日本地球惑星科学連合2021年大会

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[U-02] 2011年東北地方太平洋沖地震から10年―地球科学の到達点

2021年5月31日(月) 13:45 〜 15:15 Ch.01 (Zoom会場01)

コンビーナ:日野 亮太(東北大学大学院理学研究科)、藤倉 克則(海洋研究開発機構 地球環境部門)、木戸 元之(東北大学 災害科学国際研究所)、座長:小平 秀一(海洋研究開発機構 海域地震火山部門)、木戸 元之(東北大学 災害科学国際研究所)

13:45 〜 14:03

[U02-01] 2011年東北地方太平洋沖地震の概要とその教訓

★招待講演

*松澤 暢1 (1.東北大学大学院理学研究科附属地震・噴火予知研究観測センター)

キーワード:東北地方太平洋沖地震、地震の教訓

1. はじめに

 M9.0の2011年東北地方太平洋沖地震(以下,「東北沖地震」と呼ぶ)から10年がたち,この地震の全貌が次第に明らかになりつつある.本講演では,この地震の概要とそれから得られた教訓について述べる.なお,津波堆積物の詳細については本セッションの宍倉氏の講演を,また津波の詳細については佐竹氏の講演を参照されたい.

2. 地震前

 西暦869年に宮城県に大きな津波をもたらした巨大な地震があったことは古文書によって示されていたが,それが津波堆積物から実証されたのは2000年頃以降のことであり,同様の地震が600年程度の間隔で発生していて最後のイベントが約600年前だったということが分かったのは,2010年のことだった(岡村・他,2010).

 一方,1994年に日本のGNSS観測が始まってから20世紀末頃まで宮城県沖から福島県沖にかけてプレート境界の固着が強い状態が続いていたが,それが21世紀に入った頃から固着が緩み(例えば,Suito et al., 2011),これが東北沖地震の前駆的現象であったと考えられている.ただし,この固着が強いように見えた時期には地震活動の静穏化が生じており(Katsumata, 2016),むしろ,固着が強かった時期が異常であった可能性もある.

 2011年の2月から宮城県沖でスロースリップイベントイベントが生じ,これが3月9日の前震(M7.3)をトリガし,さらにこの前震の余効すべりが3月11日の本震をトリガしたと考えられている(Ito et al., 2013).つまり,地震性滑りとゆっくりとした滑りが交互にドミノ倒しのように生じて東北沖地震の発生に至ったことになる.

3. 地震時

 地震時には南北約500km,東西約200kmの広大なプレート境界が滑り,海溝付近では約50mもの滑りが生じた(例えば,Iinuma et al., 2012).このような大きなすべりとなった理由としては,プレート境界浅部に強いアスペリティが存在したこと(例えば,Kato and Yoshida, 2011)や,すべりが海溝を突き抜けたこと(Ide et al., 2011),thermal pressurization が生じたこと(例えば,Mitsui et al., 2012),浅部の弾性定数が小さかったこと(Lay et al., 2011)等が考えられている.一方,広大な滑りとなった理由は,巨大な固着域があったことと,条件付き安定領域が広く存在したため(Hori and Miyazaki, 2011)と考えられる.

4. 地震後

 この地震の後には大規模な余効すべりと粘弾性緩和が生じている(例えば,Sun et al., 2014).太平洋側の海岸線は地震の100年以上前から沈降しつづけていた(例えば,西村,2012)が,地震時にも沈降し,その後,隆起に転じて現在に至っている.このようなパターンが生じたのは,今回の地震の主破壊域がプレート境界の浅部側に位置していたことと粘弾性緩和のためである(Sun and Wang, 2015).この余効変動データから推定された粘弾性緩和モデルによれば,このような地震の後に約300年にわたって海岸線が隆起し,その後,沈降に転じてから約300年が経過して次のM9地震の発生に至ると予測される(Sasajima et al., 2019).

5. おわりに:東北沖地震の教訓

 このような巨大な地震を予見できなかった理由を一言でいえば,限られた情報を「過学習」してしまったことにある.今回の地震から得られた情報は非常に貴重であり,それに学ぶことは重要であるが,それを学びすぎてはいけない.さもなければ,学んだことが思い込みへと変わり,また次のM9地震が「想定外の地震」となってしまう.そうならないように細心の注意が必要である.