年の39.3%であった。
データ②(グラフ2)
四季の天気の出現率を季節ごとにみると、天保の飢饉で一番被害が苛烈であった1836年は夏の雨の出現率が45.7%、晴れは32.6%で、晴れと雨が逆転している。1860年は春から秋にかけて晴れの出現率が下がり、春と夏は晴れの出現率と雨の出現率が逆転している。
データ③(グラフ3)
「中村平左衛門日記」は一人の人物によって書かれており、雨の表記に注目して分析をした。全記述のうち単に「雨」と書いてあるのは、79.9%で、それ以外は「雨天」「白雨」「軽雨」「時雨」「小雨」「微雨」という表記になっている。折れ線は雨の出現率であるが、1836年は大雨の降った年だと分かる。
データ④(グラフ4)
夏の雨の構成比率をみると、1836年は大雨と強い雨を合わせて20.9%で、全期間の中で夏に大雨が降った年だったと考えられる。1831年も夏も23.5%で強い雨が顕著である。
ここで、名古屋工業大学の庄先生の論文にある詳細率を使っての記録の精度を検討することとした。詳細率の定義は、「天気記録の総日数のうち「晴れ」、も「雨」と1語で記録されているのではなく、複数種類の天気が併記されたり、時間変化に関する記述や「大雨」などの降水規模の記述がある日数の比率」をいう。
先行研究(庄建治朗ら;2017)では、詳細率と、降水記録の閾値の関係をみると、詳細率が高くなるほど、降水記録の閾値が低くなり、詳細率5%で降水量の閾値は7㎜、30%で0.5mmの雨を拾う。
データ⑤(グラフ5.6)
「中村平左衛門日記」の全期間の詳細率の平均は29.9%で、最高は1865年の46.2%で、最低は1814年で3.6%である。
1812年から幕末の1866年に進むに従い天気記録が詳細になり、雨の出現率と相関関係がみられる。
データ⑥(グラフ7)
古文書間で比較すると、「二條家内々御番所日次記」「妙法院日次記」は同じ京都での記録であるが、「二條家内々御番所日次記」は記述が単純で、同一期間の雨の出現率は低くなっている。妙法院日次記は記録が詳細で雨の出現率が高い結果となった。
考察
(1)中村平左衛門日記の全期間の「詳細率」は29.9%で、詳細率があがると、雨の出現率もあがる傾向となり相関関係があると考える。
(2)日記の全記述のうち単に「雨」と書いてあるのは79.9%で、それ以外は「雨天」「夕立」「小雨」「時雨」「軽雨」「白雨」「微雨」、そして、「大雨」「雨強し」という記述で構成され、強い雨と考えられる記述は2.8%であった。強い雨の年構成比率が、10.2%であった1836年は、夏にのみ「大雨」と記されており、大雨の構成比率は20.9%となり、全期間の中でも大雨の顕著な年と考察する。
 まとめ
(1)天保の飢饉で一番被害が苛烈であった1836年の「大雨」の構成比率が10.2%で全期間の中でも特に高く、四季でみても、夏の大雨の構成比率は20.9%で、例年に比べて特に高い結果となり、飢饉の原因が大雨であった可能性がある。
(2)先行研究では、詳細率があがると、雨の出現率が上がるとされるが、中村平左衛門日記でも詳細率があがると、雨の出現率があがり相関関係が認められ、補正式が作れると考える。
今後の予定
過去6年で、四国の古文書のデータを分析出来ていないので、土佐藩の真覚寺の住職・井上静照が書き残した、地震や天気が記録された「真覚寺日記」のデータベースを作り、天気の変動を調べて本年までの分析と比較し、異常年を考察とともに、今まで分析した古文書(「関口日記」「二條家内々御番所日次記」「妙法院日次記」「守屋舎人日帳」「弘前藩庁日記」「鶴村日記」)の詳細率と天気の出現率との関係を調べ、「詳細率」を使って「雨の出現率」の補正式を作る。